「やぁ仁王」
柔らかい声
廊下で呼び捨てで名を呼ばれ振り向く
少なくとも病院の者で俺を呼び捨てにしているやつはあまりいない
聞いたことのある声に多少驚きながらも、まさかという思いを胸に抱きながら声の主を視界に納めた
「幸村」
思い浮かべていた人物と見事に一致し、久しぶりに見る実物の彼にぽりぽりと軽く頭を掻いた
「相変わらずだね、お前は」
「お前さんもな」
ふわりと髪を揺らしふっと柔らかく笑む彼は中学高校、そして卒業後を通しても変わらない様子で
いつもあの余裕のある、それでいて威厳のある笑みを浮かべていた
そして時には恐怖の笑みも
「こっちに帰っとったんじゃな」
プロテニスプレーヤーとして活躍している彼は、現在本拠地を海外としている
依然として神の子は健在でまたどっかで人様の五感を奪っているのかと考えると医者として複雑だ
まぁ元“立海”テニスプレーヤーとしてなら笑って流すしかないのだが
「ああ。知り合いが入院したって聞いてね、まだ一度も来てないからこの機会に見舞いに来たんだ」
「ほうか。そうじゃ、お前さんに会ってほしい人がおるんじゃけど後で時間くれん?」
そういえばブン太が入院し始めの頃に彼の話をしたことがあったことを会話中に思い出す
もちろん会ってほしい人とはブン太のこと
彼は免疫系の病気に掛かり、暫くの間闘病生活を送っていた
体が動かなくなり、呼吸が困難になり……最悪の場合死んでしまう
そんなことを宣告された彼だったが手術を受け術後のリハビリ、部活を人一倍頑張り復帰をした
彼は元々三強の一人でかなりの実力を持っていたが、またその場へ戻るために誰より努力していたのを知っている
病気になったこと自体、彼にとって辛いことだっただろうがテニスを再びやるための努力は更に辛かったろう
厳しく、優しく、時に自分勝手な彼にもそんな過去があった
だからこそプロのテニスプレーヤーになった今どんなに高い壁も乗り越えてきたのだろう
「わかった。その前にこの番号台の病室ってどこにあるのか教えてくれないかい?」
彼は笑って答えると、きっと知人がいる病室の並びの番号を言った
そこはブン太が入っている病室の並びであり、何度も足を運んでいる
丁度いいと思いながら、柳生をさっき見かけたとか、他の三強と連絡をとったとかテニスの話などを聞きながら彼を案内した
あの番号台の病室が並ぶ廊下の先、何処かに行って戻ってきただろう赤髪の彼が部屋のドアを開けようとしていた
ブン太、と声を掛けようとした時彼がこちらに気がついて目を見張る
「幸村くん!!?」
……幸村………くん?
