深海に月
08

はこび込まれる怪我人が少なくなってきたころ、ようやく騎士のひとたちから外の状況を聞くことができた。「ばけもの」――星喰みの眷属が溢れたのは誰かがザウデの残っていた結界としての機能を止めてしまったからだろうということらしい。
「お嬢ちゃんがいてくれて助かったよ。治癒術師も少なくてな。他の街も星喰みの眷属に襲われているなら騎士団としては見に行かなきゃならん」
「それは……フレン、隊長が言ってたです?」
「ああ、その通りだ。お嬢ちゃんもしかしてフレン団長の知り合いか?」
わたしは頷いてフレンがどこにいるか尋ねたけど、その騎士のひとも知らないらしい。城のどこかにいるらしいけれど、とりあえずそれはいいや。
気になるのは下町の状況だ。お城にだって治癒術師が足りないのだから、下町で怪我をしたひとがいたら大変だ。騎士に別れを告げて外に出るとまだバタバタしていて、わたしがこっそり城の外に出ても誰も気づいていなさそうだった。
お城から下町に急いで走る。流石に街中も人の影はほとんどなくって、不気味なくらい静かだった。なんだか不安になりながら走っていると背後で音がして肩が跳ねる。
「――っ!」
そこにいたのは「ばけもの」だった。空を飛ぶ不気味なそれに悪寒がする。襲いかかってくるのをどうにか避けて、わたしは跳ねる心臓を抑えながら石畳に転がった。
「ひっ!」
顔を上げるとまたこちらを「見た」のがわかる。立って逃げなきゃいけないのに体が動かない。あ、と声を漏らす前にわたしは――。
「何をしている」
衝撃は襲ってこなかった。かわりに、誰かの声が聞こえる。目を開けていたのに、いつそのひとが現れたかもわからなかった。私はその姿を瞬いて見上げた。
剣を持っている。そして星喰みの眷属はその剣によって断たれたようだった。見下ろしてくる赤い瞳に何を言うべきか分からず、地に伏していた星喰みの眷属が動くのを見てそっちに意識がとられる。咄嗟に詠唱を唱えていた。
「"聖なる眷属よ"!」
浮かんだ光球から光線が星喰みの眷属に突き刺さる。今まで攻撃の魔術なんて使ったことなかったけど、上手くいってよかった。ほっとしたけど、剣を持ったひとは眉をひそめてわたしを見ていた。
「――違う」
「え?」
立ち上がって見上げても、そのひとの顔はずいぶん遠くにあった。ユーリさんと同じくらい身長が高いと思う。それでも、恐ろしいと感じないのはなんでだろう。助けてくれたからかなと思ったけどきっと違う。
「違う、なにが……です?」
「エアルの使い方を理解しているのだろう。これを分解すればいい」
「……?」
分解?わたしは分からず首を傾げたけれど、剣を持つひとはさっさとやれとばかりに星喰みの眷属に視線をやった。ううん、どういうことだろう。分からないまま、でも「分解」というのはイメージできるような気がしたので指を組んでみる。
「"ほころべ、くずれよ"」
試してみると詠唱と共にばけものが端からぼろぼろと崩れ去っていくのが見える。自分でやったにもかかわらず、なんだか恐ろしいと感じた。こんなことをできるなんて知らなくて――だったら、どうしてみんなそうしなかったんだろう。目の前のこのひとは、どうして、わたしができると知っていたんだろう。
「やはり――」
長い、色素の薄い髪が揺れる。赤い瞳が細められた。怒っているようには思えない、不機嫌なようでもなかった。だから怖くはなかった。
「アレクセイの実験体などではないだろう。どこから来た」
「街……ザウデの下に、ある、です」
答えるべきでないとは思わなかった。害されるとは不思議と感じなかった。わたしの答えにその人は納得したように頷く。
「なるほど。満月の子ではなく――十六夜の子か」
十六夜?満月ではないから、ということだろうか。確かにわたしは地上に残ったエステルとは違う、あの街に閉じ込められた満月の子たちの子孫なのだから違う呼び方をされても不思議ではない。
「かの街では公式が完成していたか。皮肉なことだ」
「……?」
言っている意味がよくわからなくて首を傾げたけど、剣を持つひとはそれ以上説明してくれなかった。わたしは下町に向かわなくてはならないことを思い出して視線をさまよわせる。
「感謝、します。剣持つひと」
「ああ」
「わたし、行きます。あなたは」
「私も行かねばならない」
もう一人でも、あのばけものは倒せるだろうと、そんなふうにかすかに口角を上げて剣を持つひとは去って行ってしまった。わたしはぼんやりとその背を見送ってから自分も歩き出した。ぐずぐずしている暇はない。ただ、さっきのひとが持つ剣を思い出してなんとなく胸がざわついた。あの剣はきっと何か特別だ。どうしてそう思うのか――自分でも分からなかった。


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