二章
06
その日の夜。
鯉伴はなんとも言えぬ表情を浮かべたまま帰宅した。
本家はそんな鯉伴に関わらず賑やかだ。
「鯉伴様?どうかしましたか?」
そんな鯉伴の変化をいち早く察したのは元とは言え一番の側近とも言える首無だ。
「…………はぁぁ」
「え、どうしたんです?本当に」
鯉伴は己の思うようにならぬ母に苛立ちにも似た感情を抱えた。
ままならぬそれに頭をガシガシとかく。
「あれ、父さん今までどこかに行ってたの?
おかえり」
「おお、リクオ。おかえり」
「へ?」
おかえりと言ったのにおかえりと返ってきた言葉にリクオはキョトンとした。
「お前も男なんだからしっかり妖怪一匹でも撃退できるようになってとけよー」
「えっ、えっ!?」
「バレてないとでも思ったか?」
まだまだ子供だな、とニヤニヤと笑えば息子はゲェッと言いたげな顔をしていた。
「……………………」
「…鯉伴様?
リクオ様見つめてなに固まってるんです」
「………………あー!モヤモヤする!クソっ!!」
「え。今度はなんなの父さん」
「親父に言いたいが言えないし、リクオに理由を話したい気もするけど話せない。
非常に俺は今モヤモヤしてるんだよ」
あ゛ー!とこれでもかと頭を掻き毟る鯉伴。
「どうしよう首無。父さんおかしくなってる」
「割と昔からだと思われます」
「ええ……」
「首無お前な………」
いつも整えているとも言えないような髪型ではあるが、いつも以上に頭をボサボサにした鯉伴はジト目で首無を見た。
「一体なんだって言うんですか、鯉伴様」
「…分かんねぇよもう」
「あなたがわからないことを私たちが分かるわけないでしょうが」
「お前マジで俺に対する対応が塩」
昔より100倍マシだけど。
「よくわかんないけど、何かあるなら話してよね?」
「いや、話したいが話せないことなんだわ。
悪いな、リクオ」
「?そう。よくわかんないけどわかった。
もう遅いし寝るよ。おやすみ、父さん、首無」
「おやすみなさいませ」
「おやすみ」
どこか眠そうに目を擦るリクオを見送り、鯉伴は縁側にドガリと雑に座った。
その隣に首無もまた腰掛ける。
「一体何があったんですか、鯉伴様。
あなたがそこまで表に出してモヤモヤしてるなんて」
「…………いきなりだがよ、首無っておふくろ生きてる頃にはいたよな?」
「え?それはえーっと…
おふくろとは…初代の奥方様…ですよね」
「ああ」
そして首無はええ、一応ご存命の時にここへ来ましたよ。と言う。
「だよなぁ…」
「それが何か?」
鯉伴はなにか考える素振りをみせ、周りを確認し出す。
首無としては一体何をしているんだろうと疑問を持つばかりでとりあえず鯉伴が話をしてくれるのを待った。
「…なぁ首無」
「はい」
「あるところにそれはそれは愛し合った夫婦がいたとさ」
「なに突然昔話始めてるんですか」
さっきから突拍子ないことばかりで首無はいつも以上に鯉伴のことがよく分からなかった。
奥方の話をし始めたり、昔話を始めたり…
「その夫婦は誰が見ても仲睦まじく、互いを深く愛し合ってることは一目瞭然だった。
夫の方が隠すことなく愛を告げ、妻はそれをただ受け入れ、例え同じ気持ちであると口には出さず、行動に示さずともな」
「はぁ…」
それはそれはきっと、良い夫婦だったのでしょうね、と相槌を打った。
「でも妻の方が、早く死んじまった」
「え、えぇ…」
淡々と鯉伴は庭をぼーっと眺めながら話し続けた。
「夫は妻亡き後もずっとずっとその妻を愛し続けた。妻がもうそばに居なくとも、自分に残された長い人生をかけて妻だけをずっと。
生前の思い出に浸り、残していったものを愛でながら。またいつか、自分が死したあと会えると信じてな」
その夫の、妻に対する深い愛。
溢れんばかりの愛情。
それはきっと言い表すことの出来ないほどの物なのだろう。
首無はそう考えた。
「長い時間をそうして過ごして、妻であった者が転生した」
「………転生…ですか?」
「ああ」
やはりまたしても突拍子のないことを言う。
「俺だったらよ、愛した…
いや、今もまだ愛し続けてるその人が新しい命を受けてまた生まれてきたってんなら会いたくて仕方がねぇと思うんだ」
「…確かに、それはそうでしょうね」
「でも妻の方は会いたくないと言うのさ。
自分が死したあの時間から長い時間が経ち、さらに記憶があろうとも自分は"夫に愛された私では無い"と。ぶっちゃけ俺はよくわかんねぇんだけど、これ」
