猫と桜


「ああ、桜の匂いがする」
京楽は誰に伝える為でもなく、そう口から漏らした。

春先、まだ少し寒い頃。
開けっ放しの窓から風に乗って入ってきたその匂いは、どこか人をそわそわさせる。
机の上には此所数日貯めにためた書類の山が山脈の様なものを築き上げている。
つい数刻前に七緒に怒られたばかりだ。
大人しく座って消化していたが、いよいよそんな気分ではなくなって来た。
行儀悪く肘をついて少し考える。
だが、考えたって、その先の行動は決まっているような気がして席を立った。
「まあ、気がそぞろになってやっても意味ないし、気が済むまで遊んだ後の方がしゅうちゅうできそうだし」
言い訳を正当化させるようにブツブツとそう呟きながら、花笠をかぶって戸を開けて外に足を踏み出した。


少しばかり歩いて小高い丘にきた。
八番隊舎に香りが来る範囲で桜が咲いている場所、で思い浮かんだのが此所だった。
人がいなく、八番隊舎が丁度良い具合に見下ろせて、風景の良い場所として、京楽の隠れた穴場になっており、春先の桜が見頃の季節はちょくちょく此所に来る。
「おお、アタリだ」
まだ満開という訳ではないが、もうすでに花が咲き始めていた。
ちょっとくらい昼寝でもしていくか、と八番隊舎が見下ろせる位置に座ろうとすると、先客がいた。
死覇装を着た、ちょっと癖のある長い栗毛の白い肌の女の子。
元々身長が小さい上に、今は猫のようにころんと丸くなって寝ている。
幹に丁度隠れてしまって、全く気付かなかった。
「あらら…」
京楽は膝を曲げてじっとその様子を見た。
まだ幼さが残るが、可愛らしい顔をした子だ。
暖かい日の光があたって少し暑いのか、頬はほんのり色づいている。
なにより、幸せそうな顔をして寝ている。
心なし、口角があがっているので微笑んでいるようにも見えた。

よくよくその女の子の顔をみて考えた。
自分の隊の女の子は全員覚えているのだが、此の子の顔には見覚えが無い。
どこか別の隊の子だろう。

「…きみは、どこから来たんだい?」

反応はないだろうと思いながらそう呟くと同時に強い風が吹いた。
不安定な体勢だったので片膝を付いた。
その時、女の子が「くしゅんっ」と可愛らしいくしゃみをして薄く目を開けた。

「…ふあっ?」

「ああ、ごめんよ。昼寝の邪魔しちゃったかい?」

未だはっきりと醒めない目を擦り、体を起こしながらその女の子は京楽と向かい合った。
そして次第に口をぱくぱくとして驚いたような顔をした。

「あ、あれ…私…え、きょ、京楽隊長…?」

「あ、よく知ってるね?」

女の子の反応は大体何に対する驚きか予測がつくが、京楽は敢えてずれた反応をした。

「ど、どうしてこのような所に…?」

「桜の匂いがしたからついつられてね。
 それより君はなんでこんなところに?
 随分気持ちよさそうな顔して寝てたね」

思い出してちょっと笑うと、女の子は顔を赤くした。
恥ずかしいのか、一生懸命手で顔を隠そうとしたりしたが、最終的には顔を上げて桜を見やり、そして女の子も言葉少なに「同じです」といって落ち着いた。

「私も桜の匂いにつられました。
 …そしたら眠くなっちゃって……もともと眠くなりやすいので…つい…」

「眠くなりやすい?」

「はい。何か昔からそんな感じで…体質らしいです」

そういうと、照れ隠しなのか笑いながら頭をかいた。
笑うと、増々幼く見えた。おそらく、その姿が年相応の姿なのだろうと思った。

「そっか…隣座ってもいいかい?」

「え、ええ…どうぞ」

京楽は笠を外して幹によりかかる。
幹はごつごつしているが、日が当たっていた所為かほんのすこし暖かかった。
女の子は隣で膝を抱えて座っている。
さっきからそうだが、どうにも此の子はコンパクトに収まるのが基本の体勢のようだ。
そんな様子を見ていると、なにやら小動物を思わせられる。

