猫と春



京楽は四番隊隊舎の門をくぐり、もう随分慣れた道のりを歩んだ。
その片手には大きな花束を抱えて。
しばらく歩いて隊舎の中でも奥に位置するある一室の前に立った。
じっと目を閉じて、大きく息を吸った。
そして、ノックをして戸を開けた。
真白な壁、広い部屋、広い窓。
そして、すこしの薬品の匂い。
その真ん中に、日の燦々と当たるなかでベットに仰向けに寝る名前の姿があった。
そして、その回りには沢山の医療機器。
日に日に増えてゆくそれらは、丸で名前を取り囲む様におかれている。
京楽はその間をぬうようにして近くによった。
ベットの脇にあった花瓶を手に取ると、流しに行って、水を取り替えて、また新しい花を生けた。
そして、また機器の間を縫うようにして、脇に一つだけおいてある木の椅子に腰を下ろした。
暫く大人しく見ていたが、名前の頭をゆっくり優しく撫でた。

「…一体、何時まで寝てるんだい」

京楽は顔を顰めて、そう言った。
だが、名前は一向に起きる気配がない。







京楽は虚を倒した後に、直ぐに名前の元へ向かった。
下に落下する直前に京楽の耳に入って来た、名前が攻撃された音は、明らかに致命傷の音だった。
人の体の一部一部の怪我が連鎖して、鈍く響き渡る音。
非常に不快だし、寒気がするような音。
京楽にはもう聞き慣れたようなものだったし、実際に身にしみて分かっているものだった。

「名前っ…名前っ…!!」

京楽が焦った様に、そうしきりに言って探していると、疾猫がこちらを向いてしきりに尻尾を振っているのが目に入った。

その直ぐ隣に怪我をしている他の隊士が名前を取り囲まれているのが見えて急いで駆け寄った。
京楽が名前の元に走りよってくるのを確認すると疾猫はすっと姿を消した。
京楽は名前の脇に寄って膝をつく。
すると、強い血の匂いがしていて、死覇装で分からなかったが、おびただしい出血。
生憎、此の場には救護班は居ない。
だから、他の隊士が数人がかりで必死に止血をしていた。
広く、深く、あの爪が名前に頭から体にかけて傷跡を残していた。

「京楽隊長、このままでは…!!」

「僕が四番隊まで行く。
 君たちはこのまま一旦浮竹の元に戻って。
 ただし、未だ他にも虚はいるかもしれないから気を緩めるな」

京楽は何時かの様に羽織で名前をくるむと、その場から瞬歩で消え去った。
四番隊の前に着くと、門兵が京楽と名前が抱えた名前からしたたる血に驚いたような顔を下が構わずに門をくぐって、卯の花を探した。
廊下の角を場がろうとした所で、京楽は卯の花と鉢合わせした。

「卯の花隊長っ…!!」

京楽が口を開くよりも先に、卯の花は血の匂いに気付いて羽織の中に手を出した。
そしてその中で青い顔をしてぐったりする名前を見て素早く傍についていた勇音に手配をするように言った。

「京楽隊長、その子をこちらへ」

京楽は卯の花に促されるまま、治療室に名前を運び込んだ。
羽織を取払いベットに寝かせるが、やはり出血が激しく、下に敷いてあった布を見る見るうちに赤く染めた。
赤色が広がるのと同じ早さで、京楽の胸に広がる不安感も全身に染み渡る様に募った。
序々に準備が整い始めて周囲に機器が運び込まれ、隊士が集まってくると京楽は卯の花に廊下で待っていてくださいと言われて治療室を出た。
廊下に出ると、ぶつかりそうになった女性隊士にかなり驚いた顔をされた。

「きょ、京楽隊長…お怪我をされているのでは…?」

京楽が何の事かと自身の体を見ると、名前を抱いていた位置にはべっとりと血が付いていた。
隊長羽織が白色なだけに、それが目立った。

「ああ、これ、僕の血じゃないから。
 大丈夫」

京楽が身を翻してその隊士から離れようとすると、また驚いたような声をあげた。
今度は何か、とすこし煩わしそうな顔つきでそちらを見やると、最初は怯んだような顔をしたが、直ぐに一言「待ってください」と言った。

「…背中と腕、怪我してますでしょう。
 治療させてください。
 四番隊では怪我人は放っておけません」

京楽は溜め息を付いて、その隊士に大人しく従った。
治療が始まっているであろう治療室を名残惜しげに見つめながら。
そして、その数室先にあった簡易の治療室で京楽は治療を受けた。
幸い、京楽は名前の様な大怪我は負わなかったので、少しの手当で済んだ。

「…ありがとう」

「い、いえ…」

京楽は一言そう告げると、素早くその場を去った。
だが、顔には笑みの欠片一つなく、まるで何時もの京楽とはかけ離れていた。
治療をした隊士はそれを驚いたような顔で見送った。

