しのび ときどき おかん





「だーかーらー!!何度も言ってるだろ!!」

上田の城内。
城の奥に広がる庭で、俺は目の前の相手に指を突き付けて怒鳴っていた。

「その言葉そっくりそのまま返すでござる!!」

それをまた相手が…まぁ、旦那が大きな声で怒鳴り返すもんだから周りには家人を始め、鳥の影すら近づかない始末だ。
山と積まれた着物と、その隣に置かれた桶を挟んで、かれこれ半刻程怒鳴り合っている。

「何 で だ よ !!あーもー嫌だ!!俺様の主がこんなおバカだなんて最悪だ!!」

何でこんな分からず屋なんだ、この人!!産んだ気なんて無いけど、こんな大人に育てた覚えもさらさら無…

「主に向かって最悪とはなんだ!!某とてお前のような理解に乏しい忍なぞ願い下げだ!!」


はい、ぷっちん!!
これ、ぷっちん!!
もう俺様我慢の限界!!
この人何もわかっちゃいない。

「俺様がただの家人ならその言葉も甘んじて受けましょう。それが本職だもんね。しかし、しかしだ…俺様忍びだよ?そこんとこ旦那わかってるの?」

「わ、わかっておるぞ?」

旦那の顔が僅かにひくつく。
あ、やっぱりわかってないなこの野郎。
じゃあ…教えてあげようじゃないか。あんたがいかに俺様を忍びと思ってないか。

「ねぇ旦那…」

少しずつ変化していく空気に旦那が身じろいだ。
今更気付いても遅いからな。

「問題…無駄に汚れる旦那の着物を洗ってるは誰でしょう」

「え?さ、佐す」

正解

「問題…旦那の団子を毎日毎日毎日毎日買いに行ってるは誰でしょう」

「さす」

正解

「問題…普通ならするはずの無い仕事をしている優しい忍頭は誰でしょう」

「…さ」

正解!!

「そう!全部俺様!忍びの俺様!それを言うに事欠いて主の事を理解しようとしないだと!?ふざけんな!旦那なんて硯一つ探せないくせに!!頭も満足に拭けないくせに!!夜中に厠へ一人で行けないくせに!!」

「…なっ!!厠はまだ某が幼い頃の事だろうが!!」

「そこじゃないよバカ!!」

「だから!主に向かってバカとは…」とか真っ赤になりながら反論してるけど、今の俺様にそんなこと関係ないから。論点がズレてようと関係ないから!!


「実家に帰らせて頂きます!!」


そう言って、俺は大口を開けてほうけている旦那も何もかもほっぽらかして烏に掴まった。











それが数日前。
「実家に帰る」と、言っても本当に上田から離れる訳にもいかなくて、結局は近くの木から様子を見ている。もちろん、旦那には気付かれないように。

何度か部下の忍びが呼びに来たけど「俺様は今里に帰ってるから」と言って追い返した。大人げ無いと自分でも思う。

途中、硯一つ見つけられない主によってひっくり返されていく城が不敏過ぎて帰ろうかと思ったが、ここまでくると意地だ。

『…城の中が荒れようが俺様の知ったこっちゃない』

と、自分の周りをくるくると旋回する数羽の烏を見ながら無視を決め込んだ。
その後、城は何とか体裁を持ち直したようだが、あたふたとした様子は変わらずだった。


気付けば喧嘩をしてから一週間が経とうとしていた日のこと、旦那の部屋の辺りを覗けば不慣れな手つきで洗濯をしていた。

『あぁあ、そんな強くやったら…ほら、ダメにした』

ていうか、何時もは人にホイホイ押し付けてくるのに何で自分で洗濯なんかやってるんだろうかあの人は。

『まぁ、"自分でやらねば佐助に文句の一つも言えぬからな"とか考えてるのかな』


旦那は既に同じようにダメにした布を見ながら唸っていて、そんなダメ男代表みたいな旦那を見兼ねた家人が奥から出て来て、旦那にしきりに話しかけている。

『そりゃあびっくりするよね。城主がいきなり洗濯始めたら…って、あれ?』

さっきまで明るかった旦那の顔は段々と暗くなって、その暗い雰囲気は夜まで続いていた。

流石に心配になって天井裏に忍び込めば、旦那は自室で一人「いや、しかし…だとしても…うーん…よし」とぶつぶつ呟いていた。その姿は戦に赴く時のようで一つの不安が生まれる。

