リピカの箱庭
119

謁見の間で行われる発表には貴族院の主たる者たちが集まっていた。それもそうだ、皇族に連なると申し出た者の真偽の発表である。シュタインメッツ伯爵はそれなりに用意周到で、ご落胤の噂は市井だけではなく貴族たちの間にも広く伝わっていた。ただし、やっていたことは詐欺まがいなわけで、市民の感情はよろしくないのだが。いやそこは味方につけないのかと突っ込んでしまった。
まあシュタインメッツ伯爵は典型的な貴族だ。つまり、イメージが悪い方の。平民は貴族のために生きてるとでも思っているのだろう。反皇帝派や預言云々を抜きにしても、この国を預けるには足らなさすぎる人物である。
「レティ、気をつけろよ」
「ガイラルディアもですよ」
謁見の間なのでうちの騎士は連れてきていない。私はドレスを着ていたが、服の下に剣を隠していた。流石に丸腰で来ようとは思わない。ガイラルディアは陛下の護衛も兼ねているため、その間は私も近くに入られなかった。とはいえ結構いい位置をもらっている。シュタインメッツ伯爵が何かやらかす気配がすれば近づけるだろう。
ガイラルディアと一旦別れてチラリと陛下を見ると、にこやかに笑い返された。服装もいつものまんまだし、なんとも危機感がない。響律符を渡した時も「卿は慎重だな」なんて言われてしまった。今回は何も起こらないことを知っているといってもいいけれど、だからといって安全だと断言もできないのだし。
とか考えていると、マルクト兵が声を上げた。
「シュタインメッツ伯爵、並びにリース様、ご到着です」
貴族たちがにわかにざわめく。その視線の先には金髪の少年がいた。リースとかいうらしい彼はなるほど、外見だけ見ればピオニー陛下に近しい色彩を持っている。陛下の兄君も髪と目の色は似たようなものだったという話だから、そこは流石に合わせてきたのだろう。おそらくフランツ皇子のことを知っている貴族たちも「お顔立ちは似ているような……」と囁き合っているくらいだ。
リース少年はやや緊張しているように見えるが、居丈高な雰囲気は隠していない。その点隣のシュタインメッツ伯爵とそっくりだ。ま、そんなものだろう。
「静粛に。ただいまより、リース・ヘブンリーの帝位継承権について審議する」
内務大臣が声を厳かに告げると謁見の間は静まり返った。立会人としてアニスが紹介され、「公正な照明手続きが行われることを希望します」と真顔で言い放った。アニスはまだ若いが、導師守護役の肩書は大きい。あとこういうときいつものなりはひそめてしっかりらしく振舞えるので、導師守護役として抜擢された理由がよくわかる。
それから審議はシュタインメッツ伯爵の供述から始まった。曰く、フランツ皇子が生きていた頃に立ち寄ったシュタインメッツ伯爵の屋敷の使用人に手を付けて産ませた子であるとか。その事実は陛下側も確認済らしく、カーティス大佐が淡々と付け加えた。
「こちらでもその事実は確認しています。フランツさまは継承権問題で揺れるご自身の立場を考慮され、生まれたお子様を秘密裏に保護なさった」
「左様。いずれ帝位につかれた暁にはリース様を迎えるとお約束なさり、そのための証拠として宝剣と親書を残されました」
「宝剣と親書は、いずれも本物でした」
へえ、そこは本物なのか。本物出なかったら持ち出さなかっただろうから当たり前か。シュタインメッツ伯爵もなかなかの手札を隠していたものだ。
「では……!」
リース少年があからさまに反応する。そう、そこまでは本物なのだ。
「しかし、だからといってリース様が真にフランツ様のお子様かどうかは定かではありません」
カーティス大佐も相変わらず顔色一つ変えずに冷静に返す。この調子だとやっぱり偽物ってことか。大体想像がついたのであたりを見回す。今のところ怪しい動きをしている者はいないか。警備の兵が多すぎて何とも言えない。
「失敬な!」
「控えよ、シュタインメッツ伯」
シュタインメッツ伯爵は間髪入れずに噛みつくが、内務大臣も言葉を続ける。フランツ皇子の死後に側近が探したところ、件の母子はすでに死亡していたと報告があったらしい。
「それは誤報だ!私は母に先立たれ、シュタインメッツに匿われた!」
「そうおっしゃると思いました」
この状況だとそう言うのは当たり前である。しかしリース少年は何も知らなさそうだ。……嫌な予感しかしないな。
シュタインメッツ伯爵は平民を人と思わないタイプの貴族だ。つまり――何か仕込むとしたらリース少年を利用していてもおかしくはない。手の中で響律符を握り込む。
カーティス大佐が続けた報告はフランツ皇子の遺髪とリース少年の髪の音素検査の結果だった。ガイラルディアがネイス博士を連れてきた際に若干いざこざがあったが、拘留中の人間に検査させるって言われたらそりゃそうである。適当に言いくるめつつネイス博士が報告する。
「毛髪1がフランツ、毛髪2がリース。双方の音素構成と振動数を重ねましたが、ほとんど一致する箇所はありませんでした」
「つまり?」
「二つの毛髪はそれぞれ血縁関係の認められない他人だということです」
「そ……そんな馬鹿な!」
告げられた結果にリース少年が反応する。私はシュタインメッツ伯爵の方を見ていた。顔色ひとつ変えないシュタインメッツ伯爵は、まるで分っていたかのような反応だ。
「そんな検査信用できるものか!」
「ふん。これだから馬鹿は困りますね。最近ではフォミクリー技術の進展で音素構成による一親等の検査ならほぼ九割以上確実な証明ができるのです」
えらそうにネイス博士が言うが、90%ってけっこう低くない?と内心突っ込む。しかしこの不一致っぷりを見ると100%他人ということだろうな。
「以上の結果からリース・ヘブンリーに帝位継承の権利はないものと推察する。これらの証拠は後日貴族院に提出され、改めて審議されるであろう」
内務大臣がそう結論付ける。リース少年の顔色がみるみる悪くなっていった。
「シュ……シュタインメッツ!どうなっているんだ!私はフランツ皇子の息子なのだろう?!」
「落ち着いてください、リース様。どうかこれをお受け取り下さいませ」
シュタインメッツ伯爵が言い切ったと思うと、音素が渦巻き肌が粟立った。これは……!
