今までにないくらい手早く身支度を済ませた。 あんまり急ぐので、お母さんに遅刻しそうなのかと心配されたくらいだ。 それでも家を出るのに10分かかって、ドアを開けると既にそこには荒北くんが待っていた。 おせェヨと言うから、結構前から着いていたのだろう。 咄嗟に謝ったけれど、なんか違う気がする。 ケータイを取り出した荒北くんと連絡先を交換してから、二人並んで空色の自転車を押して歩いた。 「わざわざ迎えにきてもらわなくても、大げさじゃないの」 「ッセ、黙ってろ。お前には借りがあるんだヨ」 「先輩に殴られてたときのこと?あれなら自分も今までいっぱい助けてもらってたし…」 「それだけじゃねェよ」 逆ならまだしも、他に荒北くんを助けたことはあっただろうか。思い返してみたが、見当たらない。 それともそんなに私が紐を手放したことがトラウマになっているのだろうか。 真っ直ぐ道路を見る目は私と交わらない。車道から、自転車荒北くん私と並んでいる。 昨日校門で会ったときも思ったことだけど、ものすごく綺麗な色だ。 何色っていうのかな、エメラルドグリーンとは少し違うかな。 考え込んでいた私は自転車がとまったことに気づかずに、一歩踏み出した。 後ろで声がして、背中のシャツを思いっきりひっぱられた。荒北くんだ。 何よと振り返る前に、目の前に風が吹いた。何かが掠める。 それをバイクだと理解できたのは、ひっぱられた力に対応できずふらついたときだった。 やけにスローモーションで世界が動く。轢かれかけて、荒北くんが引っ張ってくれたのだとやっとわかった頃には、私の頭はコンクリートとキスをしていた。 外は夕焼けを超えて紫に染まり始めている。 高校に入学して、もともと苦手だった数学が全く分からなくなった。 数学AだとかTだとか、どうして分けるんだろう。内容が意味不明なのはどちらも変わらないのに。 理解できないままテストの日は近づいていって、段々自主学習では追いつかなくなる。 ついにお手上げとなった私は先生を呼び出して、個人授業を受けていた。 個人授業というか、職員室に尋ねてわからないところを質問しまくっていたら「もうまどろっこしいからお前には授業をする」と言い出して、教室を一つ借りて教えてもらえることになったのだ。 本来はよくないけれど、職員室であのまま続けられても困るようで、他の先生も苦笑いで見逃すしかない。 飲み込みの悪い私のために一生懸命先生は指導してくれて、気がついたらこんな時間だ。 気をつけろよと送り出されて、私は帰路を歩いた。 家から学校まではそう遠くない。徒歩で10分くらいだろうか。 ちょうど中間地点に広めの公園があって、いつもの帰りはそこで子供が遊んでいるのを見かけるのだが、今日は時間が時間なだけあって静かだ。 そういえば喉が渇いたな。普段は節約のためにこんなことしないけれど、がんばった自分へのちょっとしたご褒美ということで、ミルクティーを購入することにした。 公園と道路には高さがあり、坂と階段がある。 私の今立っている道路からは階段が近いので、当然階段を登った。 お金を入れてボタンを押すとガコンとそれが落ちてくる。拾い上げてふたを開けようとすると、なにやら横でガチャガチャ賑やかな音がする。 公園で聞くには異様な音に気になってそちらを見た。綺麗な色の自転車が地面に固定されたベンチの足に鍵のチェーンを通してとめられている。 で、そのチェーンをガチャガチャといじる黒ずくめの中年男性が一人。 私とその人のほかに公園には人は居ない。自転車は誰のものなのだろう。少なくとも、この男の人のには到底見えなかった。 だって、どうみても鍵を壊そうとしている。ぴかぴかの自転車はなんだか高そうだ。 音が変わって、カチャンと気持ちいい音がした。男が笑う。あ、これ、もしかして。 危ないとは思ったけれど、気がついたら声をかけていた。見てみぬふりは同罪だって、小学校で言っていたから。 「あの、それ貴方のですか?」 「っ!」 中年男性も声をかけられると思っていなかったらしく、うろたえて金具を取り落とす。 目があったのは一瞬で、すぐに泳がせると、自転車を置いて逃げるように走っていった。 …やっぱり、泥棒だったか。 こういう自転車って、物凄くいい値段がするのだと前にテレビで言っていた。 まさかとは思ったけれど本当にとは。幸い気の弱い泥棒だったのか争いもなく逃げていってくれたし、自転車も…素人目では無事に見える。 「ア?」 「?」 私が登ってきた階段と反対側にある、公園と道路を繋ぐ坂を誰かが上ってくる。 顔は逆光でよく見えない。Tシャツを着ているから、もしかしたらこの人が自転車の持ち主なのかもしれない。 片手にペットボトルを持ったその人に軽く会釈して、私は階段を駆け下りた。 <<>> 戻る |