ラーセオンの魔術師
10

着替え終えたセレスは私の部屋に来るなり「殺風景ですわね」と呟いた。まあ、借り部屋だし私物も少ない。書斎から持ち出した本とこの間買ってもらった宝石箱、それに魔術について書き散らかしたノートくらいしか置いてない。拉致られて来たわけだし引っ越しなんぞできるわけもなく。
「話をするなら私の部屋でなくてもいいのですけど」
「魔女さまのお部屋で構いませんわ」
「魔女さまって……」
セレスの中で私は魔女で定着してしまったらしい。それ、最初は嫌味だったよね。別にいいけど。
「そういえばセレス、なぜ私が魔術を使えると知っていたんですか?」
「噂になっていましたもの。神子さまの婚約者はハーフエルフの魔女で、悪い魔法で神子さまを誑かしているのだって」
「ははは……そんな便利な魔法はないんですけどねえ」
なぜそんな噂が立っているのが謎だが、なるほどそんな事情だったか。ならばセレスがゼロスを心配して私に襲撃してきた理由も、わからなくもない。
しかし魔術を便利に捉えすぎていないかその噂。あと神託で婚約者にされたんだからわざわざ誑かす必要なくない?
ゼロスならまだしも私に悪い噂を立てても得する人なんていないと思うんだけどなあ。ゼロスは被害者側っぽいし。
「そういえばセレス、あなたこの屋敷で暮らしてはいないんですか?」
噂の件は置いておいて、セレスに気になったことを尋ねてみる。セレスは顔を曇らせてからすぐ平静を装って答えた。
「私、修道院に身を置いていますもの」
「へえ、そうなんですね。ここにはあまり来ないのですか?」
「……ええ」
居心地悪そうにセレスは頷く。うーん、人様の事情に首を突っ込むべきではないとは思うけど……、この兄妹のことはどうにも気になった。
「それじゃあゼロスに会う機会も少ないでしょう。兄君にせっかく会えたのに、いいんですか?」
「ですから、お兄さまと話すことなんてありませんわ」
セレスはどうにもかたくなだ。普段離れて暮らしているなら話すことなんていっぱいあるんじゃないかと思うんだけどな。
「おや、いいのですか?噂を確かめなくても」
暗い顔のセレスに意地悪く言ってみるとばっと顔を上げた彼女は信じられないというふうに私を見た。
「まさか、本当に……!?」
「なんて、噂は噂ですよ。ゼロスは魅力的な男性ですけれど、人の心を操るなんてこと、いくら魔術でも……ねえ?ありえませんからね?」
にこにこと言葉を続けるとセレスは顔面蒼白になって立ち上がった。そのまま「お兄さま!」と私の部屋のドアを乱暴に開けて出て行く。
ちょっとからかいすぎたかな?まあ、セレスがお兄ちゃんっ子というのは確かなようだ。そうじゃないとゼロスをここまで心配するまい。
さて、ゼロスの方はどうだろう。放っておくわけにもいかないので私も立ち上がってセレスの後を追いかける。どうやらゼロスは書斎にいたらしく、開けっ放しのドアからセレスの必死な声が聞こえる。
「お兄さま!魔女さまのことどう思ってらっしゃるの!?」
「おいおいセレス、いきなりどうしたんだよ」
「いいから早くお答えになって!」
「魔女さま〜?もしかしてレティシアのこと?べつに、普通に婚約者だと思ってっけど」
「ふつう!?ふつうってどういうことですの!魔女さまを見て胸がドキドキしたりなんでも言うことを聞きたくなったり目眩がしたりしませんこと!?」
なんかすごい面白いことになってた。セレスの妄想はかわいいなと思いながら見ているとゼロスが私に気がついて大げさにため息をついた。
「レティシア〜、人のかわいい妹に何してくれたんだよ」
「おや、ゼロスはセレスのこと心配してるんですか?」
「そりゃするっての。……マジで変なことしてないよな?」
声のトーンが下がって、ゼロスがおちゃらけた雰囲気を一変させる。セレスがぱちくりと瞬いてゼロスを見上げた。
「さあ、どうでしょう。ゼロスの大切な妹ですからね」
利用価値は十分にある。そんなふうに含ませて言うと、ゼロスは私に手を伸ばしてきた。胸ぐらを掴まれて本棚に背を叩きつけられる。ばさばさと本が何冊か落ちて、急な衝撃に思わず咳き込んでしまった。
「お兄さま!?」
セレスが叫ぶが、ゼロスは容赦なく首元を締め上げてくる。爪先立ちで耐えながらも苦しくて顔が歪んだ。
「何のつもりだ」
「……そんなに妹が大切ですか?」
「あんたがこんなやつだとは思わなかったぜ」
「お兄さま!やめてください!」
セレスが必死に叫ぶので流石に悪い気がしてきた。私はゼロスの腕に軽く雷のマナを通してばちん!と弾く。憎々しげに舌打ちされたけど、ちょっと思ったよりもゼロスの締め上げが強くて言い訳どころじゃない。結界のテストを頼んだ時もそうだったけど、ゼロスって結構力が強いっぽい。見た目は優男って感じなのに不思議だ。
「げほっ、うっ、はあ……」
「魔女さま!冗談が過ぎますわよ!」
「ご、ごめんセレス。でもわかってくれました?」
「噂が嘘だっていうのはよーくわかりましたわ!」
セレスが駆け寄ってきて背中をさすってくれる。私の自業自得なのに優しい子だ。根が素直なんだろう。
そんなセレスをゼロスは複雑そうに見下ろしている。ゼロスも、セレスのことを大切な妹として思っているのは間違いないだろう。
でも二人の間には何故か壁がある。理由はわからないが、これだけ材料が揃えばなんとかなる……かな。


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