「第五音素よ。灼熱の炎となりて、かの者と融合し、その力となれ!」
音素暴走か!リース少年の悲鳴が響く。
「お前はピオニーの側で爆発するための手駒だ!ご落胤であるわけがなかろう!」
よし、言質取った!私はその場に飛び出してリース少年に響律符をぶん投げた。リース少年に取り込まれる音素量がガクッと減る。「レティ!」飛び出した私にガイラルディアが声を上げるが、今は私に構っている場合ではないだろう。
「カーティス大佐!第四音素で打ち消しなさい!」
「――もちろんです。第四音素よ。水気となりて、かの者を包め!」
カーティス大佐の譜術がシュタインメッツのそれを上書きする。私は剣を抜き、逃げまどう貴族たちの間をすり抜けシュタインメッツに斬りかかった。
「ぐっ!ガルディオス伯爵……!」
「皇帝暗殺とはよい度胸です。大人しく投降しなさ、……ッ!」
ここで殺すわけにはいかないので、逃げられない程度の傷を負わせようとしたところで横から剣が薙がれる。マルクト兵の恰好をしているが、くそ、そっちの手の者か!
「我らマルクト義勇軍は預言の撤廃に異議を唱える!」
「ふ、ふふ……この目障りな小娘を殺してやれ!」
兵に潜んでいたのは一人二人じゃなかったらしい。恰好が紛らわしいし面倒だ。ああもう、ガバガバだな警備!あとシュタインメッツにやたら目の敵にされているらしく、本気で殺しにかかってくるのが厄介だ。ドレスが動きづらい。しかしこの程度で後れを取るほどではない。
「ここで死ぬことが預言で詠まれていたとしたら?」
「な……っ?!」
声を潜めて目の前の兵士に囁く。あからさまに動揺して隙が生まれるのに、狙って剣をふるった。
「ぐあッ!」
「誰も真実は知りませんよ。私も、あなたもです」
そんなものに振り回されるからだ。どさりと倒れた体の向こうにはシュタインメッツはすでにいなかった。逃げ足の早い。どこに行ったかと見回して、声を上げそうになった。
――ネイス博士を庇った陛下の背後にシュタインメッツはいた。ナイフを掲げて。
「ピオニー陛下ッ!」
声を上げても手は届かない。陛下の背中に吸い込まれるようにナイフが突き立てられる。
「ピオニー!?」
その声が誰のものか一瞬分からなかった。しかしさっと冷えた頭はすぐに別のことを考え始めた。カーティス大佐の周りに音素が渦巻き始めたからだ。
「……天光満るところに我はあり。黄泉の門開くところに汝あり」
「大佐!こんなところでそんな譜術使ったら!」
「俺やアニスは味方識別があるが、ディストが!」
ガイラルディアやアニスが諫めても詠唱をやめる気配のないカーティス大佐をよそに、私は倒れたままのリース少年に駆け寄った。「うう……」と小さくうめき声が聞こえる。気を失っているらしい。ドレスだけれどなりふり構わず抱えあげ、譜術の影響範囲から離脱する。
「ジェ、ジェイド!?」
味方識別のないらしいネイス博士が哀れっぽい声を上げるが、それでカーティス大佐が止まるはずもなかった。
「――出でよ、神の雷。インディグネイション!」
目の前が眩む。私はリース少年を抱えたまま、カーティス大佐がここまで理性を失うことがあるとは……。とぼんやり思った。
つまり、人は自分より怒ってる人を見ると結構冷静になるものなのだった。


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