夢のあとさき
88

私が目を覚ますとひんやりとしたものが目を覆っているのが分かった。半分寝ぼけながらそれをつまむ。濡れたタオルを手にして私は首を傾げた。
「……えっと」
すこし頭が痛い。ベッドから体を起こして座り込むと昨日の夜のことが思い出された。
そうだ、眠れなくて外にノイシュに会いに行ったらクラトスと会って、それで話をして。私は子どものように泣いてしまったんだった。思い出すと恥ずかしいが、その後の記憶がない。どうやって部屋に戻ったんだったか、この濡れタオルを自分で準備した記憶もないし。
「……お父さん?」
ぽつりと声が部屋に響く。いやまさか、あのまま私は泣き疲れて眠ってしまったのだろうか。それでクラトスに運んでもらった?いやいや、だったらあの一連の出来事が夢だったと思う方が――と混乱しながら立ち上がる。マントとブーツが脱がされてシャツのボタンが一つ二つ外されていたが、私は昨晩外に出たままの格好をしていた。
「ええ〜……」
濡れタオルを握りしめたまま情けない声を出してしまう。本当にクラトスが運んでくれたのだろうか。泣いた私のために濡れタオルで目を冷やしてくれるなんてことまでしてくれた?誰かに見られていて気遣われたという可能性とどちらがましだろうかと思ったが、胸のうちに湧き上がる喜びが抑えられなくて、私はだらしなく口元を緩めていた。
ああもう、こんなことで喜ぶなんて。馬鹿みたいじゃないか。

着替えて階下に降りるとちらほらと人の姿があった。朝食を食べていたのはしいなとリフィルという気の合わなさそうなコンビだったので私は二人の向かいに腰を下ろした。
「おはよ、二人とも」
「おはよう、レティ」
「おはよう」
低血圧気味のリフィル(と言っても顔も格好もきちんとしている)がコーヒーで一息ついている横でしいなはそれなりの量のパンとおかずをもぐもぐ食べていた。多分これ、リフィルの分も食べてるな。
「……レティ、あなたなんだか機嫌が良さそうね?」
私もパンをちぎって口に運んでいるとリフィルに不思議そうな顔をされる。私は思わず瞬いて、意味もなくパンに視線を落とした。
「あー、そうかな」
「あたしにもそう見えるね」
「……夢見が良かったからかな」
「夢?」
リフィルが怪訝な顔をするが、しいなは「へえ、よかったじゃないか」とさらりと言った。何か知っているのかと一瞬思ったが、全くいつも通りのしいなだったので安心する。しいなは隠し事が下手なので知っていたら少しは挙動不審になるだろう。
「落ち込んでるよりはいいのだけど」
私を気遣ってくれているのだろう、そんなリフィルに笑って見せた。この後のことを考えれば私の機嫌が良い方がおかしい。でも、目覚めはよかったのでしばらくこのままでいさせてほしいと思う。

各々朝食を取りおわり、身支度を終えて宿の前に集まる。ちなみにもしやと思ったが、クラトスが宿に泊まっているということはなさそうだった。
「姉さん!」
最後にやってきたのはロイドで、どこか緊張感のある面持ちだった。ぐっと顎を引いて私を見据えてくる。
「なあ、……頼む!俺に、クラトスと……戦わせてくれ!」
「うん、わかった」
何を言い出すのかと思いきや、そんなことだったので拍子抜けしてしまう。するとロイドも私が頷いたのが意外だと言わんばかりに瞬いた。
「ホントか!?」
「オリジンとの封印に関しては――いや、クラトスとの戦いについてはあなたに任せる」
「……」
ロイドは何か言いたげだったが、やがて「わかった」と頷いた。他のみんなもどこかホッとしたようで息が漏れる。私が原因だと思うと申し訳ない気持ちになった。
「ほら、言ったでしょロイドくん」
「……ああ!」
にやっと笑うゼロスにロイドは頷いた。ゼロスがロイドになにか言ってくれていたらしい。私の父への想いはロイドに吐露するには情けないものだから、そうやってゼロスがうまくとりなしてくれてよかった。もう少ししたら――ロイドが大人になって、私がこのごちゃまぜの感情に折り合いが付けられたら、ロイドと思い出のように語れればいいと思う。

さて、オリジンの封印があるのはヘイムダールの奥のトレントの森というところらしい。森へ続く道には族長がいて、私たちが来るのを待っていた。
「トレントの森へ行かれるか」
「ああ」
「クラトス殿は、伝説の鉱石アイオニトスを求めて世界中を探していた。もちろんここへも来た。なぜかお分かりか?」
族長の瞳にあるのは突き放すようなものではなかった。きっとロイドと私がクラトスとどんな関係にあるのかもう知っているのだろう。
「エターナルソードを人間でも装備できるようにするため、だろ」
ロイドが答える。族長は優しい瞳を細めた。
「……あなたに装備させるためだ。しかし結局地上にはアイオニトスはなかった。デリス・カーラーンから奪ってくるしかなかった」
「……だからゼロスに取りに行かせたのか」
「戦いが避けられぬとしても忘れるな。……クラトス殿は常におまえたちの十人目の仲間だったのだということを」
族長はクラトスへ肩入れをしているように思えた。十人目の仲間、か。言い得て妙だ。私は胸元のネックレスを握りしめる。
「……わかった」
ロイドは噛みしめるように頷いた。今からクラトスと戦いにいくというときに、こんなことを聞かされてどんな気持ちなのだろう。けれど、これはきっと族長にとっては言わなければならないことで、私たちにとっても改めて理解しなければならないことでもあった。
クラトスは敵だったのか。――敵だったかもしれない。でも、味方でもあったのだから。


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