猫の涙



七緒が来て、八番隊が賑やかになる頃には名前は目を覚ました。
七緒も確と名前が猫のごとく眠る様子を見たのだが、あまりの猫らしさに同意せざるを得ない様子で、そっぽを向いて隠れて笑っていた。
当の名前といえば…

「ふあーーーっ!!
 す、すいませんっ…京楽隊長、伊勢副隊長っ…!!
 私、また寝ちゃって…しかも随分ご迷惑を…!!」

「気にしないでよー。
 君の事は浮竹からも宜しく言われてる子なんだからー。
 僕も七緒ちゃんも君の可愛い寝顔見られただけで十分だよ」

「…たしかに、猫っぽくて……ふふっ…」

京楽はへらへらと笑いながらそういうし、七緒は思い出し笑いをしているが、どうにもそれだけでは気が済まない事柄過ぎて、名前には肩をすぼめる事しか出来ない。

「………すいません」

そんな調子で話をしていると開けっ放しにしていたまどからひらひらと地獄蝶が入って来て、手を出して地獄蝶の止まる場所を用意した名前の鼻にちょこんと止まったものだから増々笑いが止まらない。

名前が真っ赤な顔をしながら指先に誘導して、伝達事項を聞き取るとまたちょっとだけしゅんとした顔つきをした。

どうしたの、と七緒が尋ねると、名前が今日もう一回四番隊にくるように言われました、と静かに伝えた。
京楽からすれば、その様子は「もう一回来なさい」と呼ばれた事よりもその先の事柄の、先走った予想に対する緊張を表しているような感じだった。
口にはしないが、恐らく原因不明の眠りに関する事が分かった事が知らせられたのだろう。
七緒が今までと違う名前の様子に不安を感じて京楽に目配せしてした。
京楽は腕を組んで「うーん」と唸る。
声をかけたりする様子も無く、どうする訳でもなくそうしてる京楽を見て七緒が「言って来なさい」言って、次いで「京楽隊長も御付けします」と言った。
京楽が驚くよりも先に名前がぎょっとした。

「い、いえっ!!一人で行けます!!」

「いいえ。申し訳ないですが、御付けします。
 そんな顔をした女性を一人歩かせたく無いですから。
 また倒れられても困りますし、私が行くより、何やら少しでも状況を理解している隊長がついていった方が何か役に立つかもしれません」

七緒が京楽の補佐…以上に影響力を及ぼしているのは周知の事実だが、隊長然としてここまできっちり言われては流石に名前も言い返せない。
だが然し、これ以上施しを受けるのには気が気で無い。
名前が答えかねていると、京楽が「そうしよう」と言った。

「まーったく…七緒ちゃんてば僕より男らしい事言っちゃって…ほら、名前ちゃん、行こうか」

「…は、はい」

「じゃあ七緒ちゃんあと宜しくねー」

「はい」

京楽が先に執務室を出て、名前がその後を追って出ようとするが、七緒の方を振り返って「有り難う御座いました」と言いながら深くお辞儀をした。
七緒は何を言う訳でもなく微笑んで見送った。





暫く歩いて四番隊隊舎に着くと、名前は門の所で足を止めて顔の前で手が赤くなるほどぎゅっと握りしめる。
それは、祈っているようにも見えるし、怖さにぎゅっと体をすくめているようにも見えた。
けれどもその顔を見ると、それだけではなく、きっと面と向かって事態に向かおうとする表情にも見えた。
誰だって、自分の体の不調は怖いものだ。
だが名前はその不調の原因が謎であるから、不安感は計り知れない。
ましてや一日二日でできた様な危機感を抱えているのでは、それは怖いだろう。
京楽は頭をなでるが、名前の方はそれに対して何時ものような笑みを返してこなかった。

「ひとりで大丈夫かい?」

「だいじょうぶ……で、す」

京楽の問いにそう答えはしたものの、歩みを進めようとしない。

「大丈夫じゃないなら、そう言って良いんだよ」

京楽が再びそういうと、唇を噛んで悔しそうな、泣きそうな表情をしながら、「やっぱり大丈夫じゃないです」と言った。

京楽はその声を聞いて頭をなでていた手を背中に下ろして、促すように触れた。
その、京楽の大きな手の力強い、暖かい感触を感じて直ぐに名前は京楽の方を向いて大きく頷いて門を跨いだ。

卯の花が居る診察室までの道のりは決して長いものではなかったが、名前は門の前で色々な思いを抱えて足を竦めていたとは思えないような、凛々しい顔つきに変わっていった。
診察室の前に立ち止まって、少し。
流石に此所からは当事者だけで、自分は廊下で待っていた方が良いだろうと少し離れようとすると、隊長羽織の裾を掴まれた。

「失礼を承知で…京楽隊長、立ち会って貰えませんか」

「…いいけど。僕が聞いても大丈夫なの?」

「はい」

しっかりしたその返事を返して、名前は直ぐに診察室の戸を叩いた。
中からどうぞ、という卯の花の声がして名前と京楽は中に入った。
卯の花の隣には技術開発局の一人の阿近が立っていた。
その、何時もと違う様子に名前は嫌な感じがした。

「あら、京楽隊長。付き添いですか?」

卯の花が何時ものように優しい笑みを浮かべながらそう尋ねると、京楽は笑いながら「まあね」なんて歯切れの悪い返事をした。
何と言って説明すれば良いか分からないので、色々省いたらこうなったのだ。

