肆
祝言の翌日、騒ぎまくった妖怪たちは広間で雑魚寝をし朝を迎えた。 だが当然夫婦となった朧達はそうではない。 ぬらりひょんは抜かりなくきっちり初夜を済ませた。
しかし、ずっと我慢していただけあって初心者の朧に初めは優しくしてやろうと思っていた理性は意味なさず。 心底惚れ抜いた女をやっとの思いで妻にできたということも大きかったのだろう。
「………………」
ぬらりひょんはいつもの姿で縁側に座り随分前から煙管をふかし続けていた。
「よう総大将。さっきから随分吸ってんなぁ」
「あまり吸われては体に悪いですぞ」
「キャハハ! やっと婚儀あげたってのに仏頂面じゃねーの大将」
「……てめーら」
現れたのは奴良組の幹部でもある三人。 一ッ目、牛鬼、狒々である。 この三人は幹部の中でもとりわけ仲の良い三人だ。 彼らはぬらりひょんを囲うように座り、牛鬼以外も煙管を取り出して吸い始める。
「どうかされたんですか?あれほど望まれた婚儀の翌日にそのような顔をされるなど」
「奥方と喧嘩でもしたのか?」
「もう?キャハハ! 奥方にいつ飽きられるか見ものじゃ」
「狒々てめぇぶん殴るぞ……」
フゥーと紫煙を吐き捨てるぬらりひょんは変わらず仏頂面で下僕三人は疑問符を浮かべるしかない。
「…喧嘩なんぞしてねぇ。むしろ"らぶらぶ"じゃい」
「"らぶらぶ"…確か仲睦まじいという意味でしたか?」
「そうじゃ」
「それはようございますね。 ですが…では、ならなぜそのようなお顔を?」
何の問題があるのか、牛鬼は首を傾げた。
「ややっ、もしや初夜での奥方と体の相性が悪かったとかか!?」
「そりゃあどうすることも出来ねぇなぁ」
「いや全然。 むしろ相性良すぎて初心者相手にがっつき過ぎた… おかげで夫婦で迎えた初めての朝に思い切りゲンコツ貰ったぜ」
体力も当然あり、そっち方面に関しては文句なしだろうぬらりひょんに生娘が本気でこられてはそれはたまったものではなかっただろう。 しかし総大将相手にいきなりゲンコツとは、と思うものの気の強い奥方ならばやりそうだと三人は無言で納得した。
「今でも貰ったところがヒリヒリして痛てぇ……」
そう言ってぬらりひょんは殴られたところだろう場所をさする。
「……仮にも姫さんだった人にもらったゲンコツがそんな痛てぇのかよ、総大将」
「痛てぇんだよ、これがのう。 貰った直後なんぞ痛すぎて悶絶したわ」
「奥方は実は怪力……とか?」
「狒々…それはないだろう。朧様は勇ましい方ではあるが姫君として育てられた方だ」
「じゃよなぁ」
しかし仮にもぬらりひょんは妖で人よりは打たれ強い。 そんなぬらりひょんが悶絶する程の痛みを受けたというのだから、きっとそれは相当だ。
「……朧様のゲンコツの威力は置いときましょう。 総大将はそれを貰ったことにそんな仏頂面を?」
「違う」
「じゃあなんだってんだよ?」
「大将、新婚なんだからもっと幸せそうにしたらどうじゃあ?」
その通りだ、と一ッ目と牛鬼も頷く。
「ワシャ幸せじゃい。これまでにない程にのう」
「ではなぜそのようなお顔をなさるのです。 何かに苛立っておいでなのですか? こうも大量に吸うのは良くないですぞ」
朧様が見たらよく思われないと思いますが。と言うとぬらりひょんは庭の方に向けていた体をぐるりと向きを変え、彼らに向けた。 それに三人はなんだなんだとぬらりひょんを見る。
「違うんじゃ牛鬼」
「違うとは…?」
「お前ら、聞いてくれるか」
「私でよければ聞きましょう」
「わしも聞いてやるぞ?」
「さっさと話せよ…」
牛鬼は力になれるなら、狒々は興味本位、一ッ目は一体なんなんだ、という感じで言った。
「知っての通り昨日朧とやっと祝言あげてあいつを名実ともにワシのモンにした。きっちり初夜だってやったしのう」
「そりゃもう分かってるわい。なんだってんじゃ?」
「あいつは見た目がああも美しい。それは百も承知。 ワシはそれが最高の武器じゃと思ったんじゃが… 実はあいつとんでもねぇモン隠しとったんじゃ」
カンッと灰捨てに煙管を叩きつけて灰を捨てるとそのままそれを置いてでかい溜息をつきながら悩ましげに頭をかいた。
「とんでもねぇモン? …総大将の言いてぇことがさっぱりわかんねぇんだが。 奥方に刀でも向けられたか?」
「流石にそれはないだろう一ッ目」
「キャハハ!奥方は何隠してたってんだ?」
「……朧の奴、身体が見たことねぇほど色っぽいんじゃ」
「「「……………………は?」」」
三人は揃いも揃って、間抜けな声を出した。
「…………い、色っぽい?」
「あぁ。ありゃ凶器じゃ。それ以外の何物でもねぇ」
「大将、あんたが奥方にぞっこんなのはわしらもよう知っとるがのう……」
「だから違ぇんだよ。夫贔屓なしでの話じゃ!」
「……それ程に朧様はお綺麗な身体をなさっていたと」
「花魁でも見た事ねぇなあんなのは」
