小説 | ナノ


思春期の男心とは複雑なもの。少女の行動は、それをゆるがすものとなる。しかし少女は気付かずに、今日も王子に微笑みかける。



初めて本気で好きになった。そして青年はその相手に好きだと告げた。そのまっすぐな青年の言葉に少女は顔を赤らめ「私も」と返した。青年は予想外の言葉に大会だからかと不安に思ったが、少女の見つめる瞳はえらく真剣で、その目に写る自分の顔に、これは本気だと確信した。いわゆる両想いとなったのだ。そんな幸せの絶頂に桐嶋伊織はいた。だから付き合って三ヶ月目になる今日でも彼は少女をまだまだ愛していたし、いつだって甘えたかったし、何より二人で出かけたかった。だから放課後、少女の学校にまで迎えに行って、ついでに出かけようぜといつもの調子で声をかけて、まさか「駄目」と言われるとは思ってなかったのだ。


「だ、め?」
 整った顔立ちに浮かべる驚きを隠すこともできず、伊織はチヒロに告げられた言葉をゆっくりと聞き返した。その反応にも臆せず、チヒロはもう一度同じ調子で言葉をつむぐ。
「駄目って言ったら駄目」
「何でだよ」
「……これからテスト期間なの。勉強はしたくないけどしなきゃ」
「今日じゃなくてもよくね?せっかくなんだから遊ぼうぜ。最近俺のバイトとかあって一緒にいれなかったじゃんかよ」
「うっ……そうだけど……」
目線をしっかり合わせ、甘えるような調子の声に、チヒロは目をふせて考えこんだ。さすがに三ヶ月も付き合うと、彼女が自分のどういう顔に弱いかは分かってくる。これはデートにいけると思ったが、チヒロは何かを気付いたように「あ」と短く声をあげ、いぶかしげな目を伊織に向けた
「私もテスト期間ってことは伊織君もテスト期間じゃないの?うちの学校も、伊織君の学校も同じニ学期制だよね」
「うっ……」
 言葉をつまらせ、目をそらしたのが肯定を意味していた。すっかり形勢は逆転した。
「やっぱそうだよね」
「いや……俺は勉強しなくてもいけるっつーか…」 
「それ伊織君が言うの!?悠斗君じゃないんだよ?」
「だってデートしてぇし……」
 どもる伊織にチヒロはため息を一つついたが、そのとき脳内に一つの考えが浮かんだ。
「じゃあこうしよう」 
 チヒロはにっこりと微笑んみ、伊織はその笑顔にデートへのわずかながらの期待を持ったのだ。
「……なのに何で俺はチヒロとこんなとこで勉強してるんだよ」
「こんなとこって何?ここは伊織君の大好きなマクタッキーだよ?」
 目の前の数学の公式から一切目をそらさずに答えるチヒロに、伊織は大人っぽいその外見に似合わないはしないが、頬を膨らませた。
 勉強したいチヒロとデートをしたい伊織、その折衷案としてチヒロが提案したのがこのマクタッキーでの勉強会だった。これなら二人でいれる上勉強も出来るので一石二鳥。
二人の要望を上手く答えていると思ったのだが、伊織の顔は実に不服そうだった。
「ほら伊織君そんな顔してないでよ、一日目日本史でしょう?少しは覚えたの?冠位十二階を使ったのは?」
「……聖徳厩戸皇子」
「……勉強したのは分かるし、あながち間違いじゃないけど記憶がごちゃごちゃになってるよ!」
 といつもの調子でツッコミをいれても伊織の機嫌が直る気配はない。へそを曲げてしまった伊織が気にはなるが、ここで甘やかしては伊織のためにならない。ということでチヒロはまた数学の公式へと目を移した。
 一方当の伊織は機嫌は斜めではあるが、違うことを考え始めていた。

(……眼鏡姿も可愛いじゃん)
 勉強を始めた時、チヒロがまず手に取ったのは赤い縁の眼鏡だった。聞いてみると、別に視力は悪くないらしいのだが、集中力があがるらしく、勉強中は眼鏡をかけているようだ。その見慣れない姿は少なからず、伊織の胸をときめかせていた。
 まじまじと見て伊織は思う。これは本人に言うと確実に否定するのだが、チヒロは可愛い。華やいだ顔立ちではないが、顔は小さいし、色は白い。今は数式を見るため伏せられた瞳には長くは無いがびっしりと睫毛が生え揃っている。可愛いというには申し分のない顔なのだ。
 だから伊織は眼鏡をかけてさらに可愛さをアップしている彼女に人々がときめいてはしまわないか内心ひやひやしていたのだが、そんなことはなかった。皆が容姿を見て指をさして褒めるのは伊織だった。可愛いチヒロに過剰に反応されては困るが、この反応も彼氏としては納得いかないものがあった。だからいつしかデートできないことに悪くなっていた機嫌は周囲の視線のせいへと理由がシフトしていた。

――チヒロは可愛い。
――他のやつらそのことに気付きもしない。
――俺だけが知っている。
 
優位にたったようなほかの人に対するいらだちのような不思議な感覚が伊織の中で渦巻いていく。

「……くん、伊織君まだ機嫌悪いの?」

 そんな一人で鬱々としてる伊織を覗き込んでいたのは眼鏡越しの茶色い瞳だった。やはり機嫌がよくなさそうな伊織を気にしていたようで、その顔には不安の色が浮かんでいた。
「あっ、ああ……んなことねえよ」
「だっていつまでたっても顔あげてくれないし。私がこれ買ってきたのだって気付かないし」
 そういうチヒロの手元のトレイに目をうつすと、新しいハンバーガーと、カップにのったバニラ味のアイスクリームが目に止まった。どうやら伊織が悶々としてる間に買ってきたらしい。別に拗ねていたことに気を使われたのが、嬉しいような情けないような気持ちになる。
「わり。ちゃんと金払うから。いくらだっけ?」
 そう言って財布を探り始めた手をそれより一回り小さい手が制した。
「いいよ、伊織君が頑張ってくれれば、ね?」
 そう言って笑う顔は、眼鏡はいるがやっぱりいつもどおりの笑顔だった。
(やっぱり可愛いな)
 そう思うと愛しさがあふれるのは早くて。

「サンキュ」
と短く言うのと同時にその唇に自分の唇を重ねた。正直じっくり味わいたい気持ちもあったが、さすがに公共の場なのでちゅ、と軽い音だけたてて離れる。
「いいいいい伊織くん!?」
「よし、じゃあ続きやっか」
 顔を真っ赤にしてるチヒロをよそに伊織は教科書に目を移すふりをした。
 ちらりとバレ無い程度に顔を見れば眼鏡の下の目を見開き、口をぱくぱくしてる。
 ついでに周囲に目配せすれば、皆気まずそうに目をそらすのは多分光景を見ていたからだろう。
 口元がにやけるのを必死に隠し、分かるわけもない問題にペンを走らせた。


 どうか見たか。
 俺の彼女はこんなに可愛い。





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