ラーセオンの魔術師
エピローグ

「レティシア〜〜」
私は困り果てていた。情けなく声を上げてすがりついてくるゼロスは残念ながら見慣れてしまったのであんまり効果はない。いや、うそ。そこそこある。ふわふわと鼻先でウェーブの赤い髪が揺れるのがくすぐったい。
「ゼロス、週末には戻るって」
「いやだ、離れたくない」
「そりゃ私も離れたくはないけどね?」
仕事なので仕方がない。最初の頃はあんなに爽やかに見送ってくれていたのに、だんだんとボロが出て今ではこんなありさまだ。これがあのワイルダー卿だなんて城の誰も思わないだろう。
セバスチャンはニコニコと見守っていて、他の使用人もいい加減慣れたのか驚きすらしなくなってしまった。がっちりと掴まれた腕に、さて今日はどうやって抜け出そうかと考えていると頭上から厳しい声が飛んでくる。
「お兄さま!いい加減になさって」
ついでに雪の玉も飛んできてゼロスの後頭部にクリティカルヒットした。また腕を上げたようだ。
「あで!セレス〜、お前だけはお兄さまの味方だと思ってたのに」
「わたくしはお姉さまの味方ですわ。お姉さまが困ってらっしゃるでしょう」
玄関ホールの階段の上で仁王立ちしていたセレスがこれ見よがしにため息をつくとゼロスはさらに凹んだようで「ガーン……」と自分で言っていた。兄の威厳のかけらもない。仕方ないので髪についた雪を払ってやる。
「ほーらゼロス、私はもう行くからね。シャキッとしてちょうだい。あなただって今日も仕事でしょ」
「一週間も会えないのに……レティシアは寂しくないのかよ」
「五日間」
「五日間も会えないのに!」
「思わなかったらわざわざレアバード借りて戻ってこないからね?」
週末だけ戻ってくるのは効率が悪くてぶっちゃけ手間だ。最初の頃は一ヶ月くらい神殿に篭ってたりしてたが、ゼロスがあまりに悲壮な顔で訴えてくるのでユアンと交渉した結果なのだ。ユアンに借りを作るのは気にくわないけど、ゼロスのお願いなら仕方ない。流石に毎日は帰ってこられないんだけどね。
「お兄さま」
階段を降りてきたセレスが睨むのでゼロスはしぶしぶといったふうに手を離した。それがちょっと残念なので、私も大概である。
「お姉さまもお姉さまですわ。お兄さまに甘すぎます!」
と、流れ弾がきたので私はその通りですと頷くことしかできなかった。だってゼロスが甘えてくるのがかわいいし、そのために毎週帰ってきてるようなものだし。
「だってねえ、セレス。私が甘やかさないで誰が甘やかすの」
「のろけが聞きたいのではありませんわ。時と場合によるでしょう」
うん、これ以上余計なことは言うまい。口をつぐんでゼロスと視線を合わせる。そこ、セバスチャン、「似た者夫婦ですねえ」とか言ってるの聞こえてますからね。
さて、そろそろ出なくてはボータ経由でユアンの小言をオブラートに包んで届けられてしまう。何千年も生きてるくせに時間にはうるさいやつめ。腕を広げるとゼロスにぎゅうぎゅうと強く抱きしめられた。
「レティシア、気をつけろよ」
「ゼロスもね」
「いついかなるときも俺さまのことだけ考えててくれ」
「それはちょっと無理だけど」
「愛してるって言って」
「愛してるよ、ゼロス。行ってきます」
背中を丸めるゼロスにキスをする。名残惜しそうに唇を舐められたけど、それは帰ってきてからにしてほしい。
「愛してる、レティシア。行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃいませ、お姉さま」
「うん、セレス。ゼロスをよろしくね」
セレスともハグをして玄関を出る。閉まった扉をつい振り返ってしまうのをゼロスはたぶん知らないだろう。
「さーてと、今週もがんばるか」
ウィングパックから取り出したレアバードに乗り込んで空高く舞い上がる。この地から大樹が見えるようになるまではまだしばらくかかりそうだった。


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