ラーセオンの魔術師
47

「レティシア。起きろ」
低い声がかけられて私ははっと意識を覚醒させた。ここはどこだ?咄嗟に考えたのと同時に、目の前に鳶色が見える。一瞬混乱したけど、どう見ても四大天使のクラトスだ。
「く、クラトス……?」
ちょっと待って。なんでクラトスに起こされてんの?一瞬どころかかなり混乱している頭を抱えている間にもう一人の声がかけられた。
「レティシアさん、大丈夫ですか?」
「……え、コレット?えっ、ここ、どこですか?」
「神子の家だ。イセリアに向かう途中にお前は気を失ったのだ」
クラトスの言葉にようやく私はまともな思考を働かせた。そうだった、大樹が暴走して、それを止めるためにイセリア牧場に侵入して――私は外で待ってただけだけど――それでコレットが倒れてイセリアの村に向かっていたんだった。途中でゼロスに運ばれて、その間に気絶していたらしい。
「す、すみません。コレットは大丈夫ですか?牧場で倒れたんですよね?」
「私は――ええと、だいじょうぶ、です。これからロイドの家に行くんですけど」
「神子をドワーフであるロイドの養父に看てもらうためだ」
クラトスがいくらか硬い声色で言う。コレットを看てもらう?ドワーフに?というかなぜクラトスがコレットを連れて行くんだ?疑問は尽きなかったけど私がいつまでもここのベッドを借りているわけにはいかないということだろう。とりあえず起き上がって体の調子を確かめる。マナはまだまだ足りてないけど急に意識を失うほどじゃない。
「わかりました。迷惑をかけてすみません、コレット」
「いいえ。レティシアさんが疲れてるのは分かってます。あの、パルマコスタを守ってくれてありがとうございました」
「えっ?あー、まあ……」
ぺこりとコレットに頭を下げられてしまう。なぜコレットが頭を下げるかが分からなかったけど感謝されてるなら別にいいか。
部屋を出て、コレットの祖母に挨拶をしてから私たちは村の出入り口に向かった。ちらりとクラトスの様子を伺ってみるけど、コレットのいる手前アイオニトスを渡すわけにはいかない。しかもそうこうしている間に外に出ていた他のみんなも集まってきてしまった。
「コレット!もう大丈夫なのか?」
「うん……何とか……。ごめんね。心配かけちゃって」
ロイドが真っ先にコレットに駆け寄って声をかける。そのままみんなでロイドの家に向かうことになり、再び森の中を歩いていく。私は気まずく思いながらもゼロスに近づいた。
「ゼロス、何度もすみませんでした」
「そう思うなら無茶しないこった」
「じゃあ、謝罪は撤回します」
「あんたな」
だって無茶したのは後悔してないし。私はため息をついてゼロスから視線を逸らした。
「……例えば、誰かが海で溺れていて、周りに自分以外助けられる人がいなかったらどうしますか?」
「いきなりだな」
文脈は分かっているはずなのにゼロスは気のない相槌をうつ。私は聞いてほしいわけではなく、ただ喋りたかったので続けた。
「助けなくてその人が溺れ死んだら後悔しませんか?」
「助けようとしたあんたが一緒に溺れ死んだらどうするんだよ」
「そうですね。死人は後悔できませんから」
「……さあな。あの世でも後悔してるかもしれないぜ」
ゼロスらしくない言葉だ。彼は現実主義者だと思っていたんだけど。
「それは生きている人が決めることにすぎません。死人に口はないのですから」
「……そんなもんかねえ」
「そんなもんです。だから――ゼロスは私が後悔していると思わないでください」
ざくざくとブーツで落ち葉を踏む。「縁起でもないこと、言うな」と低いつぶやきが紛れて聞こえた。
「先に死ぬなら俺のほうだろうが」
「……ああ」
そういえば私はハーフエルフなのだった。人間であるゼロスよりはずっと寿命が長い。普通に考えれば、私の方が長く生きるのか。
外見がどんなに似通っていようと、同じ時間を生きることのできない相手を受け入れられず、生じる差別が確かにあるのだ。まるで他人事のように感じていたそれがじわりと染みてくるようだった。心臓がぎゅっと痛くなる。
「それは……嫌だな……」
たとえずっと先のことでも、近い未来のことでも、ゼロスが先にいなくなるのは寂しいと思った。人が死ぬのは当たり前のことなのに、私もゼロスもいつ死んでもおかしくないような状況にあるというのに、改めて考えると気が重くなる。体調が悪いせいかもしれない、思考がマイナスに向かっているのが自分でも分かった。
自分でも聞こえるかどうか分からないくらいのつぶやきはゼロスには届かなかったらしい。彼は何も言わず、私たちは森の中のロイドの家まで辿り着いていた。

