リピカの箱庭
38

ぼんやりと意識が浮上する。なんだか悪い夢を見ていた気がした。なんの夢かは思い出す必要すらない。見る夢はいつも一つだ。
手を動かしてぬいぐるみがあることを確認して、ようやく息ができた。浅く呼吸を繰り返していると「レティシア様?」と誰かに声をかけられる。
「ロザリンド……?」
なぜ彼女がここにいるのだろう。部屋には入らないように頼んだのに、寝坊でもしてしまったのだろうか――そんなふうに、半分起きてない頭で考えたけれどすぐに思い出した。ここはグランコクマの屋敷ではない。天井を見上げるとケテルブルクのホテルでもなかった。
たしか、そうだ、ホテルで襲われたのだった。暗殺者はエドヴァルドが撃退して、それで。
「ここはピオニー殿下のお屋敷ですよ、お嬢様」
「そうでしたか。エドヴァルドは」
「……軽傷でしたので休んでもらっています。お嬢様も第七音譜術士に診ていただいたのですが、特殊な毒だったようで譜術を使ったせいで回ってしまったそうです」
エドヴァルドが無事と聞いてホッとした。毒を持っていたのは幸い掠った一撃だけだったようだ。その毒もそこそこ抜け切っているようで、体を起こしても多少目眩がする程度だった。
「ロザリンド、着替えはありますか?」
「はい。ホテルから持ってきていますので」
「……ガイも、あなたが?」
部屋の中で譜術を使われたせいで少し汚れてはいるが、ぬいぐるみはきちんと私の枕元にあった。夢見が悪くてもとりあえず休めたのはこのおかげだろう。
「ええ、そうです」
「ありがとう、ロザリンド。あなたも休んでください」
「ですが……」
「顔色が悪いですよ。エドヴァルドが見たら心配します」
私が昨晩襲撃されて倒れてからつきっきりでいてくれたのか、ロザリンドは明らかに寝不足の顔をしていた。ロザリンドは食い下がったものの押し切って、私は帯刀できる軽装に自分で着替えて髪を結った。
さて、ここがピオニー殿下の屋敷というならどこかにいるのだろう。私が狙われた理由も含めて話を聞いておきたい。
部屋を出ると扉の横にエドヴァルドが立っていた。私を見た途端傅いて頭を下げてくるのでちょっと驚いて後ずさってしまう。
「申し訳ございません、レティシア様。私がついていながらお守りしきれず……」
「何を言うのです、エドヴァルド。あなたは役目を果たしました」
毒も大したものではなかったし。そもそも侵入を許した時点で問題ではあったのだけど、一晩中見張りをするわけにもいかない。というかホテルに気づかれないよう侵入できたというのも妙なのだ。当然警備くらいはいるはずなんだけど。
「ですが」
「立ちなさい。あなたの怪我はもうよいのですか?」
「はい、いかな曲者が来ようとレティシア様には指一本触れさせはしません」
やたらとやる気になってるが、そうそう曲者は来ないと思うし来ても困る。まあまあと宥めているとちょうど廊下の向こうからカーティス少佐がやってくるのが見えた。
「目覚められましたか。具合はいかがですか、ガルディオス伯爵」
そう言うカーティス少佐は疲れた顔をしている。ロザリンドと同じく徹夜してるんじゃないだろうか。
「問題ありません。迷惑をかけました」
「いえ、こちらの問題に巻き込んでしまい申し訳ありません。……説明しますのでこちらに」
そうカーティス少佐に案内される。階段を降りた一階では軍人たちが忙しなく行き来していて、色々な対処に追われているらしい。その一角に執務室があり、ピオニー殿下もそこにいた。
「殿下、ガルディオス伯爵をお連れしました」
「悪いなジェイド。ガルディオス伯爵、体調は大丈夫か?」
「はい。大事ありません。第七音譜術士の手配をしてくださり感謝しております」
「いや、巻き込んだのはこちらだ。……卿が無事でよかった」
殿下は疲れたように息を吐いた。しかし、巻き込んだ、とは。少佐も言っていたが、やはり私が狙われたのは反皇太子派の件絡みだったようだ。
