肆
「ふむ……」
朧は縁側にて柱に背を預けながら庭を眺めた。
ここ数日、なにやらどこからか見られている気がする。 けれどその姿はどこにも見えない。 その正体を探るために見聞色の覇気を使えどはっきりとどこにいるかは分からないのだ。
ただ、いることだけはわかる。 その程度しかわからない。
「姉様?どうなさったのです?」
「珱…患者はよいのか?」
「はい、先程滞りなく」
桃色の着物をまといゆっくりと歩いてきたのは妹の珱。 治癒の力を使ったからか、珱は少しばかり疲れたような顔をしている。
「そう。お疲れ様」
「ふふ、いいえ。 昨日は姉様がやってくれたではありませんか」
鍛えている私とは違い、普通の姫であるため鍛えてなどいない珱には多くの患者を診るほどの体力はない。 私も鍛えているとはいえ、前世よりはだいぶ弱い。 とはいえ、この世界の女人からすれば相当強い部類には入るであろう。
「父上は知らぬが、我らの力は無限ではない… 力を使えばそれ相応の疲れがくる。 なのに父上はこうも金のあるものばかりを呼び付け我らに病を治させる」
庭を眺めながら語る私の隣に珱はゆっくりと腰掛け、静かに私の聞いていた。
「珱…しばし横になるといい。私がいる」
「よ、横になる…とは?」
私はクスリと笑い、膝をぽんと叩く。
「膝枕だ。珱には特別に私の膝を許そう」
「え、えぇ!?」
「ふふふ、予想どおりの驚き方だな」
珱は相変わらず可愛いものだ。 昔と変わらず、純真無垢に育ってくれた。
「それ、はよう来い。私の膝が寂しいぞ?」
「もう!姉様ったら!」
そうも言いながら、失礼致します。と私の膝に寝転ぶ。 縮こまりながら寝転ぶ珱の髪を微笑みながら撫でれば、見上げる珱は頬を赤く染めていく。
「うう、もう、なんなのですか…!」
「なにが?」
「姉様はどこから見てもお美しゅうございます…。 私が妹など思えません…」
赤くなった顔を両手で隠してしまう珱。 私はそれにまた笑った。
「私がそうも美しいのなら… 実の妹の珱もまた、美しいに決まっている。 ………珱は、母に似てとても美しい。安心せよ」
「そ、そういうことを申してるのではありません!」
「そう照れるでない。 私は本当のことを言っているだけだ」
「姉様!」
がばりと起き上がり、私の腕をペしりと叩く。 叩いたと言えど当てたというくらいの力加減だが。
「珱は、本当に愛らしい。私の可愛い妹だ」
「姉様…?」
その頬に手を当て、そのまま髪を耳にかけてやる。
「私の可愛い珱。…本当にお前は愛らしいな。 …どうもここ最近妖怪の動きが激しいのもある。 私は心配で仕方ないのだ」
「な、私よりもご自身のことをご心配してください!」
「私は良い。その気になれば妖怪なんぞ潰してやるわ」
「え……あ、姉様が!?」
なぜそのようなことを姉様が!?と言いたげな珱に私はまた笑みをこぼす。
「人も妖も急所は違わんと是光が言うておったからな。 とりあえず頭でも切り落とせば死に絶えよう」
「な、なんて事を! 是光様は一体何を姉様にお教えしているのですか!」
「いや、私が聞いたことに彼が答えただけだ。 是光を責めるでない」
是光とて姫にそんなことをいきなり教えるわけはない。 それに、聞いた時だって相当渋い顔をしていたものだ。 本当ならそんな話したくなかったんだろう。 それがひと目でわかる程の顰めっ面だった。
「……私は、姉様にそうのようなこと…… 姉様にして……欲しくないです」
「万が一の話だ。 珱を守る為ならば妖怪でも人でも私はいとわず殺そう」
「姉様!?そのような物騒なこと言わないでください!」
珱はひどく驚き、私にそう怒りつけた。
本当、珱は心優しい姫だ。 私とは違い、殺られても文句のつけようがないモノまでにも慈悲の心を向ける。 かつての私ならば嘲笑ったことだろう。 今であろうと私からすれば、理解など出来ぬところもあるが、それもまた珱とも言える。
「…私はな、珱」
「はい…」
「幼き頃に母を亡くしたお前にこうも真っ直ぐに育ってくれたことに感謝しているのだ」
「幼き頃なんて…姉様とて同じでしょうて」
「とはいえ私は姉だ。 一年早く生まれ、一年も長く母と共に居れた」
珱よりはずっと長く、あの母と共にいれたのだ。
「だからな、珱」
「はい」
「私は珱にたくさんの愛情を注いできたつもりだ。 未だ、母からの愛を受けるべき年頃に母を亡くしてしまったからな…」
「姉様…」
「私はひとつしか変わらぬがそれでも姉だ。 …私が珱の母親代わりになろうと幼き心ながらそう決めていたのだ。…私は、お前の母になれたか?」
我らももう年頃だ。 父上はいずれ縁談の話を持ってくるだろう。 それがいつになるか分からないのなら、今からでもこうして姉妹同士の時間を大切にしたい。
「………姉様が私の母であったかは分かりませぬが、それでも姉様はいつも私のことを思うてくれています。 それが私はいつも嬉しゅうございました。 母がおらずとも寂しくなかったのは姉様のおかげです」
「………少しでもそう思ってくれているのならば、やって来たことが間違いではなかったということだな」
「ふふ、姉様は本当にお優しい人ですね」
私など、優しくなどないというに。
「私が優しいのはお前にだけだ、珱」
それを間違えてはいけない。 私は、ただ珱を守りたいだけ。 この世でたった一人の、可愛い妹を。 そのほかなど、私はどうでも良いのだ。
「……珱」
「はい?」
「気をつけるのだぞ」
「え…?」
今一度注意をした私に、ぽかんとした顔を見せる。 そんな珱に私は笑みを見せ、立ち上がった。
「先程も言ったがこの頃、何かと妖怪が喧しいからな。 気をつけることに越したことはない」
「姉様…」
「では、私は部屋へ戻る。珱も体を冷やさぬようにな」
「…はい、ありがとうございます」
結局、今日も何もわからなかった。 私たちの周りに纏まりつくような見知らぬ視線。 それが何もなく、珱に被害なく終われば良いのだが。
「ではな」
私に何かあるのならば良いが、珱であったならばひとたまりもないだろう。 だからどうか、珱の身に何も起こらぬよう願う。 ただ、それだけだ。
どこの誰だかは知らぬが
私の珱に何かあればその首切り落としてくれるわ
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