ロイドの家であらためて話を聞いたところ、コレットはクルシスの輝石に冒されているということだった。肌が輝石に覆われつつある……というと、これは――。
「永続天使性無機結晶症……」
「何か知ってるのか?!」
「はい。かつてマーテルが冒された病と同じものです。マーテルの器としての適性が高いコレットなら、同じ病にかかるのも不思議でないでしょう」
ちらりとクラトスに視線をやる。彼ならこれ知っているはずだが、クルシスの天使としての立場からは言えないことなのだろう。とはいえクルシスがマーテルの器である神子の病をそのまま放置させるとは思えない。何を考えているんだ……?
「それで、治療法は!?」
「申し訳ないですが、そこまでは……。ダイクさんもご存じないんですよね?」
「ああ、テセアラとか言うところのドワーフに訊ねたほうがいいかもしれねぇな」
クルシスに所属していなかったために失われた技術もあるんだろう。その中でエクスフィアの装着に必要な要の紋を作成できるというのは幸運だったのかもしれない。
「私もそう思います。クルシスの輝石を抑制するためには要の紋のようなものが必要なはずですから、クルシスに所属していたドワーフなら作成できるかもしれません」
クルシスの輝石と体質が合わないバグなら要の紋と似たような方法で体への影響を緩和できると思われる。するとプレセアが「あっ」と声をあげた。
「あの……私にしたみたいにできませんか?」
「そういえばプレセアを正気に戻したのはレティシアだったわね」
リフィルの言葉に頷く。プレセアと同じ方法で治すのは対症療法になるだろうが可能だろう。
「やってみないことには分からないけど多分できると思うよ。ただ、プレセアのときと同じく根本的な解決にはなりません。先ほど言ったように要の紋のように、クルシスの輝石を抑制するものが必要です」
「でも、コレットは苦しまずにすむんだろ!」
顔を輝かせるロイドには悪いけど、今すぐには無理である。いやほんと、私は寝れば復活するんだけどね。
「協力はさせてもらいますが……すみません、テセアラに戻ってからでもいいですか?」
「そうだよロイド、レティシアさんも疲れてるんだもの。無理させちゃだめだよ」
「そうだったな。とりあえず今日は泊まっていってもいいよな、親父」
「ああ、ゆっくりしていくといい」
ダイクさんが頷く。すると話を見守っていたクラトスが静かに口を開いた。
「……私は失礼する」
ああ、神子の祖母に依頼されたクラトスの仕事はここまでか。ちなみに不思議に思っていたことだったけど、クラトスは最初傭兵として再生の旅の護衛に雇われていたらしい。それもクルシスの命令だったのだろう。
ロイドが慌ててクラトスを追いかけて家を出て行ったせいで微妙な空気になったけど、コレットが休める場所へ案内してくれたのはありがたかった。彼女も疲れているだろうに――気が回るというだけではないだろう。パルマコスタのことを感謝したのだって再生の神子としての使命感がコレットの胸にあるからではないかと思う。
ゼロスと似ているようで、違うようで。同じ神子でも比べるものではきっとないんだろう。揺れる金髪と青い瞳をじっと見てしまったせいかコレットは不思議そうに首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「……いえ、なんでもないですよ」
必要なのは同情などではないだろう。それは同じだと思って私はただ視線を伏せた。


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