恋慕シフォン 「む、紫原くん。これ…」 「あーチョコレートシフォン。ありがとー」 にへら、と彼は特有の笑顔で笑う。 それを見て体温が一気に上がるのがわかった。 どきどきどきどきといつもより数段早く心臓が脈打つ。 恥ずかしくて顔を覆ってしまいたい。でも1秒でも紫原くんの姿を目に焼けつけたい。 そんな相反する感情が私の中で渦巻いて、頭が沸騰しそうになった。 「たべていい?」 「どうぞ…」 ケーキ用の白い箱をがさがさと遠慮なくその長い指で少し乱暴に開けていく。 そういえばフォーク持ってくるの忘れちゃったなぁ。どうしよう。 それを口に出す前に、紫原くんは遠慮なくシフォンケーキのスポンジの部分を直接手で掴んで食べていた。 上品とはいえないその行為にも、紫原くんが相手では何も咎める言葉が出てこない。 寧ろそんな風に、食べてもらえるだけで幸せだった。 私も食べてくれないかな、なんて…ことは、いえないけど。 完食して、自らの人差し指をぺろぺろ舐める。生クリームがついているようだ。 おいしかった…?と恐れ多くも遠慮がちに聞くと、うんーと間延びした答えが返ってくる。 といっても、紫原くんからまずいという言葉は聞いたことがないのできっと彼の味覚の守備範囲は広いんだろう。 お菓子なら何でもいいのかもしれない。スナック菓子も食べてるし、甘くなくてもいいのかも。 「じゃあ私、いくね。」 「うんーありがと。来週は何?」 「…えっと、夏だしアイスケーキでも作ろうかなって」 じゃあね、と手を振って紫原くんの教室を後にした。 紫原くんのありがと、の声が耳をついて離れない。 自分の教室に戻って、自分の席についてやっと、崩れるように顔を伏せることができた。 はずかしいはずかしいはずかしい! さっきの出来事を思い出して顔から火が出そうになった。ううう、幸せだ。 さっきまでの会話を聞いて、私が定期的に紫原くんにお菓子を作っていることは理解してもらえたと思う。 でも、別にこれは私が紫原くんの彼女というわけでも、身近な友人というわけでもない。 紫原くんに向けた私の感情は完全な一方通行。 恋人が居ないから、お菓子が好きだからという理由で私の気持ちを押し付けていた。 私がどうしてこうもケーキを作っているのかというと、将来の夢がパティシエだからということに他ならない。 毎週練習を兼ねていろんなケーキを作っているのだけど、ワンホールを毎週一人で食べるのはなかなか大変なのだ。 母は食べてくれるけれど、父は甘いものが苦手。 友達にもあげてはいたものの、毎週はやっぱり辛いかなと、ケーキの行き場を探していたころだった。 「それ、誰の?」 「わ、私の…です」 「へー作ったの?」 「はい…」 「ねえ、いらないならそれちょーだい」 放課後で一人、半ホール残ったケーキをどうするかと悩んでいた私を紫原くんが見つけたのは偶然のこと。 事情を説明すると、「なら俺が貰う」と言って、毎週持ってくるように言われた。 ケーキ作りはいつものことだし、貰い手が見つかるなら嬉しい限り。それに、彼はお菓子好きで有名だったしきっと美味しく食べてくれるんだろう。 飽きられないようなケーキ作りをしたい、という目標の反面、片想いの相手に食べてもらえるという浮ついた気持ちが私の心を閉めていた。 紫原くんを好きになったのはいつだったか、覚えてない。 でも、気がついたら彼のことを目で追っていた。一目ぼれだったかもしれない。 彼が私のケーキを食べて、おいしいねと言ってくれるたびに心が跳ねる。 こんな私のことを紫原くんは認識して見てくれてるんだね、と幸せな気分になる。 お菓子をくれるひと、なんて括りでも構わない。 それでも、この片想いは幸せだった。 120804 ←→ |