枕の高さを帰るだけで眠りの質が変わるのだと、いつかゴールデンタイムのテレビの睡眠特集で言っていた。
今までナントカダイエット法や簡単顔ヤセマッサージを筆頭に、テレビの情報に安易に踊らされてきた私である。
ものは試しだと、いつも使っている平たい枕の下に0.8cmほどの分厚さの教科書を置いてみた。
買わされたはいいものの、先生に「私の授業は基本教科書使わないから」と言われてお役御免になった保健体育の教科書だ。
寝てみると、確かに寝心地は違う。頭がより固定されているような気がするような、しないような。
これで明日寝違えてたらやめよう。爽やかに起きることができれば続けよう。
夜の0時。明日の体育は体育館でするのかな、なんてことを考えているうちに眠りに就いた。



いつもの教室の、どこの学校でも見かけるような黒板にはさっきまで数学の授業がありました、というのを表すように数式が並んでいて、クラスメイト達は賑やかに会話したり次の授業の準備をしていた。
私も準備しなければ。机に貼った自作の時間割を見ると、次の授業は古典だった。
古典の先生といえばまったりゆったりとした話し方で有名で、教科書の音読を聞くとすぐに眠くなってしまうと評判だ。
次の授業は寝てしまおうか、大きなあくびを一つと先生への謝罪の言葉を宙に浮かべる。
浮遊しかけたそれをかき消すように、普通に開けるだけでは起きないような大きな音を立てて、教室の二つあるうち、前の扉が開いた。
乱暴な行動とその音の元凶に、クラスメイトの視線が集まった。視線の中心には、いつも一緒に昼食を食べる親しい友人の一人、りっちゃんが立っている。
彼女のチャームポイントである大きな瞳からぼろぼろとこぼれ頬を伝う涙は、限界を知らないのか段々量が増えていき、教室はあっという間に水浸しになってしまった。
床板に涙が沁みて色濃くなることも気にせずに、りっちゃんは真っ直ぐザブザブと涙を掻き分け教室を横切っていく。口から零れるうわ言のような言葉の内容は、仲がいいと評判の彼氏のことだった。

『どうして、どうして私じゃダメだったの。別れるなんていわないで。』

りっちゃんと彼氏さんは、少なくとも昨日までは廊下でキスをしたり、教室で手を繋いだり、周りに冷やかされたりなんかするくらいラブラブなカップルだったはずで、昨日の今日で別れてしまうようなそぶりはなかった。なのに、涙と同じくらい垂れ流された言葉には、別れを嘆く音が乗せられている。
おかしい、あの彼氏くんがりっちゃんを振るだなんて。あまりに痛々しく見ていられない様子の彼女にと声をかけようとしたが、私の喉が震えることはなかった。
りっちゃんの涙はどんどん嵩が増してゆき、ついには膝のあたりまで到達する。
教室の端のグラウンドに面した窓の前までたどり着いたりっちゃんは、内側からしか開けることのできない簡単な鍵を上げた。
窓を開け放つと、教室の中の空気をかき混ぜるようにして外の風が入ってくる。
私の髪を乱した風に目を細めているうちに、りっちゃんはシルバーの窓枠に足をかけていた。
とめなければいけないと頭では理解しているのに、指先一本すら動かない。

――危ない、落ちる、りっちゃんが死んでしまう!

直立したままの私は結局、りっちゃんが重力に任せて彼氏の名前を叫びながら落下していくのを見送った。
りっちゃんの身体が風を切り、ビュウと大きな音が教室まで聞こえる。それから下の階の住人の悲鳴と、何かが潰れる音。


「っりっちゃん!」


自分の叫び声に驚いて跳ね上がるように上体が起きた。
そこは教室などではなく、朝の静かな、窓から差し込む日光だけが光源となっている自室だった。
目覚まし代わりのケータイのアラーム機能によって鳴らされているかわいらしい音を止める。パジャマの下は汗でびっしょりと濡れていて、気持ちが悪い。

(…夢だ。夢だった。)

ほの暗い部屋で一人安堵の息を吐き、脱力した。ベタに頬を力いっぱい抓ると、じんじんと後に残るような痛みがある。
よくよく考えてみれば、りっちゃんと彼氏が別れるはずがなかった。昨日、おそろいで買ったという1000円のペアリングを見せられたばかりだし、帰る前には廊下の影でキスをしているのを目撃してしまったし。
それに、万が一あの二人が別れたとしても、それくらいでりっちゃんが自殺するわけがない。
付き合っている間は盲目的だが、基本、恋愛に対してはパリっとした子だ。今の彼氏と付き合ったのも、前の彼氏と別れた一週間後だった。あの時はあまりの変わり身のはやさに恐れさえ感じたけれど、今はその身軽さに安心している。

