ケータイが鳴っている。
今日の朝もこんなだったような。枕元を探すが、感触はない。
というか、まず枕がない。それより、ベッドが硬い。ベッドというよりはコンクリートだ。
太腿を動かすと、何かに擦れた。痛みを感じて目をあける。外、だ。

「あれ…」

ケータイはスカートのポケットの中で動いていた。
ウィンウィンと震えながら鳴るそれを開くと、登録したてほやほやの荒北くんの番号が並んでいる。
電話に出ても声はしなくて、頭にはてなを浮かべながら一人もしもしなんか言ってみたりして、上半身を起こしてから気づいた。

「…生きてる」

プープーと車のクラクションが聞こえる。
周りがざわざわしていて、薄い人垣ができていた。
中心は言わずもがな自分で、起き上がった私を見て男の人が声をかけた。

「大丈夫ですか?」
「え?」
「いや、今さっきフラついて、そこの男の子と二人で倒れたんだけどなかなか起き上がらなかったから…」

そこの男の子、と指差されたほうを見る。ちょうど私の下敷きになっていた男の子は、仰向けになって苦しそうな顔をしていた。
ポケットからケータイがはみ出していて、開くと私のと同じ通話画面が表示されている。

「あ、らきたくん!」

荒北くんのお腹に体重を預ける形となっていた私は立ち上がって座りなおし、荒北くんの肩を必死にゆすった。
そうだ、私、また朝と同じ夢を見たんだ。
ロープの感覚はすっかりなくなっている。当然だ、夢なのだから、実在しない。
声をかけてくれた男の人に心配されるくらい荒北くんを揺らしても起きなくて、もしかして私じゃなくて荒北くんが死んでしまったんじゃないかと不安になる。
1分くらい続けて、とうとう涙がこぼれ出た。あらきたくん、と頼りない声で呟いたところで、やっと返事が返ってくる。

「ッセ!朝からンな揺らすんじゃねェよキモチワルくなるだろうが!」
「っ荒北くん!!」
「うお」

そのまま抱きつくと、私が揺らしたせいでフラフラしたままの荒北くんが再びコンクリートに倒れた。
痛ェと怒鳴り声がして謝ったけど、ちゃんと言えていたかな。硬いお腹に顔を埋めて、上手に発音できなかった。

「生きてる?生きてるよね」
「たりめーだろうが!つーか、お前がどうなんだヨ」
「勿論生きてます!」

生きてるだのなんだの騒ぎあう私たちをみて、男の人は大丈夫そうだと判断したのか会釈して去っていった。
ちょっと引き気味だったのはこの際見逃そう。とにもかくにも、私たちは夢から醒めることができたのだ。
電話を切るついでに時計を見ると、家を出てから10分しか経っていない。
急いでいけば間に合うだろうか。荒北くんから離れて立ち上がり、自転車を起こした。

「あ、この自転車…」
「ア?」
「いや、さっきの夢の中で見た夢に出てきたんだけど、夢っていうか昔の実際に起きたことなんだけど」
「夢夢うっせェよ!今その単語あんまり聞きたくないんだけどォ?」
「私も」
「じゃあ言うな」

コンクリートに寝ている間に擦ったのだろうか、いつの間にか出来ていた足の擦り傷も気にせずに、二人並んで何事もなかったかのように学校へ向かって歩き出した。
獣に襲われたり、獣に襲われたり、紐からぶらさがったり。
三度も命の危機に遭ったのに、夢の中だからか何でもなかったことのように思う。
体験している間は恐ろしくて仕方がなかったのに、やっぱり頭の中だけの出来事だからだろうか。
会話は自然とさっきまでの話を避けていたのに、荒北くんがさっきの夢だけどと言いかける。

「夢って言うなって言ったのに」
「ソッチじゃなくてェ、夢の中でみた夢って方」
「ああ、なに?」
「それって…一年のときのォ?」

やけに確信を持って言っている。
あの夢は私の体は動かなかったし、もともと昔の出来事だし、共有してはいなかったはずだけど。
頷くと、いつものにやりとした顔じゃなく、嘘みたいに柔らかい顔で笑った。

「思い出したァ?」
「え?」
「オレと1年のとき会ったって話」

そういえば、昨日1年のときはナントカって言っていたけれど。
荒北くんと並んだ自転車を見て、やっと気づいた。あの夢、あの時の自転車の持ち主は荒北くんだったのだ。

「え、つまりはその、お礼っていうのは」
「お前に一回チャリ守ってもらってンだヨ。まァ本当はそれだけじゃないけどォ」

ありがとナ、と荒北くんはぶっきらぼうに言う。
私はといえば、そんなの今日はじめて知ったのだ。
荒北くんのことは2年生になって同じクラスになって「あのリーゼントだった人か」と名前を知ったけれど、荒北くんはもっと前から私のことを知っていたらしい。
借りがあるとか、助けてもらったとか、そう言っていたのは全てこれのことだったのだ。
夢の中で私を何度も救ってくれたのも、私があの中年男性に声をかけたからだ。
私が荒北くんを好きになったきっかけも、結局はあの日に繋がっている。

「荒北くん」
「ナァニ」
「私、あの日勇気だしてよかった」
「…そーかヨ」

空は青い。普段より1時間はやく着いた学校は、いつもと違って見えた。




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