女遊びを長きに渡り興じてきたぬらりひょんが言うのだ。 きっとその通りなのだろうが、三人は察する。 こうして煙管をふかしてないと初夜のことを思い出してしまう故、自制の為なのだろうと。
「…こう、出るとこ出て他はキュッと締まってての? なんであんな身体になったんか不思議じゃ」
「煩悩だな」
「言ってやるな一ッ目」
「クソッ!何も考えないようにしとっても思い出しちまう!ワシは何度朧に惚れ直さなきゃいかんのじゃ!」
「…とりあえず、お幸せそうで何よりですな」
死ぬほどどうでもいい悩み事に付き合わされ三人は呆れるしかない。
「ちょっと、匂い撒き散らさないでくれない?」
「ややっ、奥方じゃねぇか」
向こうからゆっくりと歩いてきたのは今まさに話していた人物、朧だ。 その顔はここらに撒き散らされている紫煙の匂いに少しだけ歪められていた。
「……よぉ、朧。身体は大丈夫なのかい?」
「そう思うのか?あんたは」
「いや全く。それに今日は寝てろって朝言ったじゃろ」
「言われた通りするのは嫌だから動いてるんだろうが。 そしたら珱たちにダメだと言われてさっき追い出されたがな」
「そりゃあ……お疲れさん」
何を言うのか正しいのか。 ぬらりひょんはそれを探りながら言葉を返していた。
朧は本来なら布団に丸まっていたいはず。 けれどそれをしない彼女持ち前の負けん気。 ある意味流石だ。 とはいえ、変に刺激して朝食らったゲンコツをまた食らうのは御免である。
「………………」
「なんだ」
「…………いや」
ぬらりひょんは朧の顔をじっと見つめると胡座を組みなおし両手で顔を覆いながら息を吐いた。 三人は今まさに煩悩と戦ってるんだなぁと他人事として考える。
「そういやさっき総大将から聞いたぜ。 ゲンコツ落としたんだって?奥方」
「ああ、それがどうかしたか一ッ目」
「総大将が相当痛がったそうじゃねぇか」
「奥方実は怪力なのか?」
「だから狒々、それは無いと言ってるだろう……」
「……まぁ、普通の女子よりは力はある方かもしれないが人の女の域は出ない程度だろう」
やはり。 でもそれならなぜ我らの総大将が悶絶するほどのゲンコツが落とせたのだ?と疑問が浮かぶ。
「……ぬらりひょんが痛がった理由が気になる?」
「それは、まぁ、そうですな。朧様はもしや治癒の力以外にもなにかの力をお持ちで?」
「…ふむ。当たらずとも遠からず」
微妙な答えが返ってきて牛鬼は目を細めた。
「まぁ、それに関してはまたいつか話そう。 今は身体が痛くて私は辛いんだ。休む」
「キャハハ!無理はするな、奥方。 あんたに倒れられちゃあ本家は大騒ぎじゃ。 特に大将筆頭に」
「……この体調不良の原因はそこの男だ。 それはそこの男に言え」
呆れたようにため息混じりに言う朧に彼らは苦笑いをこぼし、ぬらりひょんを見た。
「だ、そうだぜ総大将」
「今日は休ませてやったらどうじゃ?大将」
「無理じゃ。断る」
「……では、無理のない程度になされませ」
「善処はするが…ワシの理性は朧に関しちゃ役立たずじゃ。先に謝る。すまん」
「努力する気ねぇな、総大将」
彼らは奥方へなんとも言えぬ眼差しを送れば奥方はいつもと変わらず飄々とした様子をしている。 夜の話をしても特に赤面することも無いのは肝が座っているからなのだろうか。
「……別にそうも盛らずとも私はとお前の妻なのだろう。 逃げやしないぞ」
「我慢した分の反動じゃな」
「よう言うわ」
「じゃからすまんと先に言っておるんじゃろ?」
「…………はぁ。なんでもいいが、私を壊してくれるなよ」
「壊しはしねぇよ」
ならいい。と朧はどこかへ去っていく。 その姿に牛鬼はぬらりひょんへ視線を戻す。
「朧様が寛大な方でよかったですな、総大将」
「ワシにも負けず劣らず器のデカい女よ」
それは彼らもまた薄々気づいていた。 ぬらりひょんのように朧はどっしりと構え、来るものを全て受け止めてくれるような、そんな女人だ。 男だったのならばこの人の世でそれはそれは良き武士になれていたことだろう。
「……よし、散歩にでも行くかのう」
「行ってこい行ってこい。そんでその煩悩だらけの頭冷やしてくるといいぞ総大将」
「一ッ目やかましいわ」
「キャハハ! 否定しねぇってことは煩悩まみれなんじゃな」
「嫁が魅力的すぎてこちとら困っとるんじゃい! ……んじゃ、夕餉には帰るぜ」
「行ってらっしゃいませ」
からかう一ッ目や狒々とは違い、牛鬼はしっかりと見送るところやはり真面目な男だとぬらりひょんは思いつつ、本家をあとにした。
……あの調子じゃ二代目もすぐ出来そうじゃな?
今年中には余裕で出来そうだぜ
奴良組も安泰だな…喜ばしいことだ
牛鬼お前相変わらず固いのう…
あのお二人のお子ならばきっと素晴らしき大将になるだろう
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