小説 | ナノ


狐妖怪は日本にいる妖怪たちの中でも歴史が長く、それに加え妖怪の身分で他妖怪を使役できたり、獣がもっとも恐れる火を使うことができたりと能力の特別性にそのことも合わさり、一族は他に指図されることもなく、いまだにまるで平安時代の貴族のような雅な暮らしをしている。

そんな一族の行事のひとつに春の宴がある。総本家の屋敷の庭にある殊に立派な桜のしたで一族老等集まり、唄を詠み、酒をのみ、雅楽を楽しむ。平安絵巻のような光景にきっと初めて見た者は息をのみ、その後感嘆の息を漏らすだろう。

そんな美しい宴がその年も開かれていた。青空と舞い散る桜のなか、美しい音楽と楽しそうな笑い声が響き渡る。

「あ、」

ひときわ高い幼い声が庭に響いた。
周囲の視線を集めたのは、恐ろしく顔立ちが整った少年だった。
身分が高いものの息子とわかる華やかな水干に身を包み、、それに負けないくらいの華やかな顔は笑ったらさぞかし可愛いだろうが、今は驚きが浮かべていた。
少年の視線の先には転がった毬。恐らく遊んでいたら毬が手から離れ、大人の間を縫って遠くの茂みにころころと転がっていったのだろう。
少年の落ち込んだ顔がそれを物語っていた。
そんな少年を見て貴族然とした大人たちは毬を拾うおか拾わまいかとどよめいていた。

「僕、毬を追いかけてきますね!」

そんな大人をよそに笑顔を浮かべ、周囲のどよめきをよそに少年は毬の方へ無邪気に駆けていった。
その少年の背中を見送りながら、大人たちはだんだん元の談笑をはじめ、宴に戻っていった。




「あーあ、やってられるかこんなもん」

茂みのなかに駆け込んで第一声がそれだった。毬を足で遊びながらも器用に綺麗に着付けられた着物を気崩す。端正な顔に浮かべられてるのは落胆でも笑顔でもなく呆れたような無表情だった。

少年――蒼司はこの宴が嫌いだった。生まれてから通算七回、記憶にあるのは三回くらいなものだがそれでもこの行事が嫌いだった。
厳しく仕付けられた蒼司にはもうほとんど子供らしい無邪気さなどない。なのに大人たちは蒼司を、子供のように扱い、心のなかのギラギラとしたものを隠してるつもりで接してくる。
それがたまらなく嫌だった。
だからこそ今年は毬を追いかけるふりをしてサボってみたのだが、自分のこと以外は至極どうでもいい大人たちは誰一人追いかけてこなく、来年からもこの手は使えるな、などと心のなかでほくそえんだ。

しかし世の中はそう上手くはできていないのが常である。
それは狐妖怪の頭目にあたる一族――九尾一族――の総本家次期当主である蒼司も例外ではなかった。

「ん……ふにゃあ〜」

蒼司の耳に聞こえたのはそんな間の抜けた声だった。
他の一族の子供かと急いで振り替える。これはばれたらまずい。あくまでも純粋無垢な子供を演じているのだから。
すると自分がいるより奥の茂みがなにやらごそごそと動いている。

「誰だ」

なるべく低く冷たい声で紡がれた言葉に茂みは一瞬動きを止める。
が、蒼司が戦闘体勢に入るより早く、茂みのなかの人物は「まぁいっかー」とこれまた気の抜ける呟きをしながら姿を現した。

「毛玉?」

それが第一印象だった。赤銅色の長い毛に手やら足やらが映えている珍妙な生き物がそこにいた。――というのはそう見えただけでそこにいたのは蒼司より少し小柄な少年だ。毛玉に見えたのは彼の長いくせ毛で、手入れも結んでもいないそれは伸ばし放題で顔や体を隠していた。
そしてそれは汚いものを嫌う一族にはあるまじき風貌だった。

「何者だ」

侵入者だ。
そう一目で判断すると右手に小さな炎を灯す。狐火とも言われるその火は大人でも多くが赤い炎を出すのがやっとのなか、もうすでにそれより高温の青色をしていた。目からは完全に子供の色が消え去り灰色の目には殺気が映る。
完全なる臨戦態勢だ。

