「なぁ、キスってしたことあるか」

学級日誌から顔を上げた。言葉の本人はまだ黒板と向き合ったまま、背中しか見えない。
肩に雪が積もっている。いや、これはチョークの粉だ。
ブレザーを汚した新開は一頻り黒板を消し終わると、教卓越しにこちらを向いた。
普通、こういった日直の仕事は教室掃除当番の人が教室を掃除している間に済ませておくので二人きりになることなんてないのだが、今日は運悪く二人とも別の箇所の掃除当番に当たっていた。
私は女子トイレ、新開は…階段だったかな。
同じ班の子達はかばんを持つとすぐに教室を出て行った。自分もそうしたかったけれど、机に寂しく放り出されたすみれ色の表紙の日誌が私を引き止めた。

日誌を書いている途中に帰ってきた日直の相方である新開に黒板消しを頼み、新開と同じ班の男子を見送って二人きりになる。
新開とはまあ話す方だから気まずさはなかったけれど、二人きりになってまで盛り上がる話題があるわけではない。
まず、日誌というのはなにも考えず黒板を撫でる作業とは違い少しばかり頭を使うので、ベラベラ話す気分にはなれないのだ。
だからこそ、新開から投げかけられた言葉にわざわざ手を止め顔を上げ対応している。
黒板消しをクリーナーにかけて教室を騒音で乱したあと、再び静寂にかえった教室で教卓を避け、新開は私の前の座席に座った。

お互いまだ中学三年生。学校の人なんて半分は小学校からの持ち上がりなのだから、ラブストーリーが芽生える方が珍しい。
わざわざ嘘を付く必要もないので、「ないけど」と素直に伝えると「オレも」とあっさりとした返事が返ってきた。
そういえば新開はもてる割に女子と付き合わない。
部活でやってる自転車も速いらしいし、顔もなかなか悪くないし、性格もケッコーいいやつ。優しいし、男女問わず誰とでも仲良くしている。
ガールズトークで新開の名前が上がるのはそう珍しいことじゃないし、誰かが言ったところで「新開くんかっこいいよね」と話が盛り上がるばかり。
そんな彼がキスの一つもしたことがない、というのは正直なところ意外だった。
学校の女子に興味はないが別のトコの女子と仲良くやってんじゃないの、なんて噂も流れていたからそういうことだと思っていたのに。
分厚い唇、この学校で何人の女子が彼の唇を望んでいるのだろうか。
シャーペンを握った手に、新開のでかい手が重なった。
ゆっくりとほどかれて、シャーペンは開かれた日誌の上を滑る。
合わさった手のひらは、お互いの大きさの差をより明確なものとさせた。
皮の分厚い、よく走る手だと思った。
男子の手をこんなにしっかり触ったのなんて、いついらいだろう。

「みょうじ、おめさん興味ないか」
「…なにに?」

聞かなくたってわかっている。
わざと聞くのは、私の意地悪な部分そうさせていたのだ。
それでも新開の唇がたった二文字形作るだけで、何か特別なもののように感じる。
興味ないことはないこともないことはない。つまり、興味津々。
口にはしない、興味あるなんて言わない。小さく頷くと、厚い皮の指が私の輪郭を柔らかに捉えた。

「…してみないか」
「新開」
「どんなものか、知りたくて」

無言で目を瞑ると、指先が硬く私の頬を滑る。
椅子の足が床と擦れる音がして、それから体温が一気に近づいた。
触れるだけ、触れるだけの口づけだった。
ちょん、とそれだけの一秒に満たないような時間は、これから私の一生について回るファーストキスだった。
私のファーストキスはこの日この時間に、刻まれてしまったのだ。
瞼を開くと、新開の顔がすぐ目の前にある。
普段からは考えられないような近距離が、非現実的なことをしてしまったのだと私の体に教え込むように染みた。

「どうだった?」
「え?」
「…感想だよ」

感想もなにも、

「…よくわかんなかった」

あれだけがキスというのだろうか。
実に呆気ないものだった。触れただけだった。特別なことなんて、何もない。
新開を好きになるとか、そんなこともない。ただ、唇が触れ合った。それたけ。
それだけだ。

「…じゃ、もっかいするか」
「うん……」

それだけなのだ。



140330



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