捌
日が暮れ、妖怪の時間へと変わった。 ぬらりひょんは宣言通り朧たちの屋敷へと足を運んでいた。 朝方話した朧の返答を聞きに来たのは当然だが、なにより好いた女に会えるという事実がぬらりひょんの胸を高鳴らせる。
いつもながら入り込みやすい珱姫の部屋から踏み込む。
「珱姫、ちと邪魔するぜ。朧姫は…………」
自然と出てしまう笑みを浮かべながら入ったものの、目の前の光景にその笑みが消え去る。
いつもなら綺麗に整った珱姫の部屋。 しかし目に映ったのは血で濡らされ、何者かに荒らされた痕跡のあるいつもの部屋とは似ても似つかぬ部屋。 そしてその部屋で力無く膝をついている陰陽師。
鼻刺激する濃い血の匂い。 殺された人間は一人二人どころではないだろつ。 恐らく、屋敷の者全員が殺されてる。
「………………なんだ……これは……」
ぬらりひょんの言葉に、呆然としていた陰陽師がゆっくりと振り向く。
「お前は…ぬらりひょん………そうか…… 姫様方の部屋の微かな妖気はお前だったか……」
「………んなこたどーでもいい。 珱姫は…朧姫はどこだ!?」
「貴様らの仲間じゃないなら……… 姫様たちは妖につれていかれたよ…………」
「朧姫たちを狙う妖……」
あの二人は異能を持つ姫。 なれば恐らく肝を狙う奴らも多いはずだ。
生き胆信仰の妖か…?
「そいつらはどこへ…」
「大阪城……………」
「!」
─────羽衣狐か!!!
ぬらりひょんは部屋にぽつんと落ちていた刀を拾い上げると、力強く床を蹴り屋敷を飛び出していった。
「どこへ行くのです総大将」
「……………牛鬼」
全力で京の町を駆け抜ける己の大将を見掛け、その異変に気づき声掛けたのは牛鬼だ。 いつも飄々として余裕のある大将ではない故に牛鬼はその心を知るため探るように言葉を投げかける。
「我が大将よ… そんな血の気多く走らば妖気となり妖を呼びますぞ。 あなたらしくもない… 今夜は誰にケンカを売るつもりです」
それは質問ではなかった。 問いただすかのように投げられた言葉。
「大阪城へ向かう。お前はついてこんでいいぞ」
返された言葉は、想像などしなかった言葉だった。
「お…大阪城だと!?」
返された言葉に目を見開いた。
「バカな… 大阪城にすくう"奴"を知らぬわけではないでしょう! 羽衣狐は…普通の妖じゃかなわない!」
牛鬼の言う通り。 ぬらりひょんとてそんなことは百も承知だった。 行けば無傷で帰ってくるなど絶対に不可能。 むしろ、生きて帰ってくることもできるかどうかすら、わからぬ相手である。 けれど、彼には行かねばならない理由があった。
「やめろ…まだその時期ではない!! 力をもっとためるんだ…魑魅魍魎の主となるなら!!」
「だまれ牛鬼」
今にも走り出しそうな大将の肩を掴んでいた牛鬼は振り向いたぬらりひょんを見て思わずその手を離した。 滾るように大将から溢れる畏に気圧されたのだ。
「羽衣狐が、魑魅魍魎の主だってんなら…… ワシが魑魅魍魎の主を超えるまでよ!!」
己の惚れた、ギラついたその瞳。 大将から感じたのは計り知れぬ強い強い怒り。
牛鬼はそれ以上かける言葉など見つからず、ぬらりひょんはそのまま大阪城へと向かって行ってしまった。
「あの方が、ああまで怒る理由など……」
今考えられる理由はただ一つ。
「朧姫様と珱姫様が、羽衣狐に狙われたか…」
大将自らが毎夜のように通い、見初め、遊びではなく心から欲しいと思ったあの美しい女人とその妹。
「………百鬼夜行だと言うのに大将一人では……
─────あなたの百鬼の面目丸潰れだ」
己の自尊心も、大将の面子も。 これでは潰れてしまうではないか。 そう思った時には牛鬼は宿へと駆け出していた。
その口元は、いつの間にかゆるりと円を描いていた。
死なせねぇからな
朧姫……珱姫………!!
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