肆
奴良組は祝福ムード一色だった。 ぬらりひょんと朧の間に産まれた赤子は『鯉伴』と名を付けられ、来る日も来る日も色んな妖怪に囲まれて遊んでもらう毎日。
「かぁぁぁわいいのぅ……」
「………………」
わが子を覗き込みながらニヤニヤ笑うぬらりひょんに朧は顔をひきつらせていた。 普通に笑みを浮かべればいいものを、なぜぬらりひょんだとニヤニヤ顔になるのか。 実に不思議である。
「……にしても…… 鯉伴はぬらりひょんに似てるな、やっぱり」
「そうか?」
「あぁ、このまま成長したらぬらりひょん二号になるんだな…」
「二号ってなんじゃ。仮にもあんたの息子だぞ?」
「仮じゃなくて実のだ」
この子はきっと成長していく中で憎たらしいほどぬらりひょんに似ていくのだろう。 なんというか嬉しいような、悲しいような。
「ぅー、あっ」
「おうおう、元気じゃのう。 やっぱ朧ん中で暴れてただけあるわい」
手脚をばたつかせると指を差し出したぬらりひょんの指を本能のままにギュッと握りしめる。 それにぬらりひょんは二ヘラ、と笑う。 このやり取りはもう今日で数度見た。
「親バカになるな、ぬらりひょんは」
「……息子ならならんと思っとったんじゃがのう…… やっぱり朧との子だと考えるだけで息子でも娘でも死ぬほど可愛いもんじゃ」
「……ふ、ふふ」
よく言ったものだ。 私はずっとぬらりひょんが親バカになるのは察していたとも、鯉伴が産まれる前から。 まだ鯉伴を腹の中に入れていた時にああも毎日我が子の動く音を聞きに来ていたのだ。 息子だろうと娘だろうとこうなることは予想できる。 まぁ、息子だったからまだこれで済んだ…とも考えられるが。 娘だった時の過保護さは恐らく異常だろう。
「のう鯉伴。鯉伴はワシの後継ぐのかい?」
「ぁー」
「そうかそうか!継ぐか!」
「いや言ってないだろうそんなこと」
思わずツッ込んでしまった。
「でも継ぐかと聞いて反応したぞ?」
「本能で声出しただけだ。誰も継ぐなんぞ言ってない」
「つれないのう……」
「つれるつれないの話じゃない」
何を言ってるんだこの親バカは。アホなのか。
「……じゃがのう、朧」
「ん?」
「なんでかわからんが、鯉伴はワシの後を継ぐ。 そう確信しとるんじゃ」
「………………」
その時見せたのは、総大将としてのぬらりひょんと、父親としてのぬらりひょんの表情が混ざったようなもの。 父としても、大将としても、何かこの子に感じたのだろうか。
「……二代目、か」
「妖の元服は十三。十三になったら若頭襲名かのう?」
「元服してからなのか?」
「あんまり早くてもな。それにワシも現役じゃい。 そう易々と息子に座ぁ譲ってやるわけにもいかん」
総大将として、初代魑魅魍魎の主としてのプライドなんだろうか。 私はそんなことを言うぬらりひょんに思わず笑うとなんで笑うんじゃい、と少し拗ねた様子のぬらりひょんにまた笑った。
「鯉伴、貴方の父は赤子にもムキになってるぞ?」
「あー!」
「……朧が話しかけると随分元気に声出すのう」
「やっぱり腹の中に居たから母親だとわかるんじゃないか?……まぁどうかは知らないがな」
さすがに前世での赤子の時の記憶など持ち合わせてないし、生まれた時から前世の記憶とその自我を持って生まれた今世は全く話が別だろうから私にもそれは分からない。 けれどやはりこというのは親に抱きしめられたり触れられたりするとひどく安心するものだ。 今世で母に抱き締められた時にそう感じたのはよく覚えている。
「ふむ……ワシは親から産まれた妖ではないからのう。 そういうのは全くわからん感覚じゃ」
「そうなのか?」
「あぁ。妖怪にも生まれ方は大方三つある。 鯉伴のように親から生まれる妖怪と、ふと気づいた時に妖怪として生まれている者、そして人の怨念や恨みから人を捨て妖怪になる者がいる」
私からすれば妖怪というのは『妖怪』という大きな一括りでしか見ていなかった為、その妖怪がどんなふうに生まれるというのは考えたことがなかった。
「へぇ……ぬらりひょんは?」
「ワシは二つ目じゃな。 気づいた時には存在していた、って感じじゃ」
「なら子供時代とかはないのか」
「生まれた時からこの姿じゃ」
「つまらん」
「オイ」
ぬらりひょんが私に向かってつまらんとはなんじゃ!!失礼な!!と騒ぐといきなり大きな声を出したぬらりひょんに驚いたのか鯉伴がビービー泣き始め、ぬらりひょんはそれに慌てて謝り、私は鯉伴を抱き上げてあやす。
「すまんのう鯉伴、びっくりしたか」
「びっくりしたな、鯉伴」
揺らしながらポンポンと背を叩いてやれば少しずつ泣きやみ、涙で濡れた目がいつもよりもきらきらとして見えた。
「……子供の時の朧はどんなんだったんじゃ?」
「?……今と大差ないな」
「は?」
「物心着いた時には姉としてしっかりしろと両親に言われていたからな、姉として可愛い妹を何事も優先させていた。あとは…まぁ珱は昔はやんちゃだったからそれに振り回されてたよ」
「……珱姫っぽいのう」
確かにあれの子供の頃は庭を走り回ってそうじゃ、と言うので全くその通りだと肯定すればやっぱりかと返ってきた。 お淑やかそうに見えて珱はなかなかヤンチャなのである。好奇心も旺盛だし。
「だが確かに朧がそこらを走り回ってるような感じはせんな」
「走り回っても何も楽しくないからな」