(大丈夫、大丈夫だよね。そんなはずない。)

誰にも聞こえない大丈夫を、自分に言い聞かせるように繰り返す。
僅かな不安を抱きながらも、アラームを止めたばかりのケータイのサブディスプレイが普段ならもう着替え終わっている時間を示していたため、支度を始めた。今日は月曜日。学校だ。



普段より少し遅れて学校へ着き、すれ違う先生に挨拶を返しながら教室へと向かう。
開いたままのドアに半ば安心しながらも自分の席へ荷物を置くと、いつもと様子が少し違うことに気がついた。
自分より後に登校してくることの多い友人達が、既に集っている。遅れたせいかとも思ったが、黒板の上に設置された時計を見ると、まだ友人達が教室にいない時間だったため、きっと何か事情があって早く来たのだろうと気づいた。
人の集まっている机へ近づくと、中心にはりっちゃんが顔を両手で覆い座っていた。
手にじわりと汗が浮かぶ。握りしめてからスカートで拭って、そんなわけないと浮かんだ考えを頭から振り払おうとした。
ただの夢だと思いたいはずなのに、『それ』が頭から離れてくれない。
まだ決まったわけじゃない、聞かなきゃわからない。違うことで泣いているのかもしれない。
出来るだけ平然を装い、何があったのかと事情を尋ねた。涙と鼻水でマトモに話せない様子のりっちゃんの変わりに、普段友人の中ではまとめ役に回ることの多いひいちゃんが私の問に答えた。

「今日の朝、りっちゃん彼氏に振られちゃったの。」

目を見開き、動きを止め、返事をしない私に、ひいちゃんが名前を呼ぶ。
それにより現実から少し離れた場所にいた意識を取り戻した私は、ひいちゃんの半身を押しのけるようにしてりっちゃんに近づくと、無意識のうちに彼女を強く抱きしめていた。
突然のことに、ひいちゃんも含めた友人たちが押しのけられたことを気にもせず、驚愕の声をあげる。
こういった女の子同士のスキンシップはよくあることだけれど、りっちゃんからはともかく、いままでこうして私から女の子を抱きしめたことはなかったからだ。
りっちゃんも、抱きしめたのが私だったことに驚いたのか、思わず顔から手が離し確認するように私の顔をまじまじと見つめた。
珍しいと呟いたのはひいちゃんだっただろうか。すすり泣くような声を止めたりっちゃんが、おずおずと私の背中に腕を回す。

「なまえ…?」
「りっちゃん、大丈夫だよ。私がついてる。」
「うう、なまえ…」
「うん、辛かったね。大丈夫、大丈夫だから。」

何が大丈夫だというのだろう。詳しく事情を聞きもしていないのに。
自分でも、何をしているのか、なにを言っているのかよくわからなかった。
だけれど、こうするしかなかったとでもいうのか、私の口は励まし、寄り添うような言葉を投げかけ続ける。
でなければ、りっちゃんがそのまま飛び降りてしまう気がして。
自分の貧困なボキャブラリーを駆使しりっちゃんを慰めると、「あのなまえが慰めてくれてるんだよ」と、ひいちゃんたちが添えるような言葉と共にりっちゃんの背を叩いた。
『あの』とは失礼な、と頭の片端で思ったが、それどころではない。
頑張った甲斐あり、りっちゃんはHRが始まるころにはすっかり泣き止んでいて、涙の残る目でゆるく微笑んで、私にありがとうと言った。




次の日、ひいちゃんが大きな大きな小学生の頃の給食室で見たことのあるようななべの中で木箆で混ぜられて、カレールーになってしまう夢を見た。
よく考えなくても現実的に有り得ないことだ。また変な夢を見てしまったことに気分を害しながらもそのまま登校し、半日を過ごした。
その日は特に代わり映えのない日で、昨日のようなイベントもない。
すっかり立ち直ったりっちゃんの強かさに苦笑いを浮かべながらも安心し、ポヤポヤとした気持ちのまま授業を聞き流していた。
昨日のはきっと、偶然だ。正夢なんて、早々見るはずがない。しかもあんなにえげつない内容の。
昼休みが始まったというのに、食欲が減退するようなことを考えてしまって、夢のことは忘れようと決めた。
いつもの友人達と食堂へ向かい、席取り係と注文係に分かれる。今日の私は注文係で、ケータイに保存されている頼まれたメニューリストを開く。
同じく注文係に抜擢されたひいちゃんに、今日は何にするかと尋ねると、顎を三度叩いたあと、「カレーにしようかな」と言った。

…まさかコレ?

