漆
江戸と言う新しい場所にももう慣れ、奴良組での暮らしに何の不便も感じなった頃。
「朧の膝は気持ちいいのう」
「それは良かったな」
私の膝の上でぬくぬくとくつろぐのはぬらりひょん。 私が縁側でのんびりしていれば、音もなく突然現れ、膝の上にゴロンと寝て来たのだ。 何も言わずに寝っ転がられた時は何事かと思ったが、膝枕をしたかったのだとすぐに悟り、抵抗することなく、甘んじて受け入れた。
「……朧は今年で18じゃったか?」
「あぁ」
「ワシはもう百を超えてる……若いのう、朧は」
「年寄りだな、おじいさん」
「夫に"おじいさん"などと言うな。 それに妖怪の中じゃ若いほうじゃい」
妖怪は何百年という長い時を生きる生き物だ。 ならまだ100というのは確かに若い方なのだろう。 牛鬼など軽く500はすでに過ぎてるという話も前に聞いたことがある。
「……人間は100年も生きられない。 妖怪のお前からしたら随分と短い年月だな…… だが100にも満たぬ残りの年月… 全てお前に私は捧げたんだぞ」
「そうじゃのう…」
ぬらりひょんの髪を撫でてやれば、ぬらりひょんは気持ちよさそうに目を瞑り笑う。
私はこののんびりとした時間が大好きだ。 こうしていると、幸せを実感する。 私はこの男と結ばれ、愛し愛され、共に時をすごしているのだと感じることが出来る。
「朧」
「なんだ?」
「いつか来る、最期の時はワシの腕の中で逝け。 ずっと、傍におる」
この声色は、酷く静かなものだったがどこか悲しみを滲ませたものだった。 ぬらりひょんは私たち、人間と妖怪という種族の違い、生きる時の違いをわかって私を娶った。 だからいつか必ず来る最期を覚悟してるのだろう。 必ずぬらりひょんよりも早くに来る、最期を。
「……あぁ。私も、お前の傍がいい」
「当然じゃ。じゃが、逝く時は寿命でしか許さんぞ。 病気だの怪我などでは逝かせん」
「それは流石にわからないだろう… 怪我はまだ気をつけていればなんとかなりそうだが病気はなんとも言えない」
「ダメじゃ。ダメと言ったらダメじゃ。 お前はワシの腕の中で皺くちゃのババアになってから死ぬんじゃ」
「……そんな醜い姿は見られたくないものだな」
きっと私が年をとり肌のハリが失われ、髪の艶も無くなり老けていく中、ぬらりひょんは今の姿とほとんど変わらない容姿のままなんだろう。 女としては、やはりずっと美しいまま死にたいもの。 だがまぁ、到底無理な話なのだが。
「大丈夫じゃ。あんたなら婆さんになっても可愛い」
相変わらずの謎の自信に笑みをこぼしつつ、有り得なくは無いひとつの未来を口にしてみた。
「そうとも言えないかもしれんぞ。 どうする、山姥のようなすごいお婆さんになったら」
「ワシの愛する朧に変わりはありゃーせん。 どんな姿になろうと愛してやる」
「……そうか」
たとえ私が醜く老けようとも、愛してくれると言う。 ああ、なんと嬉しいのだろうか。 私はぬらりひょんの溢れんばかりの愛に胸が暖かくなる。
「……本当に人の生きる時というのは、短いものだな」
「朧?」
「私も妖であったら、これからの長い長い時をお前と過ごせるのに」
そしてこの奴良組を見守ってやれるのに。
「いいんじゃ、あんたはそのままで」
ムクリと起き上がったぬらりひょんはその手を私の頬に添えてスリスリとさすってくる。
「朧は今のままで充分美しい。 心配せずとも、心も体も、すべてな。 それに人間だからこそ、きっと美しいんじゃ」
「……よくもまぁそうも恥ずかしい言葉を吐けるものだな、毎度毎度」
「本当のことを言って恥ずかしいもクソもあるかい」
そう言ってぬらりひょんは触れるだけの簡単な口付けを私にして、額にもそれを落とすと私を抱き上げて胡座の上に横に座らせた。
「……ワシはあんたへの思いが京にいた頃よりもずっと強くなっていて困ってるんじゃ」
「ほう」
「好きで好きでたまらん。 愛おしくて、愛したくて、狂ってしまいそうじゃ」
「狂愛にはしてくれるなよ」
「そんなことはせんわ。 ワシは、あんたがどうしたら一番輝くかを知ってる。 じゃからその輝きを阻むようなことはせん」
むぎゅう、と強く抱き締めてくるぬらりひょんに私は小さく笑みをこぼす。
「私はぬらりひょんに感謝している」
「感謝?」
「お前に出会わなければきっと、大阪城であのまま生き肝を取られて死んでいた」
「…………」
「そして、お前に出会わなければ私はこんなにも誰かを愛するという感情を知ることはなかっただろう。 ………私はお前に多くのものを与えられてきた。 だから、お前には感謝している」
