アイノス 「なまえの家に行ってみたい」 そう言われたのは付きあいはじめてから少し経ち、大学にも慣れてきた頃だった。 箱根学園では寮に入っていたものの、実家と大学が近いため今では実家ぐらしの私。 隼人くんは大学からあまり遠くない交通の便のよい場所に部屋を借りている。 普段会う時は自然と隼人くんのおうちや外になるわけで、今まで隼人くんが私のうちに来たことなんてなかった。 そもそも実家に友達を呼ぶのも久々で、マキちゃんも高校二年生の盆に一度遊びに来ただけだ。 …いや、もう隼人くんは友達じゃないんだっけ。 もちろん反対する理由はない。当然OKしたのだけど、友達じゃないからこそドキドキしてしまう。 じゃあ来週にと約束して、お母さんに来週彼氏来るから、と伝えた時のテンションといえばもう、口にするのも恥ずかしい。 隼人くんの存在は話で知っていたけれど、それは友達の頃の話で、付き合うようになったとは言っていないし、彼氏がいるとカミングアウトしたのも今が初めてだ。 どんな子とか、大学の人なのとか、イケメンなのとか質問責めにされて、おばちゃんモードに入ったお母さんが面倒で自室に逃げた。 部屋の片付けは…もう少し日が近づいてからでいいかな。 すこし散らかった部屋を見て「ここに隼人くんがくるのか」と考えるとやっぱりドキドキする。一週間は長いというのに、もうすっかり緊張してしまっていた。 「お邪魔します」 「お、おじゃましてください…」 玄関で靴を揃えた隼人くんをとっとと部屋に押し込んでしまおうと、早く早くと階段を登らせる。 お母さんに見つかると面倒だからと急かしたのに、私の努力虚しくすぐに見つかってしまった。 よそ行きの声で、「きゃあ、隼人くんよね?お話は聴いてるわ、ゆっくりしてね」だなんていうお母さんは、家だというのにいつもより化粧に気合が入っている。ていうかなにその口調。きゃあじゃない。 目線で「めちゃくちゃイケメンじゃない」と伝えてくるお母さんから顔を逸らして隼人くんを見上げた。 にこと笑っていつもとあまり変わらない、いや少し機嫌のいいときの声で「初めまして、なまえちゃんとお付き合いさせていただいてる新開隼人です。今日はお世話になります」と言った隼人くんの笑顔に、お母さんは悩殺である。バキュンである。恐ろしい。 これだからイケメンは、私がじとっとした目で二人を見ているのにきっと当人は気づいていないだろう。 とっとと部屋に入れてしまおうと、無理やり隼人くんの手を引いて階段を上るとお母さんが下から手を振って、あとでケーキとりにきなさいよと言うので顔も見ないまま返事をして、部屋に押し入った。とんでもなく恥ずかしかったのだ。 「はー、もう、お母さんてば!」 「美人だったな。それになまえに似てたよ」 「似てないよー!」 私はどちらかと言えばお父さん似だ。適当なことを言う隼人くんを、マイルームには人を招く用のソファやクッションなんてないので床に座らせるわけにもいかず、ベッドに座らせた。 私も隣に座る。隼人くんは落ち着かなさそうにキョロキョロしている。 見られて困るものは全て仕舞った。だからまた隼人くんに変なことは言われないと思うんだけど。 探るようにこうして見られるのは、なんだか居心地が悪い。 とりに来なさいよと言ったくせに自分から(きっと隼人くんに会うために)紅茶とケーキを持ってきたお母さんをすぐに押し返して、受験の時にお世話になった勉強用の机にそのセットを置いた。隼人くんはチョコが好きだとあらかじめ伝えていたので、チョコケーキが乗っている。 「うまそうだな。食べていい?」 「いいよ。…一個だけだからね」 「わかってるよ、なまえもケーキ好きだもんな」 「す、すきだけど!」 子供扱いのような物言いが、少しバカにされていると感じる。 睨んでも効果はなく、隼人くんはお皿を持ってチョコケーキを食べ始めた。 私の分はチーズケーキ、これはあらかじめリクエストしておいたものだ。 やっぱり美味しいな。お互いに無言のまま食べ進めていく。隼人くんと何かを一緒に食べるのは数え切れないほどしてきたけれど、自分の部屋で、しかもベッドの上となるとまた別だ。 一人考え込んでいると伸びてきたフォークに反応できず、そのまま一口分持っていかれる。 隼人くんがうまいと呟いてから、フォークをくわえたまま頷く私に自分のチョコケーキを食べさせようと口元に茶色の刺さったフォークを持ってきたので、それに噛み付いた。 間接キス。これは高校生の時からだけれど、いつになっても恥ずかしい。 こうして一人照れているのを、隼人くんはよく知っている。わざとやっているのだ。 「美味いか?」 「美味い、よ」 「そうかそうか」 「…それウサ吉と同じ扱いだよね?」 ばれたか。食べ終わったお皿を机に置くと、隼人くんは両手を広げた。 おいでと言う口調は、やっぱりウサ吉にするのとあまり変わらない。 なんだかそれが嫌でそっぽを向くと、腰に腕が回された。後ろから、抱きしめられている。 「は、はや」 「なまえはウサ吉と違って素直じゃないもんな」 「だからウサ吉と比べるのやめてよ…」 「妬いてる?」 「んなわけ、」 ない、と言う前に首筋にちゅ、とキスが一つ。 驚いて変な声を出してしまった。文句を言ってやろうと振り返ると、にやっと笑った顔がある。 小さく名前を呼ばれて、目をつむった。待ってましたとばかりに落とされるキスにはまだ慣れない。 隼人くんはこういう雰囲気にするのがばかみたいに上手で、キスをされるだけでどうにかなってしまいそうな気分になる。 熱が上がって、どうしようもなく隼人くんに触りたくて仕方なくなるのだ。はしたないし、恥ずかしいからしないけど。 でも隼人くんはそれをお見通しみたいに手に優しく触れてきて、それがもどかしい。 触りたいんだろ?口には出さないけど、そう尋ねるみたいに。 「ン、なまえ」 今度は後ろからじゃなく、前から。 首筋に顔を埋められて匂いをかがれる。時々舐められるから、身体は強張ったままだ。 絶対美味しくないそこをぺろぺろ舐める隼人くんは動物みたいでもある。犬とかだったら、かわいいかもしれない。 だけど隼人くんは犬じゃなくて人間だ。油断してると、とんでもない恥ずかしいことをされてしまう。 「なまえ」 「っばか」 ほらきた。それはだめ、と服の裾を掴んだ隼人くんの手をはたいた。 けち、と唇を尖らせる隼人くんは何も可愛くない。犬じゃなくて、この人は人間の男なのだ。 ケチと言われてもなんと言われても、恥ずかしいものは恥ずかしいしそれに心の準備というものもあるし、まず第一に下には親がいる。 そういうことはできませんとはっきり伝えると、「やっぱりオレん家がいいよな」とキメ顔で言われた。…なにもわかっていない。 「じゃあこれくらいは許して」 隼人くんに抱えられて、お姫様だっこをするみたいな姿勢でぎゅっとされた。 これくらいなら、と体をまげて首に腕を回すと、ぎゅっとする力が強まる。 隼人くんの匂いがして、ちょっといいな、なんて思った私も、隼人くんみたいになってきてしまっているのかもしれない。だって、私はウサ吉じゃなくて人間の女だからだ。 140207 ← |