笑顔

「笑顔を届けにきたぜ」

「あいにくセールスや勧誘はお断りしてますので。お帰りください」

3月のまだ冷える空気を背に、彼女の部屋をノックした。
暖かい部屋にあがることを期待していたのに、部屋の主は廊下の空気より冷たかった。

なにせ、ドアを開けじろりと俺を見るなり、眉根を寄せつっけんどんに先ほどの台詞。
あまりに無慈悲ではないか。

「あのねコルト、俺何か売りに来たと思う?」
「そういうわけじゃないけど」
「だろ。強いて言えば春くらいで」
「そろそろお亡くなりになれば?」
「ブラックジョークキツすぎるって……」

さっきまで不機嫌丸出しな顰めっ面が、いつの間にかにこにこしていた。姉を彷彿とさせるコルトの振る舞いに背筋が寒くなる。

やがて彼女は興味を失ったようにドアの前から去った。
こちらを見向きもせず、さっきまでしていたらしい拭き掃除に戻った。
勝手にあがれ、ということらしい。

彼女の部屋は、元は客室だったところだった。必要最低限のものしかなかったはずだ。
が、姉や啓司がやたら調度品を買い与えた結果、コルトの部屋は次第に女の子らしいパステルカラーに彩られていった。

結果、カーテンは白と水色のストライプだしベッドはピンクだし。うわ、ドレッサーまである。さすがVIP。
とはいえ、お嬢様だからというよりコルトがかわいいのだろう。あの毒素たっぷりな敦夜や無関心なナルヤでさえ気に入っているようだし。

単純に、そう、彼女は。


「ちょっと、こっちみないで変態」

「いや、本日も実に美しくあらせられる。マドモアゼ「土に還って」」

冷たく言い放ち、曇った窓を拭き続ける。上の方まで手が届いていないのが可愛い。


「俺も掃除手伝うよ」

「じゃあゴミ処分してきてくれる?」

「おっけ。どれ?燃えるゴミ?燃えないゴミ?」

とはいえこの部屋にゴミ袋など見当たらない。
コルトはしっかりしているから、そういった生活に関することはこまめに処理しているはずだし。

しかし彼女は曖昧にぼかしたように言う。

「んー燃やしても潰しても海に沈めても処分場に回収させても山に不法投棄してもいいよ。あーリサイクルは勘弁かな。とにかく処分したいの」

「…………それって何の事カナー」

「たった今大きなたんぱく質が転がりこんできて、困ってるの。赤毛でへらへらしてるの。あーメガネは燃えないね」

わあ、すっげえいい笑顔。
超かわいいし。

とはいえそう言い負かされてばかりでは立場がない。
油断した彼女の右手から雑巾を奪い取って、手の届かない高いところを拭いてやる。


「うー…なんかずるい」
「まぁ、男なんで」
「…………」

口を尖らしたかと思えば、彼女は途端に表情を陰らした。

「わたしだって、男だったら…」

ああ。

男だったら。
彼女は、祖父の手助けをできたかもしれない。

男だったら。
彼女は、守られる側でなく、守る側に。

以前そんなことを漏らしていた。



「……んー」

すっかりしょげてしまったコルトを隣に、そのままベッドに座り、おいでと彼女を手招いた。
膝にコルトを乗せ、頭を撫でてやる。

「……よしよし」
「…うー。ばか。セクハラ」
「ごめんな」
「変態」
「はいはい」
「ゴミメガネ」
「…………」


この期に及んでそんな文句を言うとは。
案外へこみきっているわけでもないらしい。

「まあ、俺はコルトが女の子で良かったけど」

「なんで?足手まといじゃないの?」

「ぶぁか。違えよ。んなわけあるか」

「え、でも」

「マジで足手まといなら、ねーちゃんが見捨ててる。多分出会った瞬間に射殺だね。あの人は上司の孫娘とか関係ない」

「え…いやそこまで…」

「いいや、きっとしれっと『すみません、流れ弾に当たってしまいました』とか言って処分だな」

「あー…ありそう……」

「まぁさすがに極端だけど。でもこんな甘やかされて足手まといは無いだろ」

「そう…かな…」

「まあ実戦じゃ足手まといだけど」

「…………」

無言で殴られた。
その拍子にメガネが吹っ飛ぶ。かしゃん。

「あ、ごめん」

「別に。ちょっと見えなくなるくらい」

嘘だ。あのメガネにレンズはあるが、度は入っていない。

「取ってくる」

「ん、いいよ」

沈黙。
ふ、と軽くためいきをついたコルトが頭を俺の肩に預けた。
それを撫でる。髪はさらさらとしていて触り心地が良かった。

「コルトが女の子じゃなかったら、こんな可愛くも柔らかくもなかったんだろうなー…あーあったかくてきもちいい」

「うるさいなー…変なこと言わないでよ」

「はぁ、でも俺メガネないから見えないなー、ここはほっぺかな」

ぷに。
明らかにほっぺたではない、鎖骨の下にある申し訳程度の膨らみをつつく。

「だっ……さっ最悪!最悪!……っ」

勢い良く繰り出されるパンチ。右ストレート、左ストレート、右手の真正面、左手のアッパー、の順で俺の顔面を凹ませていく。痛い!


先ほど燃やすか埋めるかと揉めたたんぱく質は、見事潰すかのようにボコボコになった。そして、部屋の外に投棄された。

「次来たら殺す!」

既に三途の川が見えます。


ふと、俺はあることを思い出した。

「コルト、これ」

「何?慰謝料の支払いは弁護士を通してくださる?」

ポケットから、小さな黄色い花を取り出す。
それを彼女に見せた。

「たんぽぽ?」

黄色くて小さくて強いところが。

「うん」

誰かを連想させたから。

「…へえ、」

その綻んだ笑顔が見たかった。
その表情を浮かべさせたかった。

「……引きちぎってきたんだ」
「…確かにそうだけど」
「…………」
「いや、その…水で生けてあげて下さい」
「…わかった」

その花は花瓶には小さすぎたし、コップにも足りない。
結局プリンカップに生けられていた。

「可愛いね、たんぽぽ。もう春なんだ」

「ん。春を売りにきたって言ったじゃん」

「そういえば。じゃあ何か対価がいるの?」

「あー…んじゃ、コルトの春で」

「くたばれ」



結局。
やはり花をむしるのはよくないと彼女に諭された。
だから、現物がなくても良いように、と次のオフの日に二人でデジカメを買いに行った。
これに、また互いに伝えたいものや思い出を映すことになるだろう。


 



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