胡蝶の舞
幼少期編-5

父上は普段は仕事をしているので屋敷にはいない。この間はたまたま午後が休みだったらしい。朝早く出かけて夜遅く家に帰ってくるので騎士団はブラックだと思う。でも、たまに私の部屋に来るのでその時には会える。
私は相変わらず部屋からの脱走を試みる毎日だった。あまりにやらかしすぎたのか、ある日ちょっとだけ早く帰ってきたらしい父上に尋ねられた。
「なぜ、部屋から出ようとするのだ?」
「やること、ない」
「本があるだろう」
「よんだ」
「全部読んだのか」
その通り。あと本を読むだけが幼児の遊びではないことを理解してほしい。父上は「そうか……」と呟いた。
「庭に出たいのだったな」
「ん!」
「花はないが、構わないか?」
「うん」
「では、晴れている日は庭に出ても構わない」
「ちちうえ、ありがと」
お礼を言うと父上は分かりやすく表情を緩めた。やはりというべきか、私のことが嫌いなわけではないのか?会話も母よりは続くし、放置も以前よりはマシになった。そうだとすると違う街に追いやられていた母の境遇は気になったが、まあ嫌われていないにこしたことはない。なんだかんだと言って付き合いが長くなる相手なのだ。
ついでに父上は私の部屋に置いてある本を増やしてくれた。本以外のおもちゃは増えなかったが、もしかして幼児用のおもちゃの存在を知らないのだろうか。私もそんなに知っているわけではないけど。
広い庭は父上の言った通り、大した花は咲いてなかった。何日かかけて探検してみたが、前の庭にあった薔薇園とかもなく、広いだけで殺風景な庭である。それと妙に開けた一角があったが、あれはなんだろう。
疑問に思ったのでメイドに尋ねてみるとどうやら修練場らしい。父上のだろうか。
「旦那様は剣がとてもお強くていらっしゃるのですよ」
へえ、そうなんだ。そういえば騎士団の鎧を着ているときは大きな剣を下げていた。剣かあ。魔導器だったら勉強すれば私も扱えるかもしれないが、剣は厳しそうだ。
とはいえ興味はあったので、私は次の日もまた修練場に向かった。倉庫の重い扉を全力で開けて中に入ってみる。
薄暗い中にはいろいろな武器が置いてあった。危なそうな場所なのに鍵をかけないのは不用心じゃないかと考えながら物色してみる。短剣や細い剣なら持てるかなと思ったけど、重くて振り回すのは大変そうだ。
「ッ、レティシア!」
とかやっていると大きな声が聞こえてびっくりして持っていた短剣を取り落としそうになった。振り向くと倉庫の入り口に父上が立っている。私は瞬いてぎゅっと剣の柄を握りなおした。
「ちちうえ、きょう、きゅうじつ?」
「ああ……ではなく!こんな危ないところに勝手に入るんじゃない」
「かぎかかってない」
「お前が入ると思ってなかったからだ!」
ずかずかと近づいてくる父上に短剣を取り上げられる。あーあ。唇を尖らせて見上げると父上はうっと何か言葉に詰まってから別の箱から細長いものを取り出した。
「遊ぶならこれにしなさい」
「けん!」
渡されたのは軽い、木製の剣だった。子供用なのか短いし、これなら私でも扱えそうだ。嬉しくなって軽く振ってみる。
「剣が好きなのか?つくづくあれに似ていないな」
父上がぽつりと何かつぶやいたのはよく聞き取れなかった。剣を持つとなんだか体が軽い気がする。しっくりと手になじんで、まるで最初から自分の一部だったとすら思える。
私は父上の足元をすり抜けて外に出た。名前を呼ばれたけど、広いところで剣を振ってみたかった。
息を吐いて剣を構える。剣を扱ったことなんて一度もないはずなのに、自然とどうすればいいかわかっていた。父上はしばらく私を見ていたが、大人用らしき木刀を取り出すと私に向かい合うように立った。
「好きに打ち込んでみなさい」
そう言われて、私は構えた状態から剣を薙いだ。木刀同士が当たって鈍い音がしたが、構わず一歩引いてからまた打ち込む。二発、三発と続けてまた剣を振るった。
どれくらいそうしていただろうか。気がつけば息が切れていて、汗が顎を伝って落ちていった。見上げた父上は息一つ切らしていなかったけれど、その瞳はいつもとまるで違った。そう、これが――殺気か。
脚がふらついて座り込んでしまう。そこで父上は初めて私の様子に気がついたかのように、慌てて木刀を引いた。
「レティシア!大丈夫か」
口を開くのも億劫だ。汚れてしまうと言いたかったけど、父上に抱きかかえられなければ移動もできなさそうだ。私は大人しく頷いた。
「……つかれた」
「疲れ……?」
心底不思議そうな顔をしないでほしい。私は今までろくに運動をしてこなかった幼児なのだ。遊び疲れて倒れるなんて子どもらしくていいじゃないか。
そう思ったのだけど、急に胸が苦しくなって咳が出てきた。どうにも止まらなくて、ただでさえ少ない体力が削られて苦しい。
「どうした?おい、誰か!医者を呼べ!」
慌てた父上が使用人に呼びかける。そんな、医者なんて大げさだ。ベッドにようやく寝かされて、私は風呂に入りたいなあと思いながらいよいよ体力も尽きて気を失ってしまった。


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