珱と共にあの小さな小さな箱庭に閉じ込められていたものを、こやつは知らぬ間に入り込み私たちの世界を少しずつ壊していった。 そして最後には全てを壊して、箱庭から出してたくさんのものを与え、教えてくれた。 ぬらりひょんがいなければ、何もかも、知ることなどなかったことばかりを。
「ワシとてあんたからいろんなもんを貰っとる。 おあいこじゃ」
「私はお前に何をあげれているのだ?」
「いろいろじゃ」
そう言って彼は私の頭を撫でる。 ふむ、この様子では教えてくれそうもない。 というか教える気がないのだろう。
「……何をあげれてるかは知らんが、何かをあげられてるのなら良かった」
「沢山もらっとるから安心するとええ」
「ふふ、そうだな」
あぁ、幸せだ。
「そうじゃ」
「?」
「朧、"でぇと"しよう」
「デート?」
まさかぬらりひょんの口からそんな言葉出てくるとは思ってなかったため、キョトンとした顔でぬらりひょんを見上げた。
この時代にはそういう言葉は全く浸透していないはず。 私は前世の記憶があるから分かるものの、まさかぬらりひょんが知っているとは。
「そう、"でぇと"じゃ」
「デートって……」
「"でぇと"ってのは平たくいやぁ二人で行きたいところに行くだけじゃ!何処に行きたい?」
どうやら私の知るデートと"でぇと"とやらはやはり同じらしい。
「急に言われてもなぁ」
「なんでもええぞ?」
「……桜が、見たいな」
「桜?」
「あぁ」
目の前にある庭の枝垂桜に視線をやると、ぬらりひょんもそちらへ目を向けた。
「珱が産まれた時も綺麗に桜が咲き乱れていた時期らしくてな…それもあってかあの子は桜が大好きなんだ。 よく珱とは昔から春になると一緒に庭の桜を眺めたものだ」
「ほぉ」
「桜を眺めるのが、私は好きだ」
昔、母が生きていた頃からずっと眺めてきた桜。 桜には、たくさんの思い出が詰まっているのだ。
「それに桜はやはり珱が一番似合う花だからな。 見ていて心が和らぐ」
「そうでもねぇさ」
「?」
不意に髪の毛がくん、と引っ張られる感覚がして振り向けばぬらりひょんがひと房とって指にまきつけて遊んでいるではないか。
「あんたには、どんな花だろうが木々だろうが、全てがあんたに似合いのものになる。 確かに珱姫にゃ桜が似合うがあんたもよう似合う」
「……そうか」
「じゃが言うなら珱姫はお天道様に照らされる桜。 あんたは月光に照らされる夜桜じゃな」
「なんだ、それは」
珱が昼で、私が夜。 その違いはなんなのか。
「お天道様に照らされる桜は暖かくて愛らしく心をほっこりさせるものじゃろう? 心が穏やかになるような、そんな感じじゃ」
「……確かに珱らしい気もするが」
「それに比べて闇に包まれる中、月光に照らされる夜桜は昼間に見せる姿とは全てが一変する。 昼間は愛らしい花だが… 夜になればえも言えぬほどの妖艶さを見せる。 見る者の心を虜にしてしまうような、な」
「それのどこが私なんだろうな」
「無自覚ってのはいかんのう。 あんたは自分の美しさをもっと自覚すべきじゃ」
ナルシストではないが、自分は確かに容姿はとても整っていると思う。 なんせ前世のままなのだから、何故か。 私はあの世界一の美女とも言われるハンコック姉様にそっくりな妹として生まれたのだ。 たまたま運が良かっただけではあるが、双子といっても普通に信じて貰えたくらいにはよく似ていた。
「……わかった。今度からは気をつけよう」
「あぁ、そうしてくれ」
するとぬらりひょんは私の背と膝裏に手を回すとそのまま持ち上げて立ち上がる。
「ぬらりひょん?」
「桜が見たいんじゃったな。 なら手始めに江戸中の桜の名所を回るとするかのう!」
「……今日一日で?それは無理だろう」
「誰が一日でと言った…流石にワシもわかるわい…」
あんたは本当度々ワシのこと馬鹿にするよな。と呆れたように言った。 仕方なかろう、紛れもなくお前はバカだからな。
「たっく…じゃ、しっかり掴まれよ朧」
「あぁ」
応えるようにその首に腕を回せばそれにニヤリと笑い、地を蹴った。
その後一日江戸をかけまわり桜を見たあと本家に戻ると鴉天狗に騒ぎ立てられたのはまた別の話である。
総大将ぉぉ!!朧様ぁぁ!! 一体どこに行っていたのですか!
喧しいのが来たのう……
声がでかいぞ鴉天狗。
二人揃って黙っていなくなるなど!!
でぇとに行っとったんじゃ、二人揃ってなけりゃ意味無いじゃろ。
でぇと?何ですかそれは!!! 変な言葉を並べてもダメですぞ!
うるさくてたまらん、朧行くぞ。
って、あぁ!! 明鏡止水とは卑怯ですぞ総大将ぉぉぉ!!!!
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