京楽は廊下に出て、治療室の前の椅子に座る。
虚が消失した場所に行く前に名前は京楽に「ダメ」と言った。
名前は虚の危険性を分かってそう言ったのだろう。
京楽だってそれは十二分に分かっているつもりでいた。
それに、あの状況では京楽が戦線に出なければ仕方ない状況だった。
どう仕様も無い状況に、俊敏に対応出来ていなかった。
悔いても悔いても仕方ない事の筈なのに、次々と「もし、ああしていれば」という考えが延々と頭の中を巡り続ける。

「僕は、莫迦だ…」

壁に背をつき、両手で顔を覆って深く大きな溜め息をついた。
背を付くと、あの三本の鋭い爪の傷跡がずきずきと痛んだ。

京楽がずっとそうやっていると、治療室のドアが開いた。
窓の外は既に、空が赤みを帯びるような時間帯だった。
数人の隊士がベットに横にした名前を運び出して来た。

「名前…」

ベットに横になった名前は丸で陶器かなにかの様な肌の色。
何時もの様に丸くなって、幸せそうに寝てる姿なんて少しも想像出来ないくらいだった。
京楽は少しの希望をかけて頭を撫でた。

どうか、何時もの様に丸くなって寝てくれ。
どうか、何時もの様に幸せそうな寝顔をしてくれ。

どうか、目を覚ましてくれ。

だが、名前は目を覚ます気配すらない。
胸が上下しているから生きてはいる。
いつか京楽が浮竹に言われた「死んだ様に眠る」という言葉が頭を巡った。
京楽が顔を顰めて、頭を撫でた手をぎゅっと握ると、卯の花が京楽に声を掛けた。

「…いま、此の子がどんな状態かをご説明致します。
 今少し、時間を頂けますか?」

「……ああ」

京楽は卯の花に促されるまま、また同じ位置に腰掛けた。
卯の花も、その隣に座って口を開いた。

「取り敢えず、一命は取り留めました」

「そのようだね」

「ですが、目が覚めるかどうかは別問題のようです」

卯の花が前を見据えたままそう言うと、京楽は卯の花の方を向いて「何を言ってるんだ」と言った。

「まだ、治療直後なので経過を見ませんと分かりませんが…。
 あの子は頭に強い攻撃を受けたようですね。
 そして、元々あの子は霊力の調節などに少々問題のある子です。
 自身の意識をコントロールしてその調節を行っていた筈ですが、それが怪我によって突然意識を寸断されれば…また霊力の漏洩が始まるかもしれません。
 そうすれば、あの子の意識は戻らないかもしれません」

「…技術開発局で制御装置は作れるって最初に言ってたじゃない」

名前が最初に霊力の漏洩を知らされた時、技術開発局は補助器具としてそれの使用を提案して来た。
それがあれば何とかならないだろうかと京楽は言った。
だが、卯の花が首を横に振った。

「あれは、名前さん自身の制御もあって初めて効能を表すものの筈です」

「…じゃあ…どうすれば良いって言うんだっ…!!」

京楽が声を荒げてそう言うと、卯の花は目を伏せた。
周囲に居た隊士が驚いたような顔つきをして京楽を見た。

「自然に、時間をかければ回復するかもしれません。
 私たちも出来る事は致します。
 ですが、私たちは暫くあの子を待ってあげましょう……」

卯の花はただただ穏やかにそう言い、京楽の肩に手を置いた。
京楽は、その大きい体を折って頭を抱えた。

「こんな、陳腐な悲劇みたいな話…有り得ないだろ……」

京楽はそう呟いた。
夕日が京楽と卯の花を照らして廊下に影を作ったが、今日の京楽の影は大きな筈の背が一際小さく長くうつった。






京楽は名前の眠る病室の窓に近寄り、大きく開け広げた。
両開きになるその窓を大きく開ければ、心地よい風が吹き込んだ。
その中に混ざっている花の匂いは、桜。
それは病室の前に植えられた桜から、風に乗って花びらが数枚部屋に舞い込んで来た。
窓の桟に引っかかったその中の一枚を京楽は手に取った。
京楽は至極、無機質な目でそれを見つめた。

「君が眠ったのは夏…もう、春だよ」

春、という言葉に京楽の頭に中では思わず名前が「春くん」と呼ぶ姿と声が浮かんだ。
もう、久しく名前の口からそう呼ばれていない。
そろそろ、頭の中でそう呼ぶ姿だってもやがかかった様になって来た。
幾らまたそう呼んで欲しいと思ったって、名前は目を覚まさない。