話を聞いてみると私が反皇太子一派の拠点らしき森小屋について報告したのち、カーティス少佐下の隊によって調査が行われたらしい。その一派にはケテルブルク知事のヘイエー伯爵も関与しており、私の暗殺はそちらの指示だったとか。
「ヘイエー伯爵は開戦派だからな。卿がここに来ていることを知って俺との繋がりを疑ったんだろう。それに、卿がいなくなれば好戦的外交はますます強まるしな」
「それは……」
「事実だ。下手人の偽装くらい自分の領地内ならできると思ったんだろう」
うわあ。ケテルブルクに来ること自体が死亡フラグだったとは。確かに私は自分を戦災者のアイコンとして利用したけれどそこまで影響を与えると考えられていたとは思わなかった。有名になるというのも考えものだ。
「俺もそこまで考えが及ばなんだ。すまなかった、レティシア」
頭を下げるピオニー殿下にぎょっとする。いや、だって仮にも皇太子が易々と頭を下げていいはずがない。謝られるくらいならともかく、だ。隣で眉をひそめるカーティス少佐にもひやひやする。
「ピオニーさま!……謝られることではありません」
とにかく皇太子殿下に頭を下げられるのがまずいので、名前で呼ぶとピオニー殿下は眉を下げた。安心しているのか、残念がっているのか。というかガルディオス伯爵の名にこれ以上余計なものを背負わされられたらますます狙われることになってしまう。それは勘弁してほしい。
「ガルディオス伯爵もこう言っておられます。殿下、私情を持ち込まないでください」
カーティス少佐がぴしゃりと言って、ピオニー殿下は不服そうに呟いた。
「私情を持ち込んでたのはどっちだか」
「さて、ガルディオス伯爵。ヘイエー伯爵についてはこの皇太子殿下が処罰を下しますのでご安心ください」
ピオニー殿下を完全にスルーしてカーティス少佐は淡々と言葉を続けた。まあ、そうしてもらわなければ困る。
「処罰?処刑ではないのか」
後ろから不満そうに言うのはエドヴァルドだ。護衛としてついてきているときは基本的に口を出さないのだけど、今回はかなり立腹しているらしい。カーティス少佐は「表向きは、ですよ」と平然と言う。
「ヘイエー伯爵本人には事故死してもらいます。後継はいますがまだ若いですからケテルブルク知事についてはこちらで管理することになります」
つまり事実上の爵位剥奪であり、現伯爵は処刑されるということだろう。土地は没収され、名だけの爵位も折を見て取り上げられるはずだ。そんなところだろうと思ったけれど、エドヴァルドはなおも言い募った。
「なぜ罪状を詳らかにしないのだ」
「またガルディオス伯爵が狙われては困りますのでね。あなた方がここに来ていた記録は抹消します」
ふむ、大々的に暗殺されかかっただなんて言われて妙な疑いをかけられるのも厄介だ。私はエドヴァルドを振り向いて見上げた。
「妥当でしょう。よいですね、エドヴァルド」
「……レティシア様の望みのままに」
やはりエドヴァルドは素直な人間だ。本音としては公的に裁かれてほしいのだろう。それでも天秤にかけて、私が取った選択を尊重してくれるできた騎士だと思う。
思えばもっと幼い頃からそうだった。主人とはいえ、こんな小娘によくついてきてくれるものだ。他人事のように思わず感心してしまった。

もともと取っていた便はとうに出発してしまっていたので、私たちがグランコクマへの帰路についたのはその翌日だった。仕方ないとはいえピオニー殿下の屋敷に泊まらせてもらい、おそらくケテルブルクに来てから一番ゆっくりと過ごせたと思う。なんだかんだと立て続けに起きていたから、休めてよかったといえばそうだ。
しかし、私もそんなに身軽に旅行できない身とは思わなかった。せめて殿下が皇帝になるまではプライベートな旅行は慎もう。早く皇帝になってくれないかなとものすごく不敬なことを考えた。


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