『…何かの作戦?一人で?今動くとしたら何処だ…尾張?瀬戸内…では無いだろうし。諜報なんて最近誰か行った奴いたっけ?』

ぐるぐると思案していると突然何処からか呼ばれた。考えこんでいたせいで反応が遅れたが、もう一度呼ばれて確信する。

「佐助」

旦那だ。

『…あっれー?バレてる?』

雑念が多かったので当然かと思いながらも内心驚いた。
やり過ごそすという考えが一瞬過ぎったが、ここまでバレてしまっていては出て行くしか道は無く、渋々という雰囲気を纏って顔を出した。

「…何」

反応無し。
振り返りすらしない主を訝しむ前に、不安が募る。

『え、やっぱ戦?しかも相当情勢が不利なのか?』

下に降りて微動だにしない旦那に近づく。
真後ろまで来たとき漸く旦那が振り向いた。その顔は真剣で、俺は"相手は織田か、それとも伊達なのか"と口を開こうとした。

しかし、それを言う前に相手が居なくなった。
"正にそんな様子だった"と言うだけで、忍びでない旦那にそんなこと出来る訳が無く、正確に言えば凄い勢いで頭を下げられた。

「…え?何してんの?」

この人何してんの?
あまりのことに意識がうまく働かない。

『何なのこの人!!意味がわからんないんですけど!?』

それでもどうにか旦那に頭を上げてもらうと、

「すまん、某が…間違っておった」

その一言で、何かがカチリと音を立てて繋がった気がした。

『…あぁー、そういうこと…喧嘩のこと謝ってんのね?』

あまりに真剣な顔をしていたから戦の事だとばかり思っていた。

「昼に、色々とお前の頑張りを聞いてな、お前には酷い事を言ってしまった…部下の功績も分からぬ主とは…何と情けない事か」

暗い顔をして言う顔を見て昼間、旦那が洗濯をしていたところを思い出す。

『昼?女の家人と話してたときの事か?…どんな話ししてたんだ』

まぁ、どんな話しをしてたとしても…
そんなこと気にして暗かったのか、この人。
本来、主である旦那は下を気にするものではないし、今回の事にしたって、主従関係として全面的に間違っているのは俺の方だ。
そう考えると、急にというのもおかしな話だが、罪悪感がもやもやと広がって、俺は自然と姿勢を正し頭を下げていた。

「旦那、この度は誠に申し訳…」

「だからな」

しかし、その謝罪は主によって止められる。
え、さっきから何なのこの人。

「これをやろうと思ったのだ」

と、手を目の前に差し出された。
掌には透明な液体の入った瓶が一つ転がっている。

『これって…』

記憶が正しければ、俺がよく使っているものと同じ種類のものだ。

「あかぎれに効くという油だ。お前は冬はあかぎれが酷いと聞いたのでな」

…あ、やっぱりね。

「旦那…!!」

俺は目を伏せ、徐々に沸き上がってくるものを抑えた。

「だから戻ってこい!!佐助!!」

「旦那…」

あぁ、本当にこの人は…
小刻みに震える拳をどうにかしなければと思いつつも、その拳が渾身の力を込めて前方に向かって行くのを止められなかった。否、止めなかった。

「このお馬鹿!!根本的解決になってないんだよ!!」

おバカ。
おバカ過ぎる!!
もしかしたら"あかぎれになるのは、旦那が言い付ける洗い物が原因だ!!"と真っ正面から言っても気付かないかもしれない。

「まったく!!旦那がおバカなままだと、俺様また同じ台詞を吐かなきゃいけないじゃない!!」

俺は大口を開けて左頬を押さえた旦那を置いて烏に掴まった。




「実家に帰らせて頂きますから!!」






また繰り返し。


本当学習しないんだから。


前回と違うとしたら、俺様の手に小瓶が収まってるのと、もしかしたらおバカな子供を持つ母親の気持ちってこんな感じなんだろうかって思ったことぐらい。






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