リピカの箱庭
21

「レティシア!久しぶりね、大きくなったわね」
開口一番そう言ったのはテレーズ叔母様だった。お母さまの弟のセシル伯爵に嫁いだ人だ。外に停められた馬車は荷物がわんさか載せられていて、私は呆れた気分になった。こんな大荷物で亡命だなんて本気で言ってるのだろうか。
「お久しぶりです、テレーズ叔母様。お疲れでしょう。部屋を用意してあります」
「ありがたいわ。もうこんな長旅なんてこりごりよ。それもこれも戦争のせいよ。本当に酷い目にあったわ」
「そうでしょうとも」
「さ、行きましょうジョゼット」
叔母様の後ろにいたジョゼットお姉様は困ったようにずんずんと進んで行く母親に視線を向けて、それから私を見た。結局淑女の礼を取ったのは私に対してだった。
「ご迷惑をおかけいたします、ガルディオス伯爵」
「よいのです、ジョゼットお姉様。ええ、今はまだ」
「……そう呼んでくれるのね。レティシア」
緊張が解けたようにジョゼットお姉様はようやく微笑んだ。そしてためらいがちに手を伸ばしてくる。冷たい指先が私の手に触れた。
「私には想像もできないくらい、つらかったでしょう。でも、あなただけでも生きていてくれてよかった……。レティシア、また会えて嬉しいわ」
「……はい。ジョゼットお姉様も、大変な思いをされたでしょう」
「私は、家族がいるもの」
どこか遠い目をしてジョゼットお姉様は一瞬睫毛を伏せた。お姉様も私よりは年が上とはいえ、まだ子どもの年齢だ。全てを受け止めきれているとはいえないのかもしれない。
「無理はしていないかしら。あなた、とても体が弱かったでしょう?あの、私たちが来て負担にならないかしら」
「もう良くなりましたから、心配しないでください」
「それならいいのだけど……。よく休んでちょうだいね?」
そういえばジョゼットお姉様と会った頃の私は病弱扱いされていたんだっけ。今は剣も習って体を鍛えているし、寝込むなんてことは滅多にない。とはいえそう思われているのは今は都合が良かった。
「それと、これはお父様からお預かりしてきたお手紙なのだけど」
ジョゼットお姉様がそう言ってこっそりシンプルな白い封筒を渡してくる。封蝋からしてセシル伯爵――元伯爵からで間違いないだろう。
「……叔父様はどうしているのですか?」
「ユージェニー伯母様が亡くなられてからずっと気落ちしてらっしゃるの。お兄様もいなくなってしまったし……。でも最近はなんだか忙しそうにしていたわ」
ふむ。そもそも、当主を残して女性二人で亡命というのも妙な話なのだ。叔父様には何か考えがあるのだろうか。
二人の連れてきたメイドはロザリンドの従姉であるマリアンヌだけだったので、荷物をどうにかするのは騎士団から回してもらった人手に頼むことにした。エドヴァルドも監視役につけておいて、私は一人執務室に戻って叔父様からの手紙に目を通しはじめた。
封筒には二枚の便箋と一枚の証書が入っていた。一枚目には堅苦しい文章が書かれている。セシル伯爵から、ガルディオス伯爵への手紙なのだろう。
書かれていたのはシンプルに叔父様が亡命しなかった理由だった。それに付け加えて、何点かキムラスカの国勢が記されている。ひととおり目を通してから二枚目を開く。こちらは叔父様から姪である私への手紙だった。
――姉上のいとし子の君へ。そう始まる手紙には叔父様個人の心情がつづられていた。
姉を失くした悲しみ、国賊と呼ばれ貶められた嘆き。そんな感情が文字を通して伝わってくる。お母さまがホドに嫁ぎ、そしてホド戦争の手引きをすることは預言に記されていた出来事だったらしい。絶対的な預言に反したからこそセシル家は爵位の剥奪までされたのだと。
「叔父さま……」
叔父様は、お母さまは、最初から知っていたのだろうか。それとも――。私は首を横に振る。どちらにせよ、お母さまの心は最初から決まっていたのだろう。私の訴えを退けたのもきっとその決心があったからだと思う。
私は一枚目の手紙を懐にしまい、二枚目と証書は鍵のついた引き出しの奥に忍ばせた。丁度ドアがノックされて声がかけられる。
「伯爵、ヒルデブラントです。お茶をお持ちいたしました」
「どうぞ」
「失礼いたします」
緊張した面持ちでドアを開けたのは騎士団から出向してもらっている騎士のうちのひとり、ヒルデブラントだった。ぎこちない手つきでお茶を淹れてくれるのでソファに場所を移す。ロザリンドが普段淹れてくれるものと比べれば味は落ちるが、十分においしかった。というかお茶汲みをさせるつもりはなかったんだけどな。メイドたちは使節団に参加するための準備にバタバタしてしまっているので申し訳ない。
「ありがとう。……叔母様たちの様子はどうですか?」
「今のところは、特になにもありません。ですが……雰囲気は悪かったと思います」
「雰囲気、ですか?」
「はい。テレーズ様はロザリンド以外の者たちを軽んじていると感じました」
つまり、マルクトの者を軽んじているということだろう。それくらいは想定内である。というかそっちの方が楽だ。
「それと、伯爵とすぐに話がしたいとおっしゃられておりました」
「すぐに?」
「はい。ですが、エドヴァルド様が気にするなと仰せられましたのでお茶を先にお持ちいたしました」
「そうですか」
エドヴァルドも叔母様のことはよく思っていないのだろう。私がカップを置いたのを見てすかさず二杯目を注ぐヒルデブラントも同じ意見のようだ。そもそも叔母様のほうが私を呼びつけるというのがおかしいので、私もお茶請けに手を出す。今日はドライフルーツが入ったクッキーだ。
のんびりと味わってからようやく立ち上がる。部屋を出ようとするとヒルデブラントは不思議そうな顔をした。
「伯爵、どちらへ?」
「叔母様のところへ行きます」
「それは……」
「わかっています。ですが、狩場を整える準備が必要でしょう?」
そう言うと、ヒルデブラントはなぜか目を輝かせて頷いた。


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