稲城実業野球部グラウンド。
原田が寮への道を歩いていると、その腕の中の白い物体を目ざとく発見した鳴が駆け寄ってきた。


「わっ、雅さん何持ってんのそれ!」
「迷い犬だ。洗ってやろうと思ってな」


原田が抱えていたのは白い子犬だった。毛が長く、丸っこい体をしていて、ぬいぐるみのようだ。白い、と言っても、今その毛は泥にまみれて汚れている。原田の服にも染みを作っていた。


「え!飼うの?!寮で?!」
「飼うわけねえだろ、馬鹿。首輪付きだ」


ほれ、と原田が犬の毛をかき分けて鳴に首輪を見せる。ああほんとだ、と鳴が少しがっかりしたような顔をした。


「どっから入ってきたんだろ。…ねー雅さん触らせて!」
「駄目だ。指噛まれたらどうする」
「ちぇー…あ、樹!見て見てー!」


前方に後輩キャッチャーを見とめた鳴が声をかける。振り向いた樹は少し目を凝らして、ぎょっとしたような表情を浮かべた。


「な、何すかそれ鳴さん!」
「犬だけどー?」
「うわ、ちょっと雅さん…まさか飼いませんよね?」
「ああ、飼わんが…何だ多田野、犬は嫌いか?」
「いや、ちっちゃい時噛まれてからちょっとトラウマで…あーでも可愛いっすね、こいつ」
「ほら、克服するチャンスじゃん!触ってみろってー」


鳴に勧められるがままに樹が恐る恐る犬に手を伸ばす。しっとり濡れた毛に触れるか触れないかというとき、がぶ、と鈍い音がして樹が悲鳴を上げた。


「いって!」
「あーあ、こんな可愛いのにも噛まれちゃうんだ…樹、かわいそー」
「俺は噛まれないんだがな」
「樹、嫌われてるのかもねー」
「ちょ、雅さん!そいつ、寮連れてくんだったら絶対目離さないでくださいね?!襲われる!」
「はは、大げさだな。分かった分かった、ちゃんと見といてやるから」


絶対っすよー!と叫んで、樹はそそくさと逃げて行った。原田の腕の中の犬は満足げな顔をしている。


「何だこの顔ー、可愛いなー」
「多田野を敵とみなしたのか…?」
「撃退できたから嬉しいのかもねー!」
「まあいい。行くぞ、鳴」


なるべく人目につかないように寮に入る。この時間ならば風呂はがらがらだろうと思った原田が一人まっすぐ浴場に向かうと(鳴はふらりとどこかへ消えた)、予想と反して人影が見えた。


「ん…誰かいるのか?」
「あれ、雅さんすか」
「神谷か?」
「あ、俺もう出ますけど…って、え!犬!」


タオルで髪を拭きながら、いつものごとくカルロスが全裸で浴場から出てくる。


「どこから連れてきたんすか!飼うんですか!」
「飼わん。洗ってやるだけだ」
「あっじゃあ俺ももっかい入ります!ていうか何なら俺がやりますよ。どうせ裸だし」
「ああ、そうか?それなら頼むか」


原田が犬をカルロスに渡そうとする、と。

「わうっ!」
「おう?!」


犬が勢いよく吠えて、カルロスの腕から必死に逃れようとする。身をよじり、じたばたと足を動かす。カルロスが試しに離してみると、犬はてけてけと勝手に浴場に入って行った。


「…好かれてないですかね、俺」
「…ああ、どうやらそうらしいな」
「はは、ショック。俺、犬好きなんだけどなあ…まあしょうがないんで、後頼みますね、雅さん」


ああ、と言って原田が犬を追って浴場に入る。つるつるとした床を歩こうと気張ってはすてんと転んでいた犬を捕まえて綺麗にするのは、なかなかに骨の折れる仕事だった。










入浴終了後。すっかり懐いてしまったらしく、犬は原田の腕の中ですやすや眠っている。原田は、犬を外に逃がす前に、先程可哀想な扱いを受けたカルロスにリベンジさせてやろうと思い、カルロスの部屋へ向かった。


「神谷、いるか?」


しかし、ドアをノックして出てきたのはカルロスではなく、


「原田さん。…と、何ですかこれ」


同室の白河だった。


「犬だ」
「分かりますけど」
「実は…かくかくしかじかでな」
「ふーん…ま、入って待っててください。多分そのうち帰っ「ただいまー!」…て来ました」
「神谷。今なら寝てるからチャンスだぞ」
「ま、雅さん…!俺に気を遣って…?!」
「はは。ほら、思う存分触れ」


原田が寝ている犬をカルロスに渡す。カルロスがそっと犬を抱きかかえると、


「わうっ!」
「わっ?!」


目を覚ました犬がカルロスから逃れて飛び込んだのは。


原田ではなく、白河の胸の中だった。


白河が油断していたせいもあり、勢い余ってそのまま押し倒し、顔を舐めまわす。


「何だこいつ、ちょっ…やめ…」
「…雅さん、俺切ないっす」
「ああ…悪かった。何故か俺もそこはかとなく寂しい」
「何で白河なんだよー!俺のほうが犬好きなのにー!」
「俺は嬉しくないっ…おい、どけ…」
「わんっ」
「わんっじゃないだろ…」







約15分間白河の顔を舐め続けた犬は、ようやく満足げに飛び退いた。白河がうんざりしたように立ち上がる。


「…顔洗ってくる」
「わう!」
「ついてくるな…」


足蹴にされてもなお白河の足元にまとわりつく犬。マゾの気でもあるのかと疑うようないい笑顔である。


「…何か、いいっすねえ…」
「奇遇だな…俺もそう思っていたところだ」
「やっぱりすか?いいですよね、」
「「表情豊かな白河」」













数日後、犬の猛烈なアタックにより、白河は少しずつ犬に心を開き始めた。

犬を前にして、めったに見ることのできない貴重な笑顔すらも浮かべる白河を、部員たちはほのぼのと温かく見守るのだった。














「飼わないって…言ってませんでしたか…」

ただ一人、樹だけは遠巻きにびくびくと見つめるだけだったが。











多分いつの間にか居着いたんだろう



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