万が一今日の夢も正夢だったとして、何か対応する出来事が起こるとするのならば、それは今この瞬間なのだろうか。昨日の夢に比べると規模が小さく、あまりに日常的だ。
引きつった笑いを浮かべる私を不思議な顔で見るひいちゃんの気を逸らすように、うどんを注文した。
ひいちゃんのカレーが完成して、おばさんがカウンターにドンとお皿を置いた。先に言ってるねとそれを持ってひいちゃんが歩き出したとき、横から歩いてきた先輩の肩がどんとぶつかる。バランスを取るように前かがみになったひいちゃんの制服に、べったりと茶色いカレーが付いた。
ひいちゃんがカレーまみれになっている様子に、もしかしてコッチのほうなのでは、と考えを巡らせる。どちらにせよ、ひいちゃんがカレーになるよりは、何十倍も何百倍もマシだ。
ブラウスに付いたカレーを洗い流すために食堂を駆け足で出て行ったひいちゃんの背を見送りながら、水道で溶けてしまわないようにね、とひそかに念を送った。



その更に次の日、水曜日。
裁縫が得意で自分で洋服を作っちゃったりもするようなハイスペッククラスメイト、いずみちゃんの身体に無数の針が突き刺さり、サボテンのようになってしまう夢を見た。
目覚めは当然最悪だったが、今日の夢は今までと少し違っていた。
月曜日、火曜日の夢は身動きがとれず、りっちゃんやひいちゃんが人間じゃなくなってしまうのをただ見ているだけだった。だからこそ、何も出来ない自分により気分が沈んでいたのだが、今日は少し違う。自分で自分の身体を自由に動かすことができたのだ。
二日間の異常な夢のお陰ですぐにこれが夢だと気づき、自覚していたからかもしれない。またテレビで見た知識で申し訳ないが、明晰夢、とでもいうのだろうか。自覚があると、夢の中で好き勝手できると聞いたことがある。
ピュンピュン四方八方から飛んでくる針をいずみちゃんは声もあげず避けることもせず、針山のようになっていく。不思議と噴出さない血が、夢であることをはっきりと表していた。
しかし、気分が悪いことにはかわりない。だが、助けに行こうにもいずみちゃんと私の間には水族館のようなガラスが貼られていた。身体を自由に動かすことができたとしても、これでは何の意味もない。
ただただ名前を叫びながら、いずみちゃんがサボテンになっていくのを見ているだけしかできない。動けるのに、助けることができないのが歯がゆい。
もはや剣山かなにかにしか見えなくなったいずみちゃんがばたんと倒れたところで、ようやく目が覚めた。いずみちゃんの姿を思い出し全身に這い上がるような寒気が襲う。
今日の寒気は夢の内容に対してというよりは、視覚的な気持ち悪さからだった。分かりやすく言えば、“蓮コラ”を見たあとの気分のようなものだ。
瞼の裏に貼り付けられたように、目を閉じれば浮かんでしまういずみちゃんの姿にため息をつきながら、たどり着いた靴箱の前で靴を上靴に履き替えようとしたところで背後から肩を叩かれた。おはよ、と笑顔で片手を上げるいずみちゃんに、私の気持ちが伝わるはずもない。
うらやましくなるくらいの真っ白な肌には、当然針なんて一本も刺さっていない。
思わずいずみちゃんの顔を見つめすぎていたのか、「なんなのよ」といずみちゃんの指が私の頬を突いた。反射的に笑顔を貼り付けたが、違和感を感じると思わず口を噤む。
触れられた頬に感じたのは指の柔らかさだけではなかった。思わず掴んだ指先には、普段は見ない絆創膏が巻かれている。

「…どうしたの、これ」
「ああ、朝ちょっと作ってたらやっちゃって。寝ぼけてたのかな、自分の指刺すなんて久しぶり。」

マヌケだよね、笑い話にしようとするいずみちゃんを私は笑えなかった。
サボテンじゃない。一瞬、ちくっと刺しただけ。刺しただけだ。それでも冷や汗が止まらない。
夢のなかのいずみちゃんが嫌でも思い出され、私の頭の中を荒らしていく。



思い返せば月曜日。あの日から、私は不思議な夢を見るようになった。



140311




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