思わず言葉を飲み込んだ
「ブン太!」
そう言って隣にいた幸村はゆっくりと彼に近づく
見る限り幸村の見舞い相手は彼のようで
「あれ……二人知り合いじゃったん?」
「え?」
その言葉にブン太がきょとんとした顔をする
俺の言い方に俺たちも知り合いだと言うことに気づいたのか寧ろそっちこそ、と目を向けられた
その様子を見ていて幸村が
「……何だ、知らないところで三人知り合いになってたみたいだね」
そうくすりと笑った
とりあえず廊下に立ちっぱなしと言うのもどうかと思ったのだろう、ブン太が俺たちを部屋の中に入るように促す
「お前さん達はどこで知り会ったんじゃ?」
「部活。幸村くんが日本に戻ってきた時に指導しにきてくれてたんだ」
「幸村そんなことしとったんか」
「まぁね。ブン太を含め興味深い子達がいるから」
ブン太はベッド、俺と幸村は椅子に座りながらまた話を再開
「最近メールが来ないからどうしたんだろうって思ってたんだけど……切原とジャッカルから教えてもらったよ。びっくりした」
「ごめん幸村くん」
「気にしないで。ブン太のせいじゃないだろう?」
幸村は慣れたようにブン太の頭をぽんぽんと撫でた
ちょっと待て
こいつらメール友達なのか
しかもこの様子を見ているとブン太は幸村になついているようで
………何だか複雑な気持ちだ
「仁王先生は?」
すると幸村がふっと笑った
俺が『先生』と呼ばれていることを笑っているのだろう…失礼な奴じゃ
「こいつとは同期なんよ」
「同期!?……そういえば二人とも立海だもんな…でも同期とは思わなかった……」
……それはどちらかが老けてる、とか若作りとか言いたいのだろうか
まぁ確かに同じ年代に同期には見えない奴もいるが
「幸村くん!仁王先生ってどんなプレーヤーだったの?」
ブン太は興味津々な態度を見せる
幸村はやはりまたふっと笑うと
「よく分からない奴だったよ」
と。
「いやそれは分かってる」
……即答で答えるブン太に少し悲しくなる
「ほんと、詐欺師ともあったお前が医師になって先生なんて呼ばれてるなんて……ふざけた話だよ」
「……酷い言われようじゃ」
詐欺師??とブン太は呟き、幸村に説明を求める
「こいつはね、人を真似てプレーするんだよ。四天宝寺の白石、青学の手塚、そして俺までも……その結果ついた二つ名がコート上の詐欺師」
「へぇ……!」
「ダブルスの時なんて変装して相方と入れ替わることもあったね」
「へーー……」
それを聞いてブン太は仁王先生ならやりかねない、と思いつつやっぱりそんな奴と組んでる相方もよっぽどの変人なんだろうなと考えていた
「そういえばブンちゃん。入院したばっかの時に部員の話をしたことあるじゃろ?」
「うん」
「あれ、こいつじゃ」
「え!!?」
あの幸村くんが!?と驚くブン太
無理もない
だって彼は闘病生活を送っていたなんて思えないほど強いから
テニスが強いから病気をしないということはないが、やはりそのようなワードからはかけ離してしまうのは分からなくもない
それにしても幸村は言ってなかったのか、当時の事を
話の流れやブン太の状況から幸村は自分が部活中に倒れ、病気になったことをブン太に話したということを察したようだった
そして持ち前の勘の鋭さでブン太の病気がよくない……このままでは死に至るだろうということも
幸村は病気の事を特別隠していたわけではなかったらしく言ったことには特に何も言われなかったが、真剣な眼差しをブン太に向けた
「ブン太」
それを受け止め、真面目な雰囲気に彼も真剣な目で彼の言葉を待っている
「俺から言えることは……諦めなんていらない。『残っている』のは生きるという選択だけだ。悩むのも後悔するのも意思を持っているのも生きているからこそだよ。」
そしてぎゅっとブン太の両手を握りしめた
「だから生きることだけを考えな」
幸村の言葉には説得力と重みがあった
死が迫るのを突きつけられ、それでも生を掴みとった彼
テニスに復帰すること
大会に出ること
先を考えること――
全ては生きることに繋がる
だから死という可能性を見ない
目をそらすのではなく、生きることしか見るなということだ
「うん、幸村くん」
ブン太はゆっくりと頷いた
幸村は優しく微笑んだ
「まぁブン太は強い子だから、言わなくても大丈夫だっただろうけどね」
「そんなことないよ…!確かにさらさら死ぬ気はないけど!」
「ふふ……その意気だ」
そしてまた、ぽんぽんと頭を撫でた
嬉しそうに微笑むブン太
(……………)
こんな感情になるべきではない
幸村は真剣に、ブン太に声を投げ掛けてそしてブン太はそれに励まされているのだから……
そう思っているのに
ブン太のことをよく知っている幸村と幸村を尊敬の目で見つめるブン太
そして俺より早く幸村はブン太と会っているその事実に、
………どうしようもない感情が蠢いていた
110513
110528訂正
病気はあれを参考にしました