その日一日、八くんにメールの送信はしなかった。 朝練中に返ってきたメールに至っては、自分から送ったのに開封すらしていない。 見たら、また気分が悪くなりそうだったから。 立ちくらみを起こした原因や、東堂くんと八くんのことを一日中色々と考えて、辿りついた結末は、私が八くんのことを好きになっているというものだった。 この場合は東堂くんが好きか、というのとはまた別だ。 優しくて、話が面白くて、気遣ってくれて、新しい世界を見せてくれて、心配してくれて。 そんな八くんのことを好きになってしまっている。 会ったこともない、メールの向こうの人を好きになるなんてばかげてるって分かってる。 もしかしたら八くんが東堂くんということを知らなければ、そもそも男子高校生でもなく偽っているおじさんやはたまた女の子という可能性もあったかもしれない。 それでも好きになってしまったんだ。弱ったところに優しくされたくらいでころっといってしまうなんて、単純だと我ながら思う。 八くんの正体が誰だかわからないままだったら、くるメール一通に一喜一憂できただろう。 恋愛相談も、自分の好きな人の力になれていると考えれば辛くても頑張れたと思う。 でも、正体を知ってしまったら。 同じ学校、同じクラスで、すごくかっこよくて人気もある、東堂くんだって知ってしまったら。 しかもその好きな人が委員長だって、親しい友達だって分かったら。 画面の向こうだから、手が届かない場所にいるからこそ応援できたのに、こんなに近くで目の前で言われてしまったら素直に応援できなくなってしまう。 八くんのことが好きという思いだけが大きくなっていって、でも叶わない。 きっと八くんは、東堂くんは私がななこだってことにも気づいてないんだろう。 自宅のベッドでケータイを握り締めていると、突然それが振動し驚きのあまり手が滑りそれがベッドの上に落ちる。 サブディスプレイには、数時間ぶりに八くんと表示されていた。 メールの返信が遅くて追撃するような人ではないけれど、きっとあまりに音沙汰がないから心配してくれたんだろう。 開きたくないのに、震える手で思わずボタンを押してしまった。 朝届いていたメールを先に見る。 『おはようななこちゃん!もう大丈夫か? 無理するんじゃないぞ、もしオレに力になれることがあれば、なんだって言ってほしい。 今は朝練の休憩中だ!ななこちゃんはまだ家かな。今日も頑張ろう』 その時既に貴方の前に居ました、なんて言えるはずもなく、私を心配する文章にまた視界が歪んだ。 昨日散々泣いたはずなのに。八くんには好きな人がいて、私はそれを応援する立場のはずなのに。 鼻をかんでひとまず呼吸を落ち着かせてから、さっききたメールを開封した。 『突然送ってすまない。忙しかっただけかもしれないが、返事がなくて少し不安になってしまった。 突然で申し訳ないんだが、もしも嫌じゃなかったら、一度電話できないだろうか。少し話がしたい。』 普段から比べると、遠慮がちな文章だった。 きっと、私のことを気にしてくれているのだろう。 電話という文字に指がぴくりと動く。 八くんと電話なんて、楽しいに決まってる。 できることなら一度でいいから活字でなく会話してみたいと思っていた。正体を知る前の私なら二つ返事でOKしていただろう。 だけど、もし声で私だってバレたらどうなるんだろう。そんな不安がもやもやと浮かぶ。 八くんは自分の事を知らない人に相談したいと言っていた。 身近な人に話すつもりのなかったその想いを知っているのが私で、クラスメイトだって知れたら、もう相談どころかメールすらしてくれなくなるかもしれない。 恋愛相談を聞き続けるのは辛いけど、八くんとメールすらできなくなるのはもっと嫌だった。 『ごめんなさい、少し体調が悪くてケータイを見られなくて。 今声が出ないから、電話はまたの機会じゃだめかな。電話番号だけ教えておくね』 体調が悪いのは本当だが、喉を痛めて話せないわけじゃない。嘘に良心が痛む。 断っておいて電話番号を送るなんて、やっぱり私電話したいんじゃないか。 本当はかけてくることを願ってるんじゃないか。 未練の残るメールに苦笑した。ばかばかしい。 それだけ送って、ケータイの電源を落として布団にもぐった。 夢は見なかった。 140122 << >> 戻る |