夫に愛された私でないことがそんなにも重要なのだろうか。今の私と過去の私。
確かに全くの別人であるかもしれないが根本的なものは何一つ変わってはいないのに。
何が違うというのか。
「まさか…り、はん様……」
「…………おふくろが、生まれ変わってる。
しかもバッチリ記憶持ってな」
「なっっ」
流石にこれで分からないほど首無は馬鹿では無いなかったようで、彼は察してくれたようだった。
「…お前にしかまだ言ってねぇから、誰にも言うな。おふくろに釘刺されてんだよ」
「そんな、そんなこと気にせず初代にそれをお伝えすれば良いでしょう!?」
「おふくろの気持ち無視してんなことできるかよ」
父を敬愛するように、母もまた心から信愛し、敬愛し、尊敬している鯉伴は母の願いを無下になど出来なかった。
「まっ…てください…
もしかして、昔あなたが死にかけたあの日あなたを助けたのは…」
「ガキの頃のおふくろだったみたいだな。
あん時はただ死にかけてたから幻覚とかそういった類かと思ったがどうやら本物だったらしい」
「………奥方様………」
「おふくろも、死んでもいつまでも子煩悩だな」
親になった今だからわかるが、きっと自分もそうなるのだろうけれど。
「…とりあえず、親父にはこのことは黙っておくことにする」
「しかし…」
「でもいずれは勿論言うつもりだ。
親父の想いは俺も何百年と知ってる。
だから親父のためにも絶対に言うつもりではいるが…その為にはおふくろの説得をしようと思ってる」
「…上手く行きますか?それ」
「ほぼ無理だな」
論破しようとしてもおふくろはむしろその上からねじふせてくるタイプだからな!と思わず鯉伴は胸張ってそんなことを言ってしまった。
「胸張るところじゃないでしょう…」
「おふくろは理論とかそんなんじゃねぇんだよ…嫌なら嫌。無理はモノは無理。
そう言って断じて意見変えない人だからな」
「ええ…私が入った頃にはもうご高齢ではありましたがあの方には誰一人頭が上がりませんでしたからね…」
それは初代のぬらりひょんや息子の鯉伴はもちろんのこと今や大幹部とも言われる牛鬼や狒々、引退した雪麗等みんながそうだった。
「そういえば、奥方様は…」
「…リクオの同級生になってたわ」
「リクオ様の………
……………えええええええええ!!!?」
「でも流石おふくろ。
リクオと同い年とは思えない発育の良さ」
「鯉伴様一度往生した方がよろしいと思いますが?」
「目が怖ェよ」
でも本当だっつーの!と鯉伴は腕を組む。
「多分ありゃ昔のおふくろと同じ感じになるのはほぼ確実だわ」
「………初代に見つかれば速攻で攻められそうですね」
「それがまた怖いんだよなぁ」
何も知らぬまま父が母に出会ってしまった場合
それはある意味最悪だ。
「と、なると一刻も早く説得することが得策でしょう」
「そりゃそうなんだがな…」
生憎、恥ずかしいことにおふくろをねじ伏せる話術は自分にはない。
自分も喋りには結構自信はあるし、ぬらりくらりとした話も得意だ。
だがしかし、これらはどれもこれも母を見て学ひ、身につけたものであるで、母からアドバイスも沢山貰って身につけたものだ。
教えの元である人にそれが通じるとは到底思えない。
「…とりあえず、今出ることといえば粘り強く通うことか。おふくろんとこに」
「…原始的ではありますが、おそらくそれが一番いいでしょうね。今は」
「はぁー……
誰かもう一人親父の代の奴巻き込むか」
自分と首無だけではどうにも力不足だ。
「牛鬼か?………うーん、つってもあいつはおふくろには本気で頭上がんねぇしな」
「そ、そうなんですね」
「…狒々あたりがいいか。
あいつはいつもおふくろと遊んでたし、牛鬼と同じくらい仲良かったはずだからな」
確実にこちら側の味方をしてくれるだろう。
あいつはあれでも親父とおふくろのやり取りを見るのが楽しくてよく本家に遊びに来ていたやつだから。
また見れるかもしれないとなれば乗ってこない手はないはず。
「よし。決めた。明日狒々んとこに行くわ」
「わかりました。では手配しておきましょう」
「悪いな、首無」
さぁ、方向性は決まった。
また、おふくろと幸せそうに笑い合う親父が見れるなら。
幸せそうに笑う両親が見れるなら。
ここは息子が一肌脱いでやらぁ。
とりあえず、寝るわ。
ええ、そうしてください。
そして早く起きてください。
早起き苦手なんだよ。
それは数百年前から知ってます。