リピカの箱庭
70

ここのところ、報せはいつも受信室からくる。今回はカイツールの街からだった。電話についてはキムラスカ側には機密なので実際はカイツールからは少し離れた拠点なのだけど。
「アシュリーク」
相変わらず騎士たちは皆出払っている。残っているのは常に私についているアシュリークだけだ。部屋の外で待機していたアシュリークに声をかけると彼は「どうだった?」と小首を傾げた。
「使節団が軍港に到着したらしい。と言っても、先遣隊だけどね」
「先遣隊?」
「キムラスカの兵と神託の盾騎士団の者たちだよ。今回の使節団は何故だかわからないけど二手に分かれているらしい。キムラスカ国内で妨害工作があったのだろうね。向こうも一枚岩ではないということだ」
それとマルクトへの不信感だ。私はため息をついてこめかみを揉んだ。そういえば、使節団にはとんでもない爆弾がいるのだった。キムラスカの王女である。よくよく考えてみれば、彼女の参加を――たとえ抵抗されたとして――結果的に黙認しているキムラスカは一体何のつもりなのだろうか。アクゼリュスの崩壊を予知していたというのに、である。
「で、その先遣隊はいつ頃つくんだ?」
「明日か明後日だろう。避難の準備を本格的に進めさせなければならないな」
「了解。まあ、キムラスカの奴らはともかく神託の盾騎士団がいるならマシだろうな」
そして、親善の使節とはいえこちらにもキムラスカへの不信感はある。元々アクゼリュスの街は両国が所有権を主張しているような曖昧な場所なため住民にとってはどの国だろうが関係ないだろうけど、ホド戦争の生き残りであるガルディオス家の騎士たちには顕著だ。アシュリークは案外空気が読めるので残していても大丈夫だろうが、念のため釘を刺しておく。
「アシュリーク、間違っても使節団の前で下手な真似はするな。第一に住民の避難を考えなさい」
「分かってるよ。ガランが困るようなことはしない。だが、侮辱されちゃ分かんねえぞ?俺はお前の騎士だからな」
侮辱か。向こうもわざわざ敵国に乗り込んで来ているのだから、挑発するようなことはないと思いたい。いや、だからこそを想定すべきか。私は貴族の面子は今更どうでもいいのだけど、騎士になったアシュリークにとってはそうでもないらしい。特権階級は特別意識の上に成り立つものだ。
「証拠を残さないなら、好きにして構わない」
「お、やっぱりガランも思うところがあるわけだ」
ニヤニヤと、どこか嬉しそうに笑うのは私がキムラスカへの悪感情を見せないのが多少つまらなかったのだろう。立場上見せるわけにもいかないが、かといってそれでこちら側に不信や不満を抱かれてもたまらない。
――何より、アシュリークの言葉は正しい。
正直なところ、キムラスカの人間を前にして平静を保てるかわからなかった。カーティス大佐と初めて会ったときのことを思い出す。あの頃よりは多少感情を抑えることができると思いたい。
「こちらの救援に来る限りは歓迎すべきなんだがね」
「わかってるって。じゃ、俺はおっさんたちに伝えてくるわ」
ガランはひらひらと手を振って出て行った。私も準備がある。屋敷の一階に降りてまずは避難者の状況を確認することにした。
障気は出来る限り抑えているけど、やはり環境としては最悪だ。障気蝕害に罹った住民は屋敷に収容していた。人手も少ないのでまとめておいた方が楽だがこの街には大きな病院もない。そんな理由でもう人が出払っているこの屋敷のスペースを提供していた。
「伯爵様」
看護師の一人が声をかけてくる。顔色が悪いのでそれも気にかかるが、眉を下げていたので何かトラブルがあったのだろうか。
「何かあったか?」
「はい、新たに数名運ばれてきて場所が足りないのです。それに、これ以上はこちらも手が足りず……」
「数日後に救援隊が到着する。それまではどうか耐えてはくれないか」
「本当ですか!?」
看護師がパッと顔を輝かせた。ようやく出口が見えたのだ、安堵もするだろう。私も安心させるために微笑んでみせる。
「本当だ。避難までの間なら少し人手を融通できるだろう。他の者にも伝えておいてくれ」
「わかりました!ありがとうございます、伯爵様!」
疲れ切った顔から一転、表情を明るくさせた看護師は身を翻して去って行った。さて、人手は避難者から融通しなくてはならないからこちらも調整しておこう。とにかく先遣隊がついたらすぐさま避難を開始させなければならない。時間との勝負だ。
アシュリークが先に公会堂で鉱夫たちの取りまとめ役に話をしているはずなので、そちらに向かおう。そう思ったところでぐらりと地面が揺れた。
「なっ……」
地震じゃない。地響きを立てているのはまた別の原因だ。屋敷から飛び出して坑道へ走る。
「ガラン!」
坑道の前までたどり着いたところで、現場にいたアシュリークに呼ばれる。鉱夫たちの視線が突き刺さるなか、私は息を整えてあたりを見回した。
「坑道に入っていた者は」
「調査隊が何人か。落盤したのはおそらく第13坑道です」
言われて近づいて確認しようとするとアシュリークに腕を掴まれた。
「まだ地盤が緩んでるかもしれない。ガランはここで待ってろ」
「だが……」
言いかけて私は顔を上げた。明らかに、障気の濃度が濃くなっている。崩れたのは坑道だけではなく、余波で張っていた封咒も壊されたのかもしれない。
「地図を見せてくれ」
鉱夫たちから坑道の地図を受け取る。第13坑道……指で辿る。奥で隣の第14坑道とつながっている。
できれば、今は誰も派遣したくなかった。アシュリークの言った通り地盤が緩んでいては危険だろう。障気が濃くなっていることもあってこれ以上住民を危機に晒したくはない。救援が来るまではこの問題は放置しておきたかった。
けれど、鉱夫たちのまなざしには焦りがあった。鉱山という危険な場所で仕事をしていたためか、彼らの仲間意識は強い。以前にも封咒を施した場所に行ってそのまま行方不明になった者がいた。放っておいて勝手に坑道に入られるよりは把握していた方がましだろう。私はポケットから譜石を取り出した。
「ひとまずノームの力で可能な限り地盤を制御する。現場を調査して入れるか確認をしよう」
アシュリークがもの言いたげなまなざしを向けてくるのを制する。「障気が漏れ出してきている。時間がないんだ」あえてそれを言葉にした。
「明日か明後日には救援が到着する見込みだ。リミットはそこまで。それ以降は救援隊に任せる。いいな」
「はい!」
「それと、救護班の人手が不足している。そちらにも人を回したい」
指示を出しながら喉元を抑える。咳き込みそうになるのをこらえて唾を飲み込んだ。


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