私がぬらりひょんに嫁いで、どれだけの月日が経ったのだろうか。




「今年も……庭の桜が綺麗に咲いたな……」

「そうじゃのう。相変わらず、綺麗じゃ」




そう言うのは私をいつものように胡座の上に乗せて満足そうにするぬらりひょん。
その姿は出会った頃と全然変わらない。
ただ髭を剃るのが面倒なのかわからないが、顎に少しばかり生えていて見苦しい。




「……ぬらりひょん」

「なんじゃ?」




か細い声で呼べば、ぬらりひょんは真綿で包むように優しい声で言葉を返す。




「私は、あなたと生きられて……幸せだった」

「急になんじゃい。……ワシだって、そうじゃ。
あんたはワシを今までにないくらい幸せにしてくれた」




優しく微笑むぬらりひょんに、私は笑う。

ああ、なんて悔しいものか。
ぬらりひょんはこんなにも生気に溢れてるのに
私からはどんどんと生気が抜けていくのか。

愛するヒトと…
妖の生きる時の違いというのは、なんと悲しいのか。
こんなにも若々しいぬらりひょんに対し、私は老いて、今やもうシワシワのお婆さんだ。
こんな姿になってもぬらりひょんは昔と変わらぬ溢れんばかりの愛をくれる。




私は、なんて幸せ者なんだろうか。




「おー、おふくろと親父。
まぁたイチャついてんのかい?」

「なんか文句でもあんのかい、バカ息子」

「別にねぇよ。親父がおふくろにベタ惚れなのはガキの頃から知ってるっつーの」




よっ、と変な掛け声でぬらりひょんの隣に腰かけた息子 鯉伴はぬらりひょんの腕の中にいる私を見て優しく笑った。
その笑顔は、ぬらりひょんにそっくりで、愛おしい。




「おふくろってよ、可愛い歳の取り方してるよな」

「なんじゃ、可愛い歳の取り方たぁ」

「いやよ、ほら、時々いるだろ。
こう…山姥みてぇなすげぇ婆さん。
おふくろはそうじゃなくて、可愛いなって思える歳の取り方っつーの?」

「朧はどんなんでも可愛いし美しい」

「ハイハイ」




夫と息子のこういうやり取りはいつもの事だ。

鯉伴は立派に育ち、今や奴良組の二代目。
いつの間にか私の背も越して、ぬらりひょんのように大きく広い背中になった。
その背中で今や百鬼を背負い、引っ張っていっている。




「鯉伴」

「なんだい、おふくろ」

「……大きくなったね」




私がそんなことを言うと、鯉伴はキョトンとした顔をするもすぐに困ったような顔をして笑った。




「……そりゃなぁ。
おふくろから生まれて何年経ってると思ってんだい?」

「ふふ…
鯉伴を産んだのが、ついこの間のような気がしてな」




子の成長は早い。
特に、人間と比べて妖怪の成長は著しい。


「ぬらりひょんに、鯉伴に、乙女。
雪麗に鴉天狗、牛鬼や狒々……
奴良組の全てが、私の宝物だ」

「朧?」




名を呼んで脳裏にその姿を浮かべてみる。
ここでの人間は、私だけ。
ぬらりひょんと同じく周りの皆は初めてであった頃と微塵も変わらない姿が浮かんだ。




「ぬらりひょんと出逢えて、良かった」

「……そりゃあワシの台詞じゃい」




ぬらりひょんに出逢わなければ、こんなにも幸せになれなかっただろう。
毎日笑顔で暮らせなかっただろう。
生きることをこんなにも、楽しいとは思わなかっただろう。




「ぬらりひょん…鯉伴…」

「ん?」

「なんだ、おふくろ」

「……ずっと、二人の傍にいたいのに…
すまないな……私はもう」




もう、生きられないようだ。




「だぁいじょうぶじゃ。
奴良組の女主と言われるあんたはまだまだ生きられる」

「親父の言う通りだぜ」




なんと、優しいことか。
でもその優しさが今は少し心苦しい。

ぬらりひょんも鯉伴も、分かってるんだ。
私の命の終わる音が。
静かに消えていこうとしている、この音が。




「珱も、私より先に逝ってしまったからな」




私の妹、可愛い可愛い珱は数年前、天寿をまっとうし私より一足先に向こうへ逝ってしまった。
悲しかったけれど、私は不思議と涙は出なかった。

珱の死に顔が、とても穏やかで幸せそうだったからだろうか。
あの子の残した子供たちや孫たちが居たからだろうか。
…ぬらりひょんと出逢い、私たち姉妹は全てが変わったんだ。

