ラーセオンの魔術師
22

一言断ってからまずプレセアの胸元の石に直接触れてみる。が、特に効果はなかった。これを外していいものかもわからないし、少なくともプレセアが木こりの仕事をして暮らしていくためには必要であるものを取り上げるのもよくないだろう。今の、追われる身である私は責任を持って彼女の面倒を見ることはできない。それじゃあと思ってハンカチを取り出す。
このハンカチはスカーフに刺繍をした糸で織ったものだ。劣化しない、マナの伝達を高めるという特性を持たせたものである。それに切った指先から自分の血を垂らしてエクスフィアに触れる。するとぶわっと情報が流れ込んできた。
「……っ!」
頭がぐわんと揺れるような感覚に襲われる。そこを踏ん張って、情報を解読しようとした。マナを可視化して自分のアバターを投影するようなイメージだ。
「わ……」
異空間に私の意識だけが存在している。そこにはエクスフィアが伸ばす根のようなものが複雑に絡まっていた。ちょっと拡大しすぎたので視界を広げて全体を見渡してみると、プレセアの全身に根が伸びているのがわかった。
頭というか、脳の方に伸びているのが多分感情とかに関係する部分だろう。体の方は大まかに二種類の根があったので、一つは身体能力を向上させるように回っている根でもう一つは成長を抑制している根だと思う。
どっちがどっちか、というのはひと目でわかった。マナが停滞しているラインが成長を妨げているほうだろう。脳の方はかなり複雑そうでどうすればいいのか検討がつかなかったのでまずこっちを解こう。
あとは地味な作業だった。絡まった糸を解くようにちまちまと根を取り除いていく。末端の末端まで伸びているマナをほぐして体外に出すイメージだ。あとはこれ以上伸びないように結界を構築しておく。ただ、体の中でこういう細かい結界を作るのは初めてなのでうまくできているかは自信がない。壊れていないか定期的に確認する必要があるだろう。
私自身がエクスフィアのプログラムを書き直すことができればいいのだが、そこまではアクセスが難しかった。エクスフィアの特性なのか、プレセアのエクスフィアが特殊なのかはちょっとわからない。
「――っ、はあっ」
成長抑制のラインを切り終えたあたりで私の限界が来てしまったので一旦アクセスを切る。気がつけばかなり汗を書いていたし、時間も経っていたようだった。
「……は、はあ、ふう……。どう?プレセア」
「……?」
プレセアはずっと微動だにせず座っていてくれたようだった。特に変化は感じていないらしく、私を見て首をかしげる。やっぱり脳のほうの根をどうにかしないと感情の方は取り戻せないらしい。
一度に全部はできないか。これ以上はエクスフィアそのものについて私が調べてみないことには難しそうだし。プレセアも王都に行くと言っていたので時間を置かないと。
でも、プレセアの「成長しない」という呪いは解けたんじゃないかと思う。これだけ解けても仕方ないかもだけど。
とりあえず、と忘れないうちにスカーフはちゃんと渡しておく。
「あとはこれ、渡しておくね。毒を防げるから、あの毒沼のあたりに行くときにつけてね」
「……私に、ですか?」
「うん。また倒れちゃったら仕事もできないでしょ?」
「はい……」
プレセアは教会から依頼を受けて仕事をしているはずだ。その「依頼」――つまり「命令」には忠実だと思われる。そこを盾に取ると素直に聞き入れてくれた。
「じゃあプレセア、また今度来るからね。そのときもエクスフィアの調子を見させてほしいんだけど」
「レティシアさんも、ですか」
「……他に見る人もいるの?」
「サイバックに……」
サイバックにプレセアのエクスフィアを観察する人がいる?……つまり、プレセアは王立研究院のエクスフィアの研究の被験者ということか!人体実験までしているとは……言われてみれば当然かもしれない。この世界の倫理観ならあり得るだろう。ひとの命は軽いし、ハーフエルフはひどく差別されていて、貧富の差も大きい。プレセアのような両親をなくした孤児ならそうやって搾取されてしまうのだろう。
「そっか。私がこうやって診るのはいや?」
「……レティシアさんは……いやな感じ、しませんでした」
「それならよかった」
ほっとする。無許可で体内のマナをいじるのは気がひけるので、プレセアが嫌がっていたら別の方法を考える必要があった。でも、大丈夫そうならこの方向性で模索してみよう。

プレセアと別れて小屋に戻る。サイバックに向かうのは変わらない。エクスフィアについての研究成果やプレセアが被験体になってることの詳細を見つけ出すのが一番だろう。そしてできればエクスフィアを手に入れて、人体に及ぼす影響を自分でも調べたい。そうしないとプレセアの心を取り戻すのは難しい。
私は彼女の呪いを中途半端に解いてしまった。手を出してしまった以上、最後まで責任を持たないといけない。
思わぬところで余計な面倒を自ら背負い込んでしまったけど、今更だ。
私はずっと知っていた。この世界の「本当のこと」を。そしてそれに向き合うと決めたのだ。
覚悟を決めた今、できることはやっておきたい。いずれは敵の手の内を探らなければならないのだ、早い方がいいだろう。
ひとまず目的地はサイバックのままだ。プレセアを被験者としているなら研究資料がどこかにあるはずだ。私はケイトの顔を思い浮かべながら荷物をまとめた。
彼女は今もサイバックにいるのだろう。それなりに親しくはなれたけど、最後まで心の底から打ち解けることはなかったと思う。私たちは互いに相手を警戒し合っていた。
もしかして、と嫌な予感がよぎる。ケイトは教会から私の教師に選ばれたハーフエルフだった。もしプレセアの研究に教会が関わっているなら、ケイトも……その一人なのだろうか。
「考え過ぎかな……」
頭を横に振る。サイバックは王立の研究院だ。国に直属の機関にいるハーフエルフが教会に使われているというのも考えにくい。なにせ国王と教皇の権力争いは熾烈なものである。
もしそうなら、この国で教皇は国王より影響のある人間ということになる。それはそれで、教皇騎士団に追われる身としては非常にやりにくい。
「宗教ってのはややこしいものだよねえ」
独りごちてしまったのも仕方ないだろう。それが計画的に作り上げられたのならなおさらタチが悪い。
小屋を出て顔を上げる。救いの塔は今日も、その支配を示すようにそびえ立っていた。


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