ラーセオンの魔術師
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念のため資料がないかもう一度検索をかけてみる。他の被験者の記録はあるけど……あれ、このフォルダ別のパスワードがかかってる。ていうか暗号化されてる?
あやしい。もう一度直接アクセスしてパスワードを解除する。暗号化もそれで解けたようだ。
どれどれ、とフォルダを開くと、先ほどの資料とは別の書式が並んでいた。
ディザイアン内部資料、と書かれている。ディザイアンってことは、これは――シルヴァラントで行われている研究の資料ってこと?
「エンジェルス計画にはクルシスが関わってる……」
そう考えるのが自然だ。被験者には名前でなくてアルファベットと番号が振られている。番号が早い人はほとんど亡くなって――うん?
「クラトス・アウリオン……?」
こんなところで見るとは思ってなかった名前に瞬いてしまう。被験者A-012の女性の備考にその名前はあった。配偶者?えっ、どういうことだ?
クラトスといえば、ユアンと同じ四大天使の一人だ。その天使の配偶者がエンジェルス計画の被験者?まさか、同姓同名の別人では……。
いや、ディザイアンの資料にわざわざ名前が書いてあるんだ。あのクラトスなのだろう。見ると、被験者の女性が亡くなったのは今から十四年ほど前だ。エクスフィアは紛失、と書いてある。その頃に何かあったのかもしれない、が。
「里の人に頼るわけにはいかないしなあ」
ため息をつく。何か知ってそうなひとに心当たりがないわけではないが、今は動けない。それにクラトスに接触したとして、彼がどんな考えでいるのか不明だ。どうしてエンジェルス計画の被験者を妻としたのか――何せ相手は四千年も生きてる天使である。私に理解できる思考回路をしてないかもしれない。
とにかく要の紋についての記述は見当たらなかったので、ログを消してから端末をシャットダウンする。見取り図に描かれていたエクスフィアの研究施設へと向かうことにした。
すれ違う研究員は他人に興味がないのか、こちらに見向きもしない。ホッとしながら奥へと進んでいく。
エクスフィアの研究をしているのは一番奥まった場所だった。見取り図では地下にも研究室があって、きっとここにハーフエルフの研究員たちがいるのだろう。夜といえど、まだ起きてるかもしれない。
ステルス魔術で透明化してからゆっくりとドアを開ける。中にいたひとが「誰?」と反応したのが分かった。
「誰もいない……?」
声に聞き覚えがある。ケイトだ。私は慎重に足音を立てないようにしながら部屋の中に忍び込んだ。
「風かしら。おかしいわね」
「ケイト、どうした?」
地下へ続く階段から他の研究員が顔を出す。彼もハーフエルフだろう。ケイトは「なんでもないわ」と首を横に振って、私が開けたドアを閉めた。
「資料が見つからなかったのか?」
「あったわ。今持っていく」
ケイトは手にしていた資料をトントンと整えて階段を降りていく。私は張り詰めていた息をゆっくりと吐き出した。
よし、これでこの部屋には誰もいなくなった。一旦ステルスを解いてぐるりと部屋を見回す。資料が詰め込まれた棚から手作業で情報を探し出すのは骨が折れそうだ。机の引き出しを開けてみるが、要の紋がそこらにぽんと置いてあるはずもなかった。
ケイトに聞いてみるか?まさかとは思っていたが、エクスフィア研究施設にいるということは彼女は本当にエンジェルス計画に関わっているらしい。ただ、素直に答えてくれるかどうか。
こんな場所でそんなふうに悩むべきではなかった。というか流石にこんなところまで潜り込んだのは行き当たりばったりだったと反省する。
「誰!」
ケイトの声に顔を上げたときには手遅れだった。私は逃げ出そうか悩んで、ここまで来たのだからと開き直ることにした。
「ケイト。一つ聞かせてください」
「あなた……、まさか、」
「エンジェルス計画のことです」
ケイトはこれでもかというくらい目を見開いてこちらを見ていた。私は軽く息をつく。動悸が激しくて、声が震えてしまいそうだった。
「神子さまに漏れたの……?そんな、いえ」
その言葉に内心首を傾げた。エンジェルス計画はゼロスには内密のものだったのか。それも気になるけど、私が知りたいのは一つだ。
「要の紋に細工をしたのは、誰ですか」
「レティシア、あなたがなぜそれを……いえ、なぜここにいるの?勝手に忍び込んだというの?自由に出歩くことが許されると思っているの?」
ひどく困惑した様子でケイトは視線をさまよわせた。その言い方に腹が立つ。とっさに言い返してしまっていた。
「許される?誰にですか?私の自由が、誰に許されなくてはならないと言うんですか?」
「あなたも、ハーフエルフならわかるでしょう!?」
「わかりません。私の血など何も関係ない。私は、私だけの意思でここにいます」
信じられない、というふうにケイトはこちらを見ていた。私は彼女を睨む。腹立たしさはおさまらなかったけど、くだらない問答をしている場合でもない。
「ケイト、教えてください。あなたとて好きでこのような研究をしているわけではないのでしょう」
「――あなたに、何がわかるというの」
そして、ケイトも私を睨んでいた。
「私は……私だって、好きで、この研究をしているわ。あの人の役に立つために、私は――」
低い声でケイトは唸るように言った。やばい、地雷を踏んでしまったらしい。これでは彼女から話を聞くのは不可能だ。
そう思って、逃げ出そうとしたんだけど。
「ケイト、どうした?って誰だ!?」
「不審者よ。警備員を呼んで!」
地下からタイミング悪く出てきた研究員にケイトが叫ぶ。警備員を呼ばれてしまうとは、なら窓から逃げよう――そう思っても窓側に立つケイトは退いてくれそうにない。
「ち、"バインド"!」
「うっ!動けない……!?」
「ケイト!!くそ、この……!」
「"プロテクト" !」
ケイトに魔術をかけたせいか逆上して襲ってきた男性研究員は結界で防いだ。しかし、見事にドアを背にしてしまっていたのがまずかった。ドアが開いて警備員がなだれ込んでくる。
「貴様が不審者か!」
背後からの攻撃をもう一度結界で防いだが、何を考えたのか舌打ちをした警備員は今度はケイトへ斬りかかる。私は思わず彼女にも結界を張っていた。
「何をするんですか!彼女はここの研究員ですよ!」
「ハーフエルフの一匹や二匹関係ない!」
「ぐっ、これだから……!」
一人なら凌ぎきれたかもしれないが、ケイトもだと厳しい。どうしよう、と考えていると後ろから強く殴られて目の前が一瞬真っ白になった。
「っあ、ぁ……!」
床に倒れる。頭から生温いものが落ちてくるのを感じた。荒い息遣いは男のもので、男性研究員が私を殴ったのだと納得する。
なんで、と思う余裕もなかった。朦朧とした意識の中で最後に自分に治癒術をかけて、真っ暗になった。


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