ラーセオンの魔術師
13

庭に出るとずいぶんと肌寒い。ワイルダー邸に来てから季節が何度変わったかとふと考えてしまった。もう半年くらいここに滞在していることになる。
そろそろ出て行きたいなと思いながら空を見上げた。ゼロスは基本的に私に関わってこないし、屋敷の人との関わりもほとんどない。歴史の教師のケイトは最近は週に一度くらいしか来ないし、あとはセレスが私に手紙を送ってくれるので文通をしているくらいだ。
食事も出るし文献もそこそこ豊富なので研究にはいい環境なのかもしれないけど、ずっと居続けるわけにはいかない場所だ。婚約者止まりな理由はゼロスがまだ二十歳になっていないからというのを最近知ったので、その前に脱出したいんだけど。
そんなことを考えながら空を見上げていると白いものがひらひらと舞い下りてきた。瞬いて手を伸ばす。雪だ。
「メルトキオは雪が降るのが早いのかな」
息が白くなるくらいなので雪が降ってもおかしくはない。氷のマナが濃くなってくるなか、私はぼんやりと降ってくる雪を眺めていた。そんなに強くはないのでまだ積もったりしなさそうだ。
「レティシア!」
そうしていると、急に名前を呼ばれて振り向いた。ゼロスがいつもよりも暖かそうなコートを着て立っていた。
「どうかしました?」
「……寒くねえの」
ゼロスがこの時間に屋敷にいるのは珍しいなと思っていると、なんだか顔色の悪いゼロスがこちらに近づいてくる。私は首を傾げて答えた。
「これくらいなら平気です。ゼロスこそ、顔色が悪いですよ」
ぐっと冷え込んだから体調を崩してしまったのだろうか。そんなことを考えているとゼロスに手を掴まれる。
「中戻るぞ」
「ゼロス?」
そう言って手を引いてくるのでどうしたんだろうと思いながら大人しくついて行った。ゼロスの手は冷え切っていて、やはり具合が悪そうだ。
屋敷の中に入るとゼロスは握った手をほどいてこちらをじっと見てきた。そしておもむろに口を開く。
「明日からアルタミラに行くんだけど」
「はい?アルタミラ?」
アルタミラといえばテセアラ有数のリゾート地だ。レザレノ・カンパニーが開発していて、その本社もあるっていうところだけど。
「あんたも来るか?」
「……、いいんですか?」
いいから言ってるんだろうけど、そんなことを言われるとは思わずつい聞き返してしまった。
ゼロスは黙って頷いたので私も思わず「わかりました」と頷いた。まあ、リゾート地でゆっくりするのも悪くないだろう。前世でもそんな贅沢したことなんてほとんどないし、そう考えるとちょっと楽しみだ。
「明日からですね?荷造りをしておきます」
「おう」
「何日行くんですか?」
「二ヶ月くらいかね」
さらりと答えてゼロスはすたすたと立ち去ってしまった。私はぽかんとその背を眺めて、「二ヶ月……?」と呟いた。
えっ、もしかしてこれ、避暑……じゃなくてその反対?つまり避寒?リゾートに遊びに行くだけじゃないの!?
「貴族の考えることはわかんないな……」
なんかもうよくわからなくなりながら私はよろよろと部屋に戻った。
しかし避寒地に行くなんて、ゼロスは寒いのが苦手なのかな。メルトキオの冬はそんなに厳しいのだろうかと不思議に思った。


アルタミラへは船で向かうことになった。飛行機なんてものはないので、向かうにも何日かかかることになる。
船といっても貴族の乗る船なので豪華客船の趣がある。客室はベッドがあるどころか普通にホテルの部屋の広さだし、ラウンジもバーもあるらしい。そういうところにはいまいち馴染めなかったので私は甲板で波を見ていた。
「こんなとこにいたのかよ」
気温が低い上に船の上は風が強くてますます寒く感じる。私は着込んでいるし、ついでに火のマナを纏わせてみるなんてこともしていたが、他に客もほとんどいないのにゼロスがわざわざ来るとは思わなくて瞬いた。
「……船酔いが」
ポロリとこぼしてしまう。なんとなくしまったと思ったけど、別にいいかと考え直した。
「船酔いをするので、外の方がいいんです」
「この船、そんなに揺れねえけど」
「前乗った船で酷い目に遭いましたから、つい」
思い出しながら遠い目をしてしまう。あれは氷の神殿に行くために船に乗ったときだったけど、こんなに立派な船ではなかった上に天候も悪くて酔って吐く寸前までいったのだった。幸い治癒術でちょくちょくリカバーをかけてたおかげでそこまではいかなかったけど、もしかしたら一度吐いてた方が楽だったかもしれない。
ゼロスは意外そうな顔で「ふうん」と呟いた。そして着けていたストールを外すと私の首にかけてくる。
「ゼロス?」
そんなことをされると思わなかったのでびっくりしてしまう。ゼロスとこんなに近づくのはダンスの練習以来だ。
「俺さまは戻るけど、ほどほどにしとけよ」
「え。うん……」
やっぱり寒いのは苦手なのか、ゼロスはそう言って船室に戻っていってしまう。変に気を使わせてしまったかなと思いながらストールを触ってみた。絹のような上質な手触りがして、同時に香水も香ってくる。あまり気にしたことなかったけど、ゼロスは香水をつけてるのかな。
アルタミラに着けば寒くはないだろうから防寒具はいらないだろう。それまではせっかくだし借りておこう。海に視線を戻しつつそう考えた。


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