リピカの箱庭
74

昨日とは打って変わって静かな屋敷の中で私は一人だった。最後の避難隊はもう出立しており、街の住民の避難はほぼ完了したことになる。重傷者は残っているものの、今はこの屋敷ではなく救援隊のテントに収容されている。親善大使一行は各々の仕事に出ており、つまり、ルークとグランツ謡将が接触しているということになる。
「さて……」
アシュリークたちを見送ったあと、何をするでもなく自室にこもっていた私は立ち上がった。窓から見える空には狼煙が上がっている。避難隊が無事に山道を降りきったという合図だ。色で怪我人も出ずに済んだことが分かる。
私はアシュリークに返しそびれた上着を羽織って外に出た。もうこの屋敷に守るべきものは何もない。大事なものは全部、最後にアシュリークに託すことができた。剣だけを携えて向かったのは街の入り口とは反対側だ。私が知っている通りならこちらに軍艦が停泊しており、グランツ謡将配下の神託の盾たちが待っているはずだ。
気配をひそめていると、人の言い争う声が聞こえてきた。物陰から様子をうかがってみる。やはりそこにいたのは神託の盾騎士団の制服を着た男女で、そのうちの一人はメシュティアリカだった。
「何をしている!」
彼女を連行しようとする神託の盾たちを一喝する声は、私が身をひそめている場所とは反対側から響いてきた。燃えるような色の長髪はルークのそれよりも濃い。まなざしの色はそっくりだった。
「あなたは……」
「特務師団長!なぜあなたがここに」
「いいから早くその手を放せ」
「できません。これは主席総長閣下のご命令です!」
「チッ、なら力づくだ」
剣を抜いた彼に空気がひりつく。メシュティアリカは戸惑っていたが、彼女もすぐに攻撃態勢に入った。とはいえ多勢に無勢というべきか、何よりメシュティアリカと彼の連携が全くかみ合っていない。
ふ、と息を吐く。最初からそのつもりだった。
「跪きなさい。ドレイン・マジック」
がくんと崩れ落ちた神託の盾に一瞬驚いた顔をした彼はすぐに攻撃をたたき込んだ。そしてこちらを見る。
「ガラン!」
その名前で呼ぶのか。確かに彼に名乗ったのはそうだったな、と思い出してではこちらは何と呼べばいいだろうかと迷った。その前に神託の盾もこちらに気づいて鋭い視線を投げかけてくる。
「ガルディオス伯爵!なぜここに」
「ここは私の治める街だ。私がいてはおかしいか?」
メシュティアリカ以外は――私が避難しなかったことを知らない彼らは戸惑っているように見える。その中で声を上げたのは、やはり彼だった。
「避難したんじゃなかったのか」
「ここにいることが答えだろう。つまらないことを訊くようになったな」
「チッ……」
武器を振り上げる神託の盾を切り伏せる。こんな問答をしている場合ではない。私は二人と神託の盾の前に割って入って振り向かずに言った。
「君はグランツ謡将を止めに来たのだろう。早く行け」
「わかった。おい、行くぞ!」
「伯爵さま!っ、わかりました」
追いかけようとする神託の盾を譜術と剣で足止めする。「何のおつもりです」言葉だけは丁寧なその兵士の顔に見覚えがある。私は躊躇いなく刃を振るった。――確実に、息の根を止めるために。
「貴様!」
仲間が殺されたとなれば殺気立つのも当然だろう。襲い来る譜術を、刃を躱しながら二人、三人と命を絶つ。もちろんこちらも無傷とは言えないが、そんなことはもうどうでもよかった。
「これが手向けだ。君たちはもう助からない」
ここにいる以上、死は確実なものだ。
だってもう、メシュティアリカは行ってしまった。ぐらりと地面が揺れる。足元が崩れ落ちる。
「うおおお!」
「ッ!」
体勢を保てなかったところに鋭い刺突が降ってきて、それはもう避けられなかった。逸らすのも間に合わず、舌打ちをして受けきる。痛みが広がって視界がふさがったが、最後の神託の盾の喉を掻っ切るのは間に合った。
「……、は、はぁ、っぐ……」
もう自分以外立っているものもいない。生きているものもいない。自分が立っていられないのか、それとも地面が揺れているのか。倒れ伏した私はきっと両方だろうと思った。
「ガイ……」
あとは、ガイラルディアに任せればいい。もう、これで、おしまいだ。
ガイラルディアはきっと助かる、そして。
「ガルディオス伯爵ッ!」
意識があるかも怪しかったが、その声だけはきちんと聞こえてきた。羽ばたきのような音、もう考えるのも難しい。ただ、その声が誰のものかは分かってしまった。
「なんで、くそ!しっかりしろ!」
「……イオン?逃げろと、言った、はず。はやく……」
「あんたを置いて逃げられるか!アリエッタ、ちょっと待って――」
閉じた視界の中、あたたかい光が満ちてゆく。そんな、治癒なんてしている場合じゃないだろう。そう言いたかったのに、イオンはもう聞いてはいなかった。
「ヴァン……!?アリエッタを放せ!」
「それはこちらの台詞だ。そのお方をこちらに渡せ」
だんだんと聞こえなくなってくる。誰がいる?目を開けようとしても、体を動かそうとしても、何もうまくいかない。ただ、一瞬後に襲ってきた浮遊感と堕ちていく感覚だけが確かだった。そして、そのあとに訪れる死も。
「レティシアさま――!」
泣かないで。そうとだけ、慰めたかった。


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