私も珱も、心から愛する人ができて、子に恵まれたのだから何も寂しくはない。




ふわりと風が吹いて、桜の花びらが私の元へと届く。




「……珱……」




桜の花びらとともに、可愛い妹の面影が見えた。

…………私を迎えに来てくれたのか。




「……ぬらりひょん、もっと、強く抱き締めて」

「……あぁ」




老いた体には少しばかり痛いくらいの力加減で抱きしめてくれるぬらりひょん。
もう、これが本当に最後だ。




「鯉伴」

「なんだ?」




最期に、愛しい彼らは言葉を残そう。




「きっと、これからお前にはたくさんの試練が待ってると思う」

「……」

「でも私は信じてる。
お前は、私とぬらりひょんの子だ。
鯉伴なら、越えられない壁なんかない。
越えられないなら、そんなものぶち壊せばいい」

「……そういう問題だっけか?壁って」





あれ?と鯉伴は苦笑いする。




「……ついこの間、乙女を連れてきた時は随分と驚いたけれど、あの子はいい子だ。大切にしてやるんだよ」

「当たり前だろ?
俺の嫁だぜ、大切にしねぇでどうすんだ」




キッパリと言いきった鯉伴に私はクスリと笑った。




「鯉伴」




私の可愛い、愛しい子。




弱々しくてを伸ばせば、それをしっかりと掴んで握ってくれる。
子供の時のような小さくて柔らかいものでは無い、私よりも大きく骨ばった男の手だ。




「お前は覇気を使いたくても使えない、才能ない子だったけど」

「それを今言うか」

「お前は、妖怪としては才能に溢れてる子だ。
半妖だからと妖怪に劣ることはない。
お前は妖と人の面を持つ誰よりも可能性を秘めた子だ。
奴良組を、しっかり引っ張るんだよ」

「……あぁ」




話したいことが多くて、困るな……。
話残すことなんかないように、ちゃんと色んなこと話してきたはずなのに。




「これから生きる長い長い時間の中で、お前はもしかしたら死にたいと思う日が来るかもしれない。
世界に絶望してしまうことがあるかもしれない」

「おふくろ…?」




鯉伴は突然そんなことを言い出す私に少し驚いた様子を見せた。

私がふと思い出したのは、前世の奴隷だった頃のこと。
あの頃の毎日は、私たち姉妹にとって絶望以外の何物でもなかった。
生きることがどれほど苦痛だったか。
どれほど、死にたいと思ったことか。




「それでも…諦めてはならん。
心から死を望んでしまったとしても、絶対に死ぬな」

「…………」

「必ず、生きろ。そういう時こそ、歯を食いしばって、泥水啜って、誰に指さされようと生きるんだ。
そうしたら絶対に、幸せな日々は来るから」




私もそうだった。
奴隷のまま死ぬと思っていたのに、私たちは再び故郷に戻ることが出来た。
そこで強さを手に入れた。仲間を手に入れた。
自由を、手に入れたのだ。




「わかったな」

「……あぁ。肝に銘じとく」

「お前が三途の川渡ってこようとしたら…
私の覇気付き全力飛び蹴りだな……」

「本当の意味でそりゃ死ぬって……」




なら、渡ろうとしないことだな。
口元をひきつらせる息子に笑みをこぼし、私を抱く夫を見上げる。




「ぬらりひょんは…そうだな。
とりあえず隠居生活楽しめばいいんじゃないか?」

「雑かッ!!」




勢いのいいツッコミは相変わらずだ。
こんなぬらりひょんは、まぁ私に対してだけなのだが。




「……ぬらりひょんは、鯉伴のことを頼むよ。
この子はぬらりひょんに似て、バカだから」

「……素直に頷けんじゃが」

「…あぁ…
バカにバカを任せたらバカなことにしかならんな。
これは鴉天狗に任せるか」

「バカバカ言い過ぎだろ」
「バカバカ言い過ぎじゃろ」




声をハモらせる親子。
相変わらず、仲が良さそうで良かったよ。




「ぬらりひょんには、もう言葉が出てこん。
あなたには…感謝の念ばかりだ……」




私と出逢ってくれてありがとう。

私を見初めてくれてありがとう。

私を羽衣狐から助けてくれてありがとう。

私を妻にしてくれてありがとう。

私に子を授けてくれてありがとう。

私に奴良組という居場所をくれてありがとう。

私にたくさんの幸せをくれてありがとう。









私を愛してくれて、ありがとう。









「んなもん、そっくりそのまま返してやる」

「……あなたを愛せて、幸せだった」

「あぁ」

「あなたがいるだけで……
あんなにも汚く見えた世界が、美しく思えた」

「あぁ」

「……」




ああ、もう体に、力が、入らん。
珱…直ぐにそっちに行く。
だがもう少し、待っておくれ。




「ぬらりひょん」

「なんじゃ、朧」




いつもの、私への愛に溢れたその優しい笑顔
その笑顔が、私は何よりも好きだ。




「愛してる」

「……ワシも……
出会ったあの日からずっと、ずっと愛しとる」




あぁ……幸せだ。




「……少し、疲れた……」

「………なら、休むとええぞ。
ワシはずっと、ここにおるからの」

「…なら…安心だな……」




あなたの、腕の中はいつだって、暖かいな。
私の愛する、ヒトよ。













その日、この奴良組で誰よりも慕われ、皆の母であった朧が静かに息を引き取った。























……ずっと、ずっとワシはあんただけを愛してる……。

……おふくろ……。

鯉伴のことは任せろ。あんたに代わって、尻でもなんでも蹴飛ばしてやるわい。

………………。

じゃから……珱姫と向こうで笑ってるんじゃぞ。



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