「名前さん、丁度昨日の夜頃に技術開発局の方があなたの眠気に関する報告をくださったの。
 昨日来てくださったときにご報告出来れば良かったのですが、ごめんなさいね」

「いえ、大丈夫です」

「詳しくは、阿近さんからお話しして頂きましょう」

卯の花が阿近を見ると阿近が無言で頷いて前に出て、手元の数枚の書類を見ながら放し始めた。

「卯の花隊長の言う通りあなたの眠気は障害かからくるものではなく、やはり斬魄刀の影響によるものだという結果が出ました。
 恐らく、その斬魄刀はあなたの霊力や体力やらを代償にして力を出している。
 戦っていないときでも眠気がくるのは常日頃から力を吸収しているためかと思います。
 きっと戦闘時という短時間だけのエネルギーでは足りないでしょうからね。
 あまりそのエネルギーを吸い取りすぎると体に負荷が掛かりますから、それを補う為に睡眠という形で出てるのでしょう。
 多分、そのエネルギー吸収の量を制御出来れば今より眠気を抑制出来るかも、しれません」

「それって、エネルギー吸収量抑えちゃったら戦闘中の威力減るってことだよねえ?」

京楽がすかさず疑問を投げかけると、名前も「それは、困る!!」と慌てて阿近をみる。

「まあ…そうなんですけどね…。
 普段から割と長時間寝てる事もあるってことは割とエネルギー吸い取ってる筈なんですよ。
 斬魄刀自体もいつまでも無限にエネルギーを溜め込む事は出来ない筈なんで、多少は漏れてる分があるはずです。
 どれ位影響が出るかは、どれ位エネルギー吸い込んでるか分かってからじゃないと正確な回答出来ないです」

「と、取り敢えず私はどうしたら良いんですか…?」

「うーん…まあ、霊力を上げる訓練をするか、斬魄刀に吸収を抑制させる装置とかを付けてみるとか……」

斬魄刀は持ち主自身から出来ているので、作り替える事も出来ない。
最悪、斬魄刀を捨てれば…と阿近が言った所で、名前が首を横に振った。
阿近も考えては見るが、どうにもつい最近分かった事なので今思いつく対処法といったらこれまでだった。

「制御をしたら今まで通りの戦いが出来なくなるという事ですか…?」

「多分。それを選択すれば、今のあなたの霊力に変化は付けずにもいられますから一番楽な選択です。
 まだ開発していないので何とも言えませんけど、こーいったモンは取り外しも可能にはするはずです。
 ある程度の自由は効きますけど、霊力の吸収量がその都度変わる事にあなたの体に若干の負荷が掛かるかもしれませんね」

「…それって、どちらにしろ霊力上げるしか無いって事じゃない?」

「まあそんなとこなんですけどね。
 単に霊力を上げた場合は、今より眠気が少なくなる筈です。
 完璧に眠気を消すってのは…多分無理なんじゃないかと思いますけど、自分自身でコントロール出来る手段はこれですね。
 ただ、霊力なんて一日二日で上がるもんじゃないんで…ちょっと大変でしょうね」

一通り喋った所で阿近はまた一歩下がった。
もう喋る事は無いんだというサインだった。

これからは、名前が決断する時。

京楽も卯の花も阿近も、何も言わずに名前が何を選択するかを静かに待っている。

名前は一生懸命、これからの自分や皆のために何がベストかを選択する。
勿論、原因が斬魄刀にあったとしても、自分自身の様なものなのだから刀の気持ちも考える。

「…私自身が、ちょっと頑張れば……いいんですよね」

「それは、霊力を上げるという事ですね?」

卯の花が静かに問うと、名前はこくり、と首を縦に振った。

「それでは此所に丁度良い方がいらっしゃいますので、ご協力して頂きましょう。
 いつもふらふらしている時間のほうが長い方ですから、少しぐらいお時間を頂戴しても構わないでしょう、ねえ、京楽隊長?」

卯の花が京楽を見ながらゆっくり微笑んだ。
じりじりと、何時もと違う霊圧をかけてくるのには「断れませんよ」という意味が含まれていた。
阿近が口元を押さえてそっぽを向いたのが見えた。

「もちろんさー。是非協力させてもらうよー」

「…だそうです。
 私が出来るのは些細な怪我の手当のみです。
 これからは、私の出番もようやく増えそうです。
 …頑張ってください」

「…は、はいっ!!」

名前はようやく何時ものひとなつっこい笑みを浮かべた。




行きに比べて、帰りは名前の足は軽かった。

「よかったねえ、解決の手だてが見付かって」

「はいっ…あ、けど、京楽隊長にはご迷惑を……」

「だいじょーぶ。もう何も気にしないでいいよ。
 ちゃんと頼まれた事はしっかりやるよ。
 僕も、君の為に出来るなら何でもやるさ」

「…ありがとうございます」

名前は立ち止まって京楽に深くお辞儀をした。
もう、京楽には感謝しても仕切れないぐらいの事を沢山してもらった。
余りにも大きい「ありがとう」すぎて、本当はどうしたらお礼になるか全く見当がつかない。
けれども、今直ぐ気持ちを伝えるにはこれしかなかった。

京楽はずっと頭を下げ続ける名前を見かねて、かがんで頭をなでた。

「君が頑張ってくれれば、それが御返しになるだろうね」

京楽が口に出した言葉は、まさに名前が考えていたことの答えになりそうなものだった。
驚いて顔を上げる。

「けど、僕は君の寝顔見れれば良いって言ったじゃない」

君の寝顔は何者にも勝るね、と冗談まじりに京楽は何時ものようにへらり、と笑った。

名前がぷるぷると震えて有り難う御座いますと泣きながら言い出すと、京楽は大笑いしながら名前をぎゅっと抱きしめた。
抱きしめながらも、相変わらず片手は名前の頭にのってしまう。
京楽からは見えなかったが、今日の頭を撫でられた名前の笑顔は、いつもの笑顔と少し違ったものだった。




- 7 -


[*前] | [次#]
ページ:




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -