心を配る





『あ、また』

時間は深夜。
繁華街もない、どちらかと言えば田舎に分類される烏森では、普通の人は出歩くことのない時間帯だ。

俺は烏森の上空。地面より雲の方が近いような場所で、人一人分の結界に胡座をかいていた。

下へ落とした視線の先では、弟の良守と時音ちゃんが妖を相手に戦っている。

いわゆる何時もの"お勤め"だ。

何時もと同じ。
何ら変わらない"お勤め"のはずなのだが…

『なんか、変だな』

どこか違和感があると思い眺めていると、さっきから良守の動きがおかしいことに気付いた。

普段も普段だが、今日は何時もに増して妖を捕まえることができていない。

良守は馬鹿だがセンスは悪くないし、力のでかさも半端なく大きい。ただ、

『要領がわるい』

だから、ちまちまと妖を捕まえるのは苦手だ。
しかし、バカでかく結界を張ってしまえば簡単に捕まえられるし…あいつにはそれが出来る。

『…また仕留めそこねてる』

と言うより、結界が弱くてすぐ抜けられてしまっている風に見える。

遠目から見ていてもわかるくらいに不安定な結界が、張られては破られていく。
二人で動いてはいるが実質、時音ちゃんが一人で妖を追い詰めている形だ。

幸い、妖も弱ってきているみたいなので、心配しなくても後一押しで片が付くだろう。

『だけど』

安堵するとともに、不安感が膨れだした。

覚えのない記憶がうっすらと見え隠れしては、頭の片隅で目の前の光景と酷似した過去の映像をちらつかせる。
記憶が正しいならその中の自分はまだ幼く、更に幼い弟を酷く心配していた気がする。

『…もしかしたら、面倒臭いことになるかもな』

なんて考えている間に、時音ちゃんの天穴が妖の残骸を吸い込んでいた。

「…思い過ごしならいいんだけど」

このまま何事もなくお勤めが終わればと思っていると、良守が足元から崩れ落ちるのが殊更遅く見えた。

俺は「あ、やっぱり」と、どこか納得しながら、座っていた結界からゆっくりと腰を上げ、必死に弟を呼んでくれている時音ちゃんの元へと向かった。


「まったく、世話の焼ける」

段々と、先程まで粒のように見えていた長い髪が目前に迫り、その肩に手が届くところで声をかけた。

「大丈夫?」

白い背中がびくっと動く。
ゆっくりと振り向いた顔は驚いたまま固まっていて、目には光がたまっている。

「正、守…さん?」

『…女の子を泣かすなよ』

俺は「こんばんは」と返しながら、弟へと視線を写すと、ぴくりとも動かない体が目に入った。

「良守、倒れたみたいだね」

その言葉で思い出したのか、凍っていた思考が溶けると心配そうに眉を寄せた顔も戻った。

「あ、そうだ…良守!」

「あぁ…大丈夫だよ」

彼女にしては珍しく、あたふたとした身振りを繰り返し、俺に状況を説明しようとしている。
その姿があまりに一生懸命なので、これから話そうとしていたことを聞いた後、彼女がとるであろう反応に少し申し訳なさを感じた。

「時音ちゃん、多分こいつね」

そう言いながら、俺は校庭に寝そべったままの良守の腕をを持ち上げてみる。
手の平にじんわりと、記憶にあるより高い体温が伝わってきて、いよいよ俺の記憶は確信へと変わる。

「…うん、やっぱりな」

「やっぱり?」

事情が飲み込めず、心配そうに揺れた髪に事情を説明しようと、口を開く。

「こいつ、風邪だから」

「…え?」

飲み込めないでいる言葉を反芻するように、一拍間を置いてつぶやきがこぼされた。

「ただの風邪。今日様子変だったりしなかった?」

「確か、に。何時もより結界が不安定で…」

「昔から風邪引くと力のバランス取れなくなるんだよ、こいつ」

「だから安心して」と付け加えると、詰まった息を吐き出すような安堵の声とともに、ホッという音が聞こえそうなほどに胸を撫でおろした。

「よかった〜…」