しかし相手の毛玉(仮)は怯みも応戦することもなく頭(毛におおわれているかららしきもの)をかしげきょとんといった風貌だ。

「あれれー?僕なんかしたかなー?」
「惚けるな。今日は宴の日で結界も万全。お前のような侵入者が入れるわけもないんだ。それを裏のルートから入り、誰かの首を狙ってるんだろう?違うか」
「けっかい……あーだからお散歩いけなかったんだー」
「だから!お前は何者だ!!」
 噛み合わない会話にイライラする蒼司を気にせず毛玉(仮)は勝手に納得しきっている。しびれをきらした蒼司は威嚇にと青い炎を相手の足元に放った。炎は草を伝い相手の足に燃え移る
はずだった。
 がそれより一瞬早く侵入者毛玉(仮)は片足で軽くステップを踏むかのように頭上に飛び上がったのだ。その獣のような美しい身のこなしに蒼司は一瞬目を奪われる。毛の間から少しだけ顔が覗く。まだあどけない少年の顔には金色の瞳がらんらんと輝いていた。
「あっぶないな〜」 
 地に降り立つとまた毛の覆った状態になった毛玉(仮)は気の抜けた声でそうつぶやいた。さっきの身のこなしと同一人物には思えず、目が白黒させている蒼司を尻目に毛玉(仮)はずんずんと近づくとその小さな頭をぽかりと殴った。
「いったっ!!」
「僕の要件をまだ聞かないで火とか危ないでしょー? 僕は誰かを狙ってるととか誰かの指示で動いているとかそんなことはないのー!だってここに住んでるんだから!」
 腰に手をあてえっへんという擬音が聞こえそうなくらいに偉そうに毛玉(仮)はそう言った。確かに元から住んでいるのであれば、ここにいるのも頷ける。結界があるのは宴の間だけだ。しかしここは九尾一族の本邸。こんな毛玉がいるはずもない。
「住んでるってここは俺の家だぞ!家臣にしてもお前みたいなみすぼらしいのはいない!!」
 そう事実を突きつけると毛玉(仮)は偉そうな大勢を崩さずさらに胸まで張ってさらに偉そうに当たり前さ!と言った。
「当たり前……?」
「だって僕、ここの軒下に前から勝手に住んでるんだからね!!」
 勝手に
 軒下に
 住んでいる
 その言葉から冷静に思考を巡らすと解は驚くほど素早くでた。

「お前勝手にうちに住んでいるというのか!!!」
「だから今そう言ったじゃん〜」
「お前ここは狐一族の総本家九尾一族の本邸だぞ!?見つかったら八つ裂きだって免れないんだぞ!!さっきのみのこなしはどう見ても人ではないはずだ。なら親から聴いているはずだ、狐妖怪だけには逆らうなと!!」
 獣妖怪の頂点に位置する狐妖怪に逆らうことも、歯向かうことも、対等に接することも、他の妖怪には許されていない。獣妖怪なら尚更だ。
 だから蒼司は我慢してきたのだ。
 幼い頃親戚の使用人としてついてきてた山犬の子がいた。同じくらいの子に会ったのが嬉しくて、思わず話しかけた。その子はそれに普通に返した。同じ子供だと思ったから普通に。
そしたらその子は殺された。
理由は狐妖怪に、それも九尾一族にまるで友達のように接したから。それだけだった。
まだ蒼司が4歳のときだった。
それ以来蒼司は子供同士遊ぶことも、近づくことも、接することもやめた。 そしてそのことは他の妖怪にも伝わり、狐妖怪の大人以外に蒼司に近づくものはいなくなったのだ。
 なのに目の前の毛玉は気にせずに住んでいるという、そんなことあってはならなかったのだ。

「だって僕おとーさんもおかーさんもいないもん」

 ゆらゆらと揺らぐ灰色の瞳をよそに、ゆったりとした口調で少年は言う。
「おとーさんはどこにいるかわかんないしーおかーさんはなんか生まれたとき近くにいなかった。飼ってくれる人もいなくて、なんとか親猫様について生きてたんだけど、それもけっこー前に死んじゃった。親猫様はいろいろ教えてくれたけど、生きる上で狐に気をつけろとは言ってなかった」
でも、と続けて毛玉は笑う。
「君のその顔を見たら僕は違う場所に行った方がよさそうだねえ。最後に美味しいもの食べたかったあ」
 他の妖怪で狐妖怪に逆らう者はいない。
 狐妖怪で九尾一族に逆らう者はいない。
 そんな九尾蒼司に「君」と言って、タメ語で笑いかける者などもういない。大人でもわずか七歳のこの少年に「蒼司様」と呼びかけ、敬語で作った笑顔を浮かべるのだ。
 あの日からの3年の月日で築かれた蒼司の壁は少年の当たり前の対応でいとも簡単に壊れた。
「美味いものが食べたいか」
「なあに取ってきてくれるの?ならねーお肉がいいなあ」
「違う」
 こどばと同時に髪の毛でよく見えない顔(であろう場所)の前にずいと小さな白い手が差し出された。はにゃ?と首をかしげた毛玉に蒼司は軽く舌打ちをする。
「この俺の使い魔にしてやる。そしたら食べるところも、住むところも、着るところも全部保証してやる。その変わり俺からは離れられないし、逆らえない。が、悪い話ではないだろう」
そんな今無理くり作った建前に毛玉はくす、と笑った。
「いいねえ。君乱暴だけどね。なってあげるよ」

差し出された手はしっかりとつながれた。
「友達に」
という毛玉の言葉とともに。

数年後、このときあった毛玉――化野又市と親友のような関係を築くことも、この又市よりも失礼極まりない吸血鬼が隣に引っ越してくることも、それが生涯の敵になることも、蒼司はまだ知らない。




- ナノ -