桜を見れば、いつか名前と一緒になって桜のしたでまどろんだあの日が蘇る。
初めて出会った時も、桜が咲いていた。

京楽自身の名前にだって、春が存在する。
自分の親が付けた春水という名前に何の意味があるのかなんて聞いた事が無い。
だが、名前と何時か春水という名前について話したときには春水というのは「春になって氷が溶けて流れる水」の事だという話をした。
すると、名前が納得したような顔をした。
京楽は「水なんてつまらない」と言うと、名前はそんな事ないと言った。
京楽は何故かと問いた。

「だって春の水は、さむーいさむーい冬を越した皆に、あの透き通った美味しい水を与えてくれるから…。
 それで、春の花は咲くし、動物も長い冬眠を超えて喉を潤す。
 私たちだって、冬の寒い季節に敬遠してた水に手を伸ばし始める。
 そうやって、みんな新しい生活を歩み始める
 そんな、生命の源になるような存在の名前なんて、とても素敵だと思う。
 春くんは、確かにそういう人だと思う。
 もちろん、私にとっても、そういう人だと思う」

そう言って京楽をただただ驚かした。
その時は凄く嬉しかった。
少しだけ、今更柄にも無く親に感謝したような気持ちにもなった。

ただ、今は少しだけその名前が疎ましい。

春には名前との両手に収まらないほどの思い出がある。
その中の一つに、自分の名前が引っかかるなんて、名前が目覚めないまま一人で春を迎えた京楽にとっては苦痛以外の何物でもない。
春くんと笑顔で呼ぶ姿も
一緒に花を見ながらまどろむ時も
自分の名前にある春でさえも
すべてが京楽に今は一人である事を痛感させる。

「お花見でも、行きたいねえ」

京楽は桜を眺めて一人ごちた。
暫くそうやっていた。
だが、名前の近くに寄って頭を撫でた。

そして、名前の体にのびる機器類のコードの先を全て取り外して、羽織で包み両手に抱えて窓から下に飛び降りた。

丁度降り立った先に隊士がいて、止めに入られた。
だが、京楽は「直ぐ戻るから」と言ってその場を瞬歩で去った。
そして少し離れた河原に降り立って、それに沿う様にゆっくり京楽自身の足でそこを歩き始める。
ゆっくり、今の季節のひとつひとつを噛み締める様に。
川に流れる水は確かに「春水」。
底まで透き通り、そこには魚が泳いでいた。
川の周りには春の花が色とりどりに咲いている。
京楽はそれを見ながら更に歩みを進めた。
そして、森の中に足を踏み入れた。
最初は道無き道だったが、いつの間にかそこには道が出来始めていた。
京楽と名前しか通らない道。
それは、あの丘へ続く道だった。
京楽が暫く歩くと、森の先が開けてきて丘に出た。
そこには、早咲きでありながらも未だ頑張って咲き続けている桜の木。
京楽は名前を抱いたまま腰を下ろした。
そうやって暫くの間時を過ごそうとすると、はらりはらりと桜の花びらが散ってきて、名前の顔や鼻さきにちょこんと止まったりする。
それを見て京楽は微笑んだ。
起きる事は無くても、静かに京楽はそれを取り払った。
そして、ゆっくりとした手つきで頭を撫でた。

「早く、君と桜見たかったなあ…」

京楽は目を閉じた。
桜の匂いが増々色んな事を思い出させる。

ああ、いつまでこんなの続くんだろう。

背中の痛みや腕の怪我ばかりが姿を消して、この苦痛はいつまでもつ姿を消さない。

そのとき、京楽の頬に暖かい感触がした。

「春くん」

京楽が驚いて目を開けると、名前はまだ眠そうな目をしてこちらを見ていた。
名前の延ばした片手が、京楽の頬を包んでいた。

「…名前……?」

名前は京楽に名前を呼ばれるとこちらに笑ってみせた。
だが、何でそんな無きそうな顔してるの、とでも言いたいような顔もした。
そして、ふと頭を上に上げたかと思うと「桜」と一言呟いた。

「…わたし、またずっと、寝てたの…?
 こんかいはちょっと、ねむりすぎたら春になっちゃった…。
 わたし、お寝坊さんみたい…」

「…本当だよ。
 ずっとずっと、眠りっぱなしでさ」

京楽が笑ってそういった。
そして、ぎゅっと名前を抱きしめた。
名前はまだ少し力が入らないのか、京楽の死覇装の胸元を弱く握ってかえした。

「ありがとう…春くん……」

もう、京楽は一人じゃない。
やっと、春が春らしく感じられる様になると、世界は一気に色付いて見えた。
そういえば、世界はこんなにも鮮やかで美しいものだった。
それを気付かせてくれたのは他でもない名前だった。

強い風が吹いて、今の今まで京楽と名前を待っていたかのように咲いていた桜の花びらをぱらぱらと散らし始めた。


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