リピカの箱庭
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ケテルブルクを発ち、やっとの思いでローテルロー橋に辿り着いてからは陸路を進むことになる。個人的には船に乗っているよりは多少苦労しても陸の上にいる方が気分が楽なので助かる。アニスなんかは徒歩であることに文句を言っていたけどこれも仕事だと思って頑張ってほしい。
「アニス、疲れたならこれでもどうぞ」
「はわ!いいんですか〜?ありがとうございますぅ」
手渡したのはケテルブルクのホテルで買った砂糖菓子だ。見た目は金平糖に似ているが名前は違った気がする。日持ちもするということで騎士たちへのお土産として買ったが一つ二つアニスにやったところで数はそれなりにある。飴よりはちょっと高級感があるし、糖分の補給には適しているだろう。
「伯爵、何甘やかしてんの」
「おや。ノイ、あなたもいりますか?」
「そういう話じゃないんだけど。アリエッタにやって」
とか言いつつイオンもアリエッタに甘い。アリエッタに手渡すと嬉しそうにしていた。アリエッタはアニスのことも警戒しているようだったが、同時に導師一行の中で一番気にしているのもアニスだと思う。同じ導師守護役という職務についているからなのか、それとも違う理由なのか。私の知っている物語では殺し合った彼女たちだが、今は関わりもほとんどない。加害することがなければ放置していてもいいだろう。
ちなみにアニスもアニスでアリエッタとイオンのことは警戒しているようで、私には気軽に話しかけてくるが彼らにはちょっかいを出さない。どっちかというとイオンがアニスをからかって遊んでいるように見える。こちらも度が過ぎるというほどではないので、年の近い子どもの戯れと思えばかわいいものだ。アクゼリュスでもイオンは伯爵家の騎士や研究所の所員たち以外とはほぼ関わっていなかったため、周りに同年代はほとんどいなかった。アリエッタと同じでアニスくらいの年の子が珍しいのかもしれない。
年下の戯れに勝手にほのぼのしていたが、ひとたび魔物が現れれば彼らの雰囲気はがらりと変わる。なんだかんだ言って先頭を歩くカーティス大佐が露払いをしてくれて、同じく軍人のメシュティアリカもすぐに戦闘態勢に入る。だが二人だけに任せているわけにもいかないので、定期的に隊列は変更するようにしていた。
「イオン様、お下がりくださいっ!」
導師を守るように動くアニスの人形が魔物を薙ぎ払う。それにとどめを刺しながらちらりと上空に視線をやる。上から襲ってくる魔物は厄介だ。
「アニス、跳びます。補助を」
「えっ、あ、はい!」
譜術は間に合わないと判断して、助走をつける。アニスの人形の巨体はこういうときに便利だ。腕を踏んだタイミングで上に跳ね上げられて、抜身の刃を突き立てる。そのままぐるんと反転して剣を抜きながら魔物の躰を踏みつけた。落下速度を緩和しながら着地する。
「伯爵!」
着地地点に迫りくる魔物の気配には気づいていて、ルークが叫んだのも聞こえていた。ただ私はしゃがみこんだまま頭の上を剣が払われるのを待っていた。ガイラルディアの剣に斃れた魔物の断末魔が聞こえてから体を起こす。
「無茶をするな」
小声で怒られたので小さく肩を竦める。
「ガイがいたから」
「レティ」
ガイラルディアだって私が分かっててやってるのを知ってるくせに。血を振り払って剣を鞘に納める。見回さずとも周りにもう魔物の気配がないのは分かっていた。
「伯爵、お怪我は?」
駆け寄ってきたメシュティアリカに不安そうな顔をされる。そんなに危なっかしく見えただろうか。
「ありませんよ」
「ガイも大丈夫かしら?」
「大丈夫だよ。ありがとう」
にこりとガイラルディアが微笑む。これまでの道中でも思っていたけれど、ガイラルディアは女性に対してかなり紳士的だ。お姉さまの教育のおかげかもしれない。対して私へはちょっと雑な気がする。あんまりニコニコしてくれないし。
……まあ、私もガイラルディアにニコニコはしていないのでお互いさまなんだけど。立場があるのは面倒だ。そんなことを考えながら乱れた髪を直そうと髪紐を解くと、ガイラルディアの手が伸びてきた。
「葉がついていますよ」
「ああ、ありがとうございます」
さりげなく髪を梳かれる。ルークも長髪だったのでこういうのは慣れているのかもしれない。もう大丈夫か視線で尋ねると頷かれたので手早く髪をまとめなおした。
「よし、では……グランツ響長?」
メシュティアリカがひどく驚いた顔をしてこちらを見ていたので、つい首を傾げてしまった。「ええと、」と声を絞り出すようにしたメシュティアリカだったが、その続きはなかなか出てこない。
「ティア、どうかしたかい?」
ガイラルディアも不審に思ったのかそう声をかける。メシュティアリカはせわしなく私とガイラルディアを見比べると、ようやく「なんでもないです!」と答えた。
「調子が悪いわけではないのですね?」
「はい、あの、お気になさらず!」
妙に挙動不審になるメシュティアリカだったが、放っておいてほしいというなら放っておこう。ナタリア姫のほうでも怪我人の治癒を終えたようだったのでまた隊列を作ってグランコクマの道を進み始めた。


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