「そ、そんなに見ていて面白いものでしょう、か…」

京楽の視線と緊張に耐えかねた女の子はようやく口祖開いてそういった。

「うん。失礼な話かもだけど、なんか小動物というか…猫みたいだなあって思ってね」

「ね、ねこ…?」

「うん。さっきは丸くなって寝てたし、今も随分ちっちゃくなって座ってるし、
 髪の毛もふわふわしてて猫みたい。
 可愛いねえ」

そういって京楽は女の子の頭を優しくなでた。
それこそ、猫をなでるような気分である。
当の女の子は京楽の素直で率直過ぎる感想に増々顔を赤くして両手を頬に当てて火照りをさましていた。

「そんなこと言われたの初めてです…なんだか、嬉しい……猫は一等大好きです」

猫みたい、といって気分を悪くするかと思ったが、逆のようで、京楽がなでる手つきを止める訳でもなく、
ただ、ニコニコと受けていた。
かわいい子だと思ったが、変わった子だという印象もできた。
増々猫のように見えて来たからこまったものだ。
頭をなでるのをやめると京楽は話をかえた。

「きみ、八番隊の子ではないよね。どこから来たの?」

「私は十三番隊の名字名前です!!」

「ああ、浮竹のとこの子か」

「はい!!」

にこにことしながら名前がそう答えると、京楽は丘の下の方から名前を呼ぶ声が聞こえて丘の下を覗き込んだ。
すると、数人の隊士があちこちを見回しながら名前を探しているようだった。

「ねえ、あれって…」

京楽が振り返って名前に「君を捜している子がいるみたいだよ」と言おうとすると、
彼女は目を閉じてスッと背筋を伸ばして何かに集中しているような体勢をとっていた。
直ぐに目を開けると、相変わらずの笑顔で「もう行かなくちゃいけません」と京楽に向かっていった。

「お友達の霊圧がする。きっと、また寝てるんだと思って探しに来たのかもしれません」

立ち上がって、体に付いた埃を払うと続けて言った。

「眠くなりやすい体質の所為で、十三番隊に移動する事になってしまったのです。
 今までは仕事にならないとあまり良く思われなかったのですが、
 浮竹隊長は本当に良くしてくださっているし、多くいる隊士の中の一人にも関わらず心配してくださって、
 こうやってお友達が探しに来てくれたりします。
 …みんなにはやっぱり迷惑を掛けちゃうかもしれないですが、本当に幸せです」

「そっか。それは何よりだ。浮竹は本当に良いやつだから、気兼ねなく働けると思うよ。
 がんばって。
 君とはまた話が出来ると良いな」

「ありがとう御座います。では、失礼します」

名前は京楽に深くお辞儀をすると、事もあろうが丘の崖からぴょん、と下に飛び降りた。

「ええっ!?」

下を覗き込むと、木を足場にしながら身軽に仲間のいる所へ飛び降りてゆく。
やがて、仲間の前に着くと二言三言喋って仲間の隊士らが来た道を戻り始めた。
ふいに、名前がこちらを見上げたかと思うと、大きく手を振ってきた。
京楽も同じく手を振って答えてやった。
何やら上にむかって手を振る不思議な行動をしている名前に習って名前の隊士がこちらを見上げると、
慌ててお辞儀をするが、同時にキヨの頭を押さえて無理くりお辞儀をさせた。
あまり良くは聞こえないが、なにやら怒られているようだった。

「面白い子だ」

京楽は再び背を幹に預けた。
桜の香りをいっぱいに吸い込んで、落ち着いた所でもう一回名前について考えた。
無邪気、に似てはいるが、変わった雰囲気。
最初こそ自分と京楽の立場が違うからか慌てふためいたりしたが、割と堂々として、人懐っこい。
体質なのか眠くなるのがたまにキズ。
本当に猫のような子だった。

「名字、名前ちゃんねえ…」

今までに無いくらい溜まった書類の山よりも、なんて事無いのに強烈な印象を残した子だった。
ふと、八番隊隊舎を見ると、窓から執務室で京楽の不在に気付き怒っている七緒が見えた。

「あーあー……これは、戻るしかないかあ……」

京楽も立ち上がって埃を払うと桜を見た。
もう一回、よく桜の香りを感じると、元来た道を戻り始める。






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