▼ 10

気がつくと、いつの間にか自分はあのベッドの上にいた。まだ頭が半分眠っているようだ。世界が少し回っている。しかし日の光はそれをゆっくりゆっくりと覚醒を手助けしてくれている。時間をかけてやっとセバスチャンは目を覚ました事に気がついた。
宿泊用に通された部屋。シエルと一緒に過ごしたあの部屋。しかしあんなに濃い時間を過したと言うのに、窓から運ばれる外の香りでシエルと自分の香りはすっかり浄化されている。ベッドにはもう二人の香りはない。ただ、身体が沈みこんで柔らかいシーツが睡魔を誘ってくるだけだ。
鈍痛が響く腰と下半身をダルそうに起こした。激しく、強く打ち付けられた腰が痛い。身体のあちこちも痛い。重い溜息と共に、自分が何時の間にか燕尾服姿であるのにやっと気がついた。
痛いというのは説明には納得がいかない。恐らく、はやり重ダルい。腰に手を添えながら立ち上がり、シエルを探しに行く。

――あなたを私の世界に。

昨日そんな事を言っていたが、自分はちゃんと元の世界に戻ってきているようだ。悪夢から覚めた安堵と、一刻も早く主人に会いたくて廊下へ出る。熟睡なんて久しぶりだった。主人に気を遣わせてしまったのか、自分がこんな遅く目を覚ますまでそっと寝かせてくれていたのだろうか。こんな事はあってはならないのだ。誰よりも遅く起きて、誰よりも早く起き、誰よりも早く準備をしなければならない役目。まずは主人に会って朝の挨拶よりも謝罪をせねば。


明るく照らされた日の光がとても眩しい。まだ頭のどこかが眠っているのだろうか、クラクラと軽い眩暈さえ覚えた。
「坊ちゃん・・・」
そっと小さく親猫を探すようにセバスチャンは小さく鳴いた。
屋敷の中は誰もいない。
一体主はどこにいるのだろうか、色々な場所を見て回るが、いつまで経ってもシエルは見つからなかった。セバスチャンはここでやっと「おかしい」と疑問に思う。この屋敷の執事やメイドに会っても良い筈なのに一人もすれ違わないのだ。少し足を速め、急ぎ足で廊下を歩く。沢山の部屋を見て回って動揺と軽いパニックが眩暈のように、視界をグラグラさせていた。
「ここには誰もいませんよ。私とあなただけです」
気がつけば背後からそんな声がする。振り向くとあいつがそこに立っていた。ニヤリと頬が吊りあがる笑みが自分に向けられているのに、更に眩暈を加速させた。
「こ、ここは屋敷の中・・・」
「鏡の中の、反転世界にも気がつかないなんて・・・余程頭が覚醒していないんですねぇ・・・。ほら、ちゃんと起きて周りを見て考えてみては如何です?」
奴は含み笑みに手を顎に添えて、それはもう愉快そうに笑む。肩を鳴らしてクックックと。
そう、そうなのだ。言われてやっと気がついた。
この屋敷は、部屋や廊下の構図が、昨日来た時と全く逆位置になっている。
廊下を歩く時向かって左から日の光が差していた筈なのに、立っているこの廊下に差す光は、右から差していた。
「あぁ・・・そん、な・・・」
「坊ちゃんに会いたいですか?」
「え・・・」
「こちらにどうぞ」
手を差し伸べられ、無意識にそれを取り、自分は主のように優しく案内される。シエルと寄り添ったあの客間へ戻り、奴は自分を丁寧にエスコートしながら、そうっと姿見の布を取った。セバスチャンは驚愕した。
「坊ちゃん!!」
シエルが鏡の向こうにいた。しかし何度も姿見の前を右往左往して歩き回っていてチラリチラリとしか確認できない。バッと姿見に手を突いて、額縁を掴み声を出した。
「坊ちゃん、私はここです!」
――どうしてだ、どうしてこうなった・・・。
「え?」
シエルは向こうで歩きながらそう呪文のように唱えている。自分の姿が見えていないようだ。
――セバスチャン・・・何処へ行った・・・。
「ですから私はここに・・・」
すらぁっと、髪を撫で回されて抱きしめられた自分は、姿見から手を離した。背後から優しく柔らかい花弁を撫でるように抱きしめる奴は言う。
「ここは鏡のこちら側。あちらは鏡の向こう側。明るい内は日の光が差して明るい鏡の中も、夜は月夜が頼りの真っ暗闇。もうあなたは坊ちゃんとは会話も触れる事も出来ないんです」
「そ・・・・」
「だって、鏡の中なんですから。ここ・・・」


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