夢のあとさき
72

ユグドラシルには力敵わなかったものの、私たちはすんでのところで命拾いすることになった。というのも病気の進行でふらついたコレットを見てユグドラシルが躊躇ったのだ。そこにジーニアスが魔術を打ち込み、それを見ていたプロネーマがジーニアスに攻撃をしかけ――そしてなぜかユグドラシルがジーニアスを庇った。
「覚えておけ。……すべてを救える道がいつもあるとは限らない。ロイド……。おまえの追いかける道は幻想だ」
プロネーマに急かされたユグドラシルはそれだけ言い捨てて去っていった。
重圧を放つユグドラシルが消えたことにホッとしたものの、コレットのことを考えるとなるべく早く治療をすべきだ。要の紋のおかげで進行は遅いとクラトスは言っていたが、それでも限度がある。
「だいじょぶだよ、ちょっとふらついただけだから……」
「大丈夫じゃないだろう!材料は手に入ったんだ、すぐにアルテスタのところへ!」
「そうね。行きましょう」
コレットは意識があるようだったが、私は彼女を抱えて救いの塔を出た。ジーニアスが挙動不審になっていたことに気がつかないまま。

アルテスタの家へ向かうとすぐにコレットの治療に取り掛かった。といっても、私たちにできることはもう終えているので、ルーンクレストの作成は方法を覚えているリフィルと技術を持つアルテスタ、アルテスタの手伝いをするタバサに任せるしかない。
私は落ち着かなくてアルテスタの家の外に出ていた。息を吐いて空を見上げる。太陽は沈んでいて、大きな月と星が見えていた。
どれくらいそうしていただろう。家の中から声をかけられる。しいなだ。
「レティ!治療が終わったって!目を覚ましたらコレットは元通りだってサ」
「ああ……そうか」
私はそう言うことしかできなかった。そしてしいなを振り返る。
「そうか……。よかった」
「ほんとだよ!もう外も冷えるだろう?家の中に入りなよ。タバサが夕食を作ってくれてるからさ」
「そうだね」
なんだか感情がいっぱいで上手い返事ができない。それをしいなは分かってくれているのか、私の肩を優しく叩いてくれた。
結局夕食はほとんど口にできず、気分が落ち着かないまま就寝の時刻を迎える。男女で分けられた部屋で私はぼうっとベッドに座っていた。ブーツを履いて、剣を携えて静かに外に出る。
外は先ほどと変わらない星空が広がっていた。なんとなく森の方へと歩いていく。緑の匂いが濃く、イセリアの森と似たような雰囲気なら落ち着くと思ったが――どうしてか違いのほうを敏感に感じ取ってしまうようだった。
「はあ……」
コレットの病気が治って安堵しているはずなのに、この胸のざわめきは何だろう。最初はコレットが治って嬉しさのあまり寝付けないのかと思っていたが、それとは別の不安のようなものが湧き上がってくるようだった。
ユグドラシルと対峙したからだろうか。そう考える。あの男の理想は何一つ正しいとは思えない。ただ……。
「おまえの追いかける道は幻想だ、か」
きっと勇者ミトスの追いかけた道だったのだろう。それを諦めた張本人から言われて心が揺らいでいるのだろうか?
私は無意識に胸元に手をやっていた。そこにあるのはクラトスからもらった要の紋だ。ぎゅっと握りしめて、目を閉じた。
――そして、不意に耳に届く声に気がつく。
天使化しているからこそ聞こえたのだろう。私はアルテスタの家の方角を振り向いた。嫌な予感が形となるようだった。
急いで、しかし気配は消しながら家へ戻る。果たしてそこにいたのは――ロイドとユアン、ユアンの部下のレネゲードたち、そしてクラトスだった。
声が聞こえてくる。
「――久々の親子の対面にそんな無粋はないだろう」
「やはりそうか。ハイマで私を狙った暗殺者はおまえだったのだな」
「クラトス。息子の命が少しでも惜しいと思うなら我々に従え」
息ができているか自分でも分からなかった。困惑したロイドの声が響く。
「何を……いってるんだ?」
「オリジンの封印を解放しろ。さもなければロイドはここで死ぬことになる」
「う、うそだろ?クラトスが俺の……親父なわけないだろ。俺は信じない……信じられない!」
その声で私は我に返った。そして咄嗟に拳を握る。息を吐いて、翼が背に広がるのを感じた。
この身を突き動かすのは、紛れもない怒りだ。
「――守護方陣!」
光が降り注ぐ。ロイドの周りを取り囲んでいたレネゲードたちに。私は羽根を使って跳躍すると、ユアンとロイドの前に降り立った。
「姉さん!」
「レティシア……!」
ロイドとユアンの驚きの声が上がる。だがクラトスは黙ってこちらを見ていた。
「……そういうことか、ユアン。あなたが私に協力しろと言っていたのは――クラトスへの人質にして、オリジンを解放させるためだったのか」
「その通りだ」
「……っ、はははは、そういうことだったのか……!」
思わず笑ってしまう。ロイドがぎょっとした顔でこちらを見ていた。それもそうだ、こんな状況で笑えるなんて正気じゃない。
「きさまが私を辱めたのもそのせいか!子でも孕めば体のいい人質だからな!」
「ね、姉さん……?何を……」
「ははは……だが、ユアン。一つ思い違いをしているな。そこの男は子を見殺しにしようとした男だ。私にもロイドにも、人質の価値などあるものか」
吐き捨てる。――ずっと思っていたことだ。コレットが天使になったとき、救いの塔でクラトスはユグドラシルを止めなかった。すなわち、見殺しにしてもいいと思っていたということだ。
ロイドは混乱したまま私に縋ってくる。私の尋常ではない様子にいっそ怯えているようにも見えた。
「姉さん……、姉さんは、知ってたのか?」
「知っていた。――私の名前を呼んだときから、ずっと」
「名前……?」
ユアンが眉をひそめる。私はすっと表情が抜け落ちるのを感じていた。
「レティシア。だってそんな名前、私は忘れていた」


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