サラッとそんなことを言うものだからぬらりひょんはキョトンとする。
「……子供っちゅーのはそういうもんじゃろ?」
「まぁな。だが私は珱に駆り出されない限り、もしくは走らざるを得ない時以外は動く気はなかったからな」
「…………子供らしくないのう」
「そもそも姫として育てられていたのだからそうもやんちゃになるのは乳母を困らすだけだ」
私の乳母はやかましくてかなわん、と零せばカラスのような?と聞いてくるのであれよりはマシだが似たり寄ったりかもな。と苦笑いすれば普通に同情された。 そんなにお前は鴉天狗がやかましいのか。
「……鯉伴はきっとこの庭を走り回るんだろうな」
「そうだとええのう。ワシの息子なら口うるさいカラスから逃げ出すだろうが」
「……本当にやりそうだな」
「やるじゃろ、あいつの口うるささは日ノ本でも五本の指には確実に入る」
「鴉天狗は良くも悪くも真面目だからな」
長所も短所も、真面目なところだ。 だが超絶テキトーな大将であるぬらりひょんに対してお目付け役としてああも真面目な鴉天狗がいるから奴良組はやっていけてるのだと私は思う。 鴉天狗が緩くなったら確実に奴良組は終わる。 私はそう確信している。………実に悲しいが。
するとぬらりひょんは鯉伴を抱っこすると言うので渡してやれば笑顔を浮かべながら我が子を見下ろした。
「鯉伴お前の両親は超強くてかっこいいいんじゃぞ ?お前も早うおっきくなって強うなれ」
「自分でかっこいいとか言うか……」
「かっこ悪いか?」
「…………かっこいいよ」
私の返答に満足そうにニヤリと笑う。 かっこいいと言って欲しかっただけか、オイ。
「お前の父は魑魅魍魎の主で超かっこくて強くて最高の男じゃぞ 」
「……刷り込みなんかやめなさい」
「本当のことしか言っとらんじゃろ?」
「ナルシストかお前は」
「な、なる……なんだって?」
思わずここでは通じない言葉を出してしまった。 やっちまったと思ったが、異国の言葉が少しずつはいり始めているから異国語だとは何となく察しているだろう。 ……異国語から分からないが。
「ナルシスト、だ。自己愛に陶酔してる奴のことだ」
「……ワシは別にそんな自己愛に陶酔なんぞしとらんわ」
「それっぽいこと言っていたくせに何を」
「だから本当のことしか言っとらんのにその"なるしすと"?とかいう奴にされちゃあ困るぜ。な、鯉伴」
うーと唸る鯉伴に上機嫌になるぬらりひょんにため息をついた。
「お前の母は日ノ本で一番の美しさを持った女子じゃ。 器もでけぇ身も心も強え最高の女じゃぞ 」
「……恥ずかしいからやめてくれ……」
「おお、久しぶりに照れたのう」
「鯉伴に変なこと刷り込むな、頼むから」
「事実しか言っとらんと何度言わせるつもりじゃあんた」
なぜ私がつっ込まれねばならん……
「じゃが、そんなワシら二人の血を継いだ鯉伴は絶対いい男になるのう!」
「ぬらりひょんのように女誑し込む男にならんといいがな」
「…………そりゃあ、女遊びは激しかった自覚はあるがそれは朧と会う前だぞ?昔じゃ。 それにあんたに会ってからはあんた一筋じゃ」
「……会ったというか、屋敷では随分と不躾に見てたくせにか?」
「ありゃ随分と大層な噂をされる美姫姉妹を観察する為じゃったからのう。そりゃじっくり観察するじゃろ」
ぬらりひょんの技は本当ストーカーにもってこいな力だと思う。 さすがにそんなことは本人には言わないが……
「…………観察して、どうだったんだ?結局」
「まぁのう… どっちも遠目から見ても美女ってのはわかったかのう? あとは…やっぱり朧が欲しいと思ったからだな」
「なんだって私だったんだ?」
「なんで、か…… 京の都にゃ生き肝狙う妖怪がうじゃうじゃおったろう? あんたらも随分と狙われていたしの」
その通りだ。 何故か京には生き胆信仰が根強く、それを狙う妖怪があとを絶えなかった。 そして異能がある私らを狙う妖怪は特に多かったものだ。
「狙われた時、あんたはいつもなんの躊躇いも迷いもなく珱姫の前に出て守ろうとしていた。 あれを初めて見た時に思ったんじゃ。 『あぁ、あいつはいい女じゃ』ってのう」
「………………」
まさか、珱姫を護らんとする一心がそんな事になっていたとは。
「それ見て、そう思って、すぐに思ったぜ。 『あの姫は絶対ワシのモンにする』……ってな」
「……で、思惑通り自分のモノになったと」
「いや全っ然、思惑通りじゃねぇ。 そもそも羽衣狐に攫われる計画なんぞあってたまるか」
「…………それはそうか」
しかし、ぬらりひょんがいつから私たちを見ていたのかはわからないが私が思っていたよりも随分前から私に興味を持っていたとは知らなんだ。
「お前の母親はワシが女狐から奪い返したんじゃぞ ?凄いじゃろ 」
「……鯉伴が話せるようになったらあんた時分の武勇伝聞かせまくりそうだな」
「聞かせる気満々じゃからな」
既にハイレベルな親バカを発揮するぬらりひょんに私は本日何度目かのため息をついた。
って、鯉伴のやつ寝てやがる。
父親の話がつまらなかったんだな、きっと。
失敬な、ワシの話は面白いに決まっとる。
……本気で毎度思うがその自信はどこから来てるんだ?
ワシの奥底から。
……あんたと話してるとバカになりそうだ。
なんじゃと!?
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