「まだ大丈夫…まだ…」

何度そう呟いただろうか。忘れてしまったけれどわたしはずっと呟いていた。いくら自分がマギウスでもルーンを吸い取られ続ければ死ぬのだ。でも死ぬことは怖くない。わたしは長く生きた。いろんな人間に乗り換えながら。いろんな人間のルーンを食らいながら。



「まだ…大丈夫…」


彼と初めてあったのは本を無造作に置かれている倉庫の中だった。わたしがいつもいる場所。わたしが知る唯一の世界。

無造作に置かれている本を整理しながら読みたい本をひとつひとつ積み上げていく、すると気づけば壁ができた。大きな大きな壁だ。その壁がまるで人間とマギウスとの間の境界線のようで少し悲しかったのを覚えている。

「誰もいないの?」

おかしなことに、誰もいないとわかっているのにわたしは言葉を紡いだ。寂しい。けれど、わたしにはどうすることもできないのだ。壁には出入口もない。マギウスであるお前は人間になどなれないのだと言われているような気がして初めて恐怖というものを知った。目の前がゆがんでいく。あっ、泣くのか、とまるで他人事のように思った。目に溜まった熱が頬を流れ落ちるであろう瞬間、すごく大きな音がした。がらがらがしゃーん。振り返ると、後ろにある壁が誰かによって崩されている。崩された先に立っていた少年は、わたしを見ながらこう笑った。

「やぁ、そこのかわいいお嬢さん、俺とお茶でもいかが?」

わたしは泣いた。たくさん泣いた。悲しいのと嬉しいので、あきれるくらいに。嬉しかった。彼がやったことは別に意味はなかったのだろうが、わたしには人間とマギウスでも分かり合える、とそう思わせてくれてるような気がしたのだ。



「まだ……だいじょ…ぶ…」


お願い事は決めた?

それはわたしと彼の最後の記憶。マギウスのわたしが遊園地など知るはずもなく。本ばかり読んで外に出たことがないと言ったわたしをハーノインが無理やり引っ張って遊園地に来たことがあった。観覧車の中、出来るだけハーノインと距離を取って座っていた。恥ずかしかったんだと思う。よくわからないけれど、これが恥ずかしいって感情なのだろう、と本で読んだ知識で試行錯誤していれば、ゴンドラがてっぺんに到達する直前にハーノインはそう言った。何のこと?と問えば逆にびっくりしたような表情で、この乗り物の頂上でお願い事をすると叶うって本に書いてたって言ったのは君じゃないか、と半ば飽きれたような顔で言われてしまった。そんなこと言ったっけ、と答えたらどうなるのだろう。彼のことだから苦笑いしながらも受け流すのだろう。

「皆が幸せになりますように」

「またすごいお願いをするねぇ」

「特にお願いすることなくて、この前読んだ本の主人公のお願いをそのまま言っただけだよ」

欲がないところは君らしい、と彼は笑った。


「……ま…まだ………っ」


はてさて、いったいその彼はどんな顔をしていただろうか。わたしを呼ぶその声、困った時にわずかに目を細める癖、それから、それから、詳細に頭の中で思い浮かべることはできるはずなのに何故だか彼の存在だけがぽっかりと口を開く穴のように、深く深く塗り潰されている。何年も寄り添ってきたはずの彼へと纏わり付く暗闇。その暗闇が彼を思い出せずにいるわたしへ愉快そうな笑みをこぼす。記憶の中にいる彼は、あまり関わりのないわたしを理由もなく連れ回すような、わけのわからない人だった、気がする。ただただ話がしたいのか、隣に寄り添っていてほしいのか、冷たくあしらってほしいのか。いくつか言葉を交わしたはずのわたしには、それすらもわからなかった。結局、これっぽっちも彼の内面を理解できないままに振り回されて。あー、文句を言う時間くらい最後にほしかったなぁ。最後に残った記憶すらも、彼と共に生きた痕跡だけを揉み消すかのごとく、みるみる内に消えていく。

もう、わたしは思い出せない。もう何回も何回も音にしてきたはずの彼の名前も、顔も、行方も、何ひとつ。どうしてだろう、わたしが彼と共にいないのはどうしてなんだろう。思い出せない。あの時、彼は笑っていたのに。わたしは、確かに彼の手を握ったのに。

「 」

世界が閉ざされていく中、遠くで声が聞こえてきた。聞いたことのあるような、ないような、思い出せないけれどすごくすごく大切な人の声だった気がする。

「ご、めん…ね」

それは何に対しての謝罪なのかわからないけど無意識に出た言葉だった。


わたしの記憶はそこで途切れた。




そう言って彼女は死にました
thanx:アダムの溜息





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