中庭のアズーロ 正直に言おう。オレ、新開隼人のみょうじなまえに対する第一印象は『間抜けな子』だった。 4月。出会いの季節。 進級して3年になって、部活でも一番上の立場になる。 自転車にはまだ少し不安があったが、昔の勘はチームメイトのおかげで少しずつ取り戻せてきていた。 寿一、尽八、靖友。オレたちが箱根学園を背負う。 オレたちは王者だ。記憶の中の寿一が言った。 …そうは言うものの、オレたちは一応、普通の高校生だ。 進級して一発目の実力テストが怠いなあと思うし、クラス替えも気になる。 オレたち4人は見事にクラスがバラバラで、連絡は面倒だが忘れ物をした時に便利だと思うことにした。 この場合、主に犠牲になるのは寿一だけど。 教室に入ると、何人か見知った顔がある。 声をかけてくる去年からのクラスメイトや友達と適当に言葉を交わしながら、クラスの面々を見た。 見たことのない顔がいくつかある。 みょうじなまえもそのうちの一人だった。 小柄で明るい、けれど少し人見知りする普通の女子だ。 男子は苦手なのか、話しかけられると少し目線を外して会話する。 隣にいる女子(この子も同じクラスになるのは初めてだ)とは随分仲がいいようで、他と話す時とは全く笑顔も口調も違った。 その笑顔が妙にツボで、なんとなくかわいいなと思ったのを覚えている。 何か行動するたび引っ掛けたり、こけたりして、よく言えばドジッ子、悪く言えば間抜けな子だった。 まあ当時はその程度の認識で、普通だけど笑顔は可愛い女子、そんな感じで自分の中にインプットされていた。 * クラスが一緒だと、人混みで見つけた時も目につきやすい。 いつものメンバーで食堂で昼食を取る時、時々みょうじさんの姿を見かけるようになった。 例に漏れず仲良しのあの子と同じで、食堂に行くたび見かけるわけじゃなかったけど、食堂で見かけた時は必ずラーメンを食べていた。 300円の安くてうまいと評判のラーメンだ。オレも結構好き。 その時は尽八がラーメンを食べていて、オレはトンカツ定食だった。 なんとなくオレもラーメンにしたらよかったなと思ったけど、多分量が足りない。 値段だけあってラーメン単体の量はあまり多いとはいえなかった。 じっと見ていたら、尽八が「ほしいのか?」と麺を伸ばしてきたけれど、断って横からチャーシューを盗んだ。 尽八が騒いで、靖友が怒鳴る。それから、寿一が制して、静かになる。 その頃にはみょうじさんのことなんて頭からすっぽり抜けていた。 みょうじさんとは、何度か話すこともあった。 といっても、不在の時に呼び出しがあったとき、それを伝えたりとか、ノート提出の時、近くにいたみょうじさんに渡してノートを重ねてもらったりとか、それだけだ。 席が隣や前後になることもなく、一番近くて間に二つ分机を挟んだ距離。 男子に警戒心が強いみょうじさんに近づくのは至難の技で、向こうからは一度も話しかけてこない。 普通それオレに聞くだろ、みたいなことも、少し離れた場所の女子にわざわざ尋ねる。 避けられてるなとは思ったけど、男子には全員そういう対応だったから特に気には留めなかった。 なんせみょうじさんが事務的なこと以外で話す男子なんて、仲良しの女子の彼氏くらいだったからだ。 それもその女子がいない時に時間を埋めるだけのような日常会話で、なぜかほっとした自分がいた。 そこで気づく。何でオレ、ほっとしてんだろう。 オレ、もしかしてみょうじさんのこと意識してんのかな。 そう感じ始めた頃だった。みょうじさんの背中を中庭で見つけたのは。 その日はやけに調子が出なかった。 練習に付き合ってもらっても、妙に左側からの影がちらつく。集中ができない。 寿一を見ると察してくれたのか、少し頭を冷やして来いと時間をくれて、一人気分転換をすることにした。 中庭で適当に水分補給をしよう。ポケットに小銭入れが入った運動部に支給されているジャージを掴んで羽織り、クリートを履いたまま歩いて行く。 中庭には花壇とベンチと、自販機がある。 地面はコンクリートと土に分かれていて、コンクリートの色が一部濃くなっていた。 土も水を吸っていて、その中に蹲るみょうじさんを見つけた。 びしょ濡れで、ストライプのスカートにまだら模様ができている。 少し濡れているのかと思ったら、逆に色の薄い部分が斑点になっていて、むしろ濡れていない部分のほうが少なかった。 夏も近づいた6月、当然みょうじさんはブラウスを着ていて、ブラウスも濡れていれば当然肌に張り付く。 ――透けてる。 気になる女の子の下着、男子なら気にならないわけがない。 最低だなと思いながらも水色を確認してから、ジャージを小さな背中にかけた。 小銭入れはパワーバーと交代で背中のポケットへ。袋を破る。 もそもそと小さく体が動く。 突然のことに動揺しているようで、そりゃそうだよな。ジャージを退けようとしていた。 このまま退けられると、湿った地面にジャージが落ちる。 それは割とどうでもよかったんだけど、なぜかジャージをかけたのがオレだとばれたくなくて頭を押さえた。 男子の苦手なみょうじさんにこんなことをしたってバレたら、気まずいきがして。 慌てるみょうじさんを諭すと、小さな手がジャージを弄る。 オレが押さえてるから顔は見えないはずだけど、素材を確かめるようにジャージを握った。 その行動がなんだか小動物みたいで、胸が鳴る。 ウサ吉がもそもそ野菜スティックを食べるのに少し似ているなと思う。 無意識に小さいと声を出していて、反論された。その反論が子供っぽくて口元が緩む。 同級生なのに年下みたいだな、と思う。ただのドジで控えめな子だと思ってたけど、そうでもないらしい。 意外と口は悪いし、相手が分からなくても小さいといわれれば食って掛かる。 オレたちの間をぴゅうと冷たい風が吹いた。 6月といえど、地面が濡れていれば寒い。体が濡れているみょうじさんはもっと寒いんじゃないかな。 もう帰りたいとみょうじさんが言った。確かに、このままじゃ風邪を引く。 ジャージはこれを貸してもいいけど、スカートも濡れてるしな。 このまま帰らせて、誰かに見られるのはなぜかもやもやする。 そういえば部室に、まだ使ってない体操服があったけな。 みょうじさんに待っててと言ってから、部室へ走って戻る。距離はあまり遠くない。 3分程で戻ってきて、さっきと状態の変わらないみょうじさんの背中のジャージの上にそれを乗せた。 「それ着て帰れよ。トイレならそっちにあるだろうから。風邪引くなよ」 もう大丈夫だろ。中庭の時計を見ると、随分時間が経っている。休憩しすぎた。 そろそろ戻らないと、寿一にどやされるな。 中庭の小動物のお陰で、少し気分が戻ってきた。乗れる…かもしれない。 6月の風を感じながら、待たされているサーベロの元へ走った。 131229 ← |