教室へ着いてすぐ、私は自分の机で眠った。
さっきまで寝ていたはずなのに強烈な眠気が私を襲って耐えられなくなったのだ。
また夢を見たらどうしようと思ったがそんなこともなく、ぐっすりと4時間眠ってしまった。
後から友人に聞くとHRも始業の挨拶でもどれだけ揺らしても起きなくて、先生達は不安そうにしていたらしい。

いつものメンバーでお弁当を食べようと机を寄せると、名前が呼ばれた。
ひいちゃんがきゃあと声をあげるので振り返ると、いつ買ったのだろう、購買のビニールを持った荒北くんがそれをひょいと掲げる。
昼食を誘われているのだろうか。朝のこともあるし、話したいことはいくつかある。
頷いてお弁当の包みを掴むとひいちゃんと目が合って、ウインクされた。つまりそういうことだ。

天気のいい昼の中庭はこんなにも気持ちよかったのか。
不良時代のサボりスポットだったというそこは人気もなく日当たりのいい場所だった。
段になったところに腰を下ろして弁当を広げると、少し寄っている。倒れたときの衝撃だろうか。
少し食べ進めたところで、やけに静かな荒北くんが気になって口を開いた。

「首、大丈夫?」
「ン?アー…痛くはねェけどォ」

エリを開けると、底にはすっと皮膚の切れた跡がある。
紙で指を切ったときのような白い線によく似ているそれは、あまり重傷ではなさそうで、一先ず安心した。
…夢の中の怪我が現実に現れている時点で本当は焦らなければいけないのだけど。
お前はと言われて、傷ひとつない手を見せるとなんでだヨと理不尽に怒られてつい笑った。
私の場合は手よりもコンクリートで擦った足のほうが痛い。
それからまたしばらく沈黙が訪れて、今度それを破ったのは荒北くんだった。

「悪かったな、巻き込んでヨ」
「え?別に荒北くんのせいではなくない」
「いや、元を正せばオレのせい…かも、しれねェンだヨ」

やけに歯切れが悪い。
この場に及んで荒北くんは原因を自分だという。
私が写真の話をしたときはお茶を濁したというのに、漸く言う気になったのだろうか。
そうやって語り始めた荒北くんの話は、今の私にはにわかに信じがたいものだった。

荒北くんは、1年生の頃私に夢で助けられたという。
ちなみにその夢は私に全く記憶がないので共有していたわけではないらしい。
そもそも、その夢が全ての始まりだった。
夢で私に助けられ、現実世界でも助けられた荒北くんは私のことを気になってフクチャンに尋ねると、東堂くんが同じクラスだと名乗り出たらしい。
名前を教えてもらって、それで終わらないのが東堂尽八という男だった。
荒北くんが私のことを好きだと勘違いした東堂くんは「そんなお前のために」と言って何かを書き始めた。
それは古くから伝わる恋愛成就のおまじないらしい。荒北くんはその時バカらしいとよく見ていなかったが、それはここに来て力を発揮したという。
東堂くんはそのおまじないに、「荒北がみょうじさんと話せるようになりますように」「やはり好きな子には毎日電話をかけるべきだな、じゃあ電話番号を交換できるくらい進展しますように」「一応コレも祈っておくか。荒北のことを好きになりますように」と祈ったらしい。
あまりに必死に祈るものだから、ばかばかしいと思っていた荒北くんもついでに、「いつかアイツが夢の中で困っていたら、オレが助けますように」なんて、軽く願ってみた。
そしたら1年後、こうなったというのだ。

「…それ、作り話?」
「こんな回りくどい話、オレが作るように見えるゥ?」
「見えません」

東堂くん、君はなんてことをしてくれたんだ。
おまじないの効果は絶大だった。
荒北くんとはこうやって話すようになったし、キッカケはあまりいいとは言えないが電話番号の交換だってした。なんなら、電話だってかけてもらった。出ていないけれど。
荒北くんの祈ったとおり私は何度も夢で荒北くんに助けられたし、もっと言えば私は荒北くんのことを好きになってしまった。
すべては仕込まれていたというのか。東堂くんのいい加減なおまじないに全部振り回されていたというのか。
なんだかバカらしくなってしまって笑った。すっきりした。
荒北くんを好きにさせようとしていたのは潜在意識なんかじゃなかったらしい。
すんなりハマってしまった自分が悔しかったけれど、嫌な気はしなかった。

「荒北くん、私すごいバカっぽいよね、簡単に好きになっちゃってさ。単純だ。」
「オレは別にみょうじチャンと付き合いたかったワケじゃねェけどなァ」
「え」

それ祈ったの東堂だし。にやにやした笑みで言われて硬直した。
ここまでやっておいて、好きにさせておいて、荒北くんは私のことをただの恩人としか思っていないというのか。
10秒ほど硬直したあと、荒北くんは吹き出した。嘘だよ、と涙目になるくらい笑って、頭をなでられた。

「あんだけしといて、好きじゃねェなんて言うほどオレは優しいヤツじゃねェよ」
「う」
「それに約束しちまったもんな?付き合うって」
「え?」
「忘れたとは言わせないぜ、みょうじチャン」

賭け、お前の勝ちだヨ。
そう囁かれて、顔が一気に暑くなった。そういえば、生き返ったら付き合って、なんて言ったっけ。
死ぬかもしれないという思いからとんでもないことを言ってしまったんだと今更気づいた。
慌ててごまかそうとしたけれど無駄で、よく考えれば夢の中だからと私は素直になりすぎていたように思う。
好きって言った気もするし、何度も抱きついていた。…これは、夢に限った話じゃないけれど。

「何照れてンだヨ、今更」
「ううううるさい、だってそんな」
「ンな心配しなくても頼まれたって忘れねェヨ」

二人とも生き残っていたら私とと付き合ってもらえませんか、復唱した荒北くんはご機嫌だ。
恥ずかしくなってそっぽを向くと腕を捕まれて無理矢理向き合わされる。
気がつくと思ったよりも荒北くんの細い目が近くにあって、叫んでしまった。
荒北くんが舌打ちする。

「ムードとか色々あるだろうが…」
「ご、ごめん、いやその、びっくりして」

突然だったからとちゃんと伝わっただろうか、口が触れ合っているけれど。
あっけなく奪われた初めてに戸惑いを隠せないままの私を荒北くんは今度はみょうじじゃなく、なまえと呼んだ。

「…あの、私荒北くんの彼女なんですかね」
「そうだけどォ」
「夢みたいですね…」
「夢だったら困んだヨ」
「はい…」

効果が現れるまで1年以上。現れてからは2週間。効き目は抜群。だけど、生命の危機に脅かされる。
とんでもないおまじない。冷たい指で触れた荒北くんの頬の熱さは夢じゃなくて、紛れもない現実だ。




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