smack あと10センチ 8センチ・・・ 5センチ・・・ ーーー3センチ 「おーがーくーん!!」 「っ?!」 「・・・最悪だ」 「こっちの台詞だ!!」 頭を掻いて唸る男鹿に、真っ赤に腫らした頬を押さえて古市が食らいつく。 遅刻寸前の友人を親切にも起こしに行ってやったというのに、いきなり顔面を殴られるという仕打ち。 理不尽極まりない。と憤慨するのを全く意に介さず、男鹿はまだなにかぶつぶつと呟いている。 「・・・ーーっぬぁああああ!!」 突然奇声をあげる友人に、とうとう本気でまずいかもしれない。と古市は一人心を痛ませた。 男鹿の機嫌が頗る悪かろうと、誰かが教室にいなかろうが、授業は恙無く進んでいく。 正しくは、見て見ぬふりしてすぎていく。 気づけばもう昼休みで、ベル坊を背中に乗せた男鹿は一人、自販機へと向かった。 自分以上に機嫌を損ねてはいけない赤ん坊のミルクを、朝のゴタゴタでまた忘れてきてしまったのだ。 売店の牛乳でなく自販機を目指してしまったのは癖なのか、無意識の願望か。 見慣れた可愛らしいパッケージを確認してボタンを連打すると、すぐに売り切れの表示が赤く点灯した。 ストローを突き刺しては背中のベル坊に手渡してやりながら、手元の紙パックを見つめる。 常にこの紙パックを弄んでいる想い人の顔が浮かんだ。 続いて、今朝の夢がフラッシュバックする。 意地っ張りで俺様で、いつもは強気で偉そうな彼が、眉根を寄せて笑う。 仕方ねぇなぁ。と自分にだけたまに見せてくれる年上の表情。 そんな時は大概、自分の子供じみたわがままをきいてくれる時だ。 その瞳に誘われるように、彼に手を伸ばす。 存外柔らかい頬に手を添えて、正面からその瞳を覗き込めば、触れた頬が熱を帯びる。 ゆっくりと覆い被さって、顔を近づけた。 いつもなら逃げられる距離。 ゆっくりと彼の瞼が閉じられる。 あと10センチ 8センチ... 5センチ... 3センチ... 「・・・ったく、あと少しだったってのによ」 惜しいことをした。とまた今朝のことを思い出して、理不尽な怒りが沸き上がってきた。 「なにがだ?」 「っ?!」 突然、背後からかけられた聞き慣れた声に、思わず紙パックを取り落とす。 振り返れば、たった今頭に浮かんでいた彼が、「なにしてんだ、勿体ねぇ」と、今しがた落として角がひしゃげた紙パックを拾い上げていた。 「か、神崎・・・」 「あ?なんだ、その反応は」 男鹿の背中でストローを啜るベル坊の頭を撫でながら、眉間に皺を寄せて男鹿に視線を移す。 最近気づいたのだが、意外と子供好きらしい。 「いや、ちょっと驚いただけ・・・ こんなとこで何してんだ?」 考えていた内容が内容なだけに、どう答えたものか迷って、無難にごまかすことにした。 「当然、ヨーグルッチを買いに来たんだよ。 ・・・って、お前また買い占めやがったな!!」 「ぁ・・・あー、やるわコレ」 と、未だに彼の手の中にある歪つな紙パックはそのままに、新しいものをもうひとつ、手渡す。 「当たり前だ」 潰れた紙パックにストローを突き刺して一口啜る口元に視線が行ってしまうのは、健全な高校生男子としては仕方がないことだろう。 「ぁー、男鹿。お前昼飯は?」 「・・・あ?まだだけど」 「んじゃ、一緒に食うか? 今日は城山が休みでな。夏目のヤローもどっか行っちまったし」 「・・・・・・・・・」 思いもかけなかった誘いに男鹿が面食らっていると、また一度思い切りストローを吸った神崎が、なかなか答えがないのに少し苛立った様子で男鹿を睨んだ。 「なんだよ、俺がせっかく誘ってやったのに、嫌なのかよ?」 「っいやいやいや、お願いしますっ!!」 慌てて全力で首を振る。 「なんだよ、お願いしますって」 フッとおかしそうに笑う姿にまた、目を奪われた。 「屋上でいーよな」 二人して購買でパンを買って、屋上へと向かう。 購買が一瞬にして静まり、続けて激しくざわめいたが、お互い気にしないふりをした。 たしかに、石矢魔の東邦神姫の一人神崎と、1年にして、その全員を倒した男鹿が並んで立っていれば、それだけで目立つことこのうえない。 加えてそんな関係から、周囲からは当然険悪な関係だと思われているのだから、行動をともにしている様子は異様に映るのだろう。 ーーー恋人なんだけどな。 周囲のざわめきを背中に、男鹿は心の中で呟く。 もちろん、その事実は極限られた人間しか知らない。 常識的な判断だ。と神崎は言うが、男鹿としては神崎が恥ずかしがりさえしなければ、全世界に向けて叫びたいほどだ。 当然、恋人なのだからキスの一つや二つ、したってなにもおかしいことはない。 のだが、そういうことに慣れない男鹿と、素直でない神崎では滅多にそういった雰囲気にならず、結果、あんな夢まで見てしまったのだ。 前にキスをしたのはいつだったろう・・・。 男鹿がそんなことを考えているとは思いもしない神崎は、上機嫌に鼻歌を歌いながら、階段を最上段まで昇りきった。 重い扉を押し開ける、金具が擦れる独特の音が響く。 暗い踊り場に溢れるように光が差し込んできて、急な明るさの変化に、ゆっくりと後を追って昇ってきた男鹿は、シャツの袖で顔を覆った。 扉から、雲一つない青空が覗いている。 「おー、スッゲーいい天気」 と、無邪気に向けられる笑顔が眩しくて、男鹿は更に瞳を細めた。 しかし一歩外へでると、明るい日差しに反して、冷たい風が頬を打つ。 これほどいい天気なのにも関わらず、屋上に先約がいないらしいのは、この気温のせいだろう。 男鹿の全身が屋上へ出る前に、先に躍り出た神崎が、身を竦めて扉へと戻ってきた。 「寒ぃ!」 「あー、まぁ、そうだろうな」 「それ、貸せ!」 そう言って、男鹿が今朝古市から巻き上げたマフラーをすれ違いざまに神崎がぐいと引き寄せた。 「ちょ、おい!ぅわっ・・・」 一緒に引き寄せられて、神崎に倒れ込みそうになるのを必死に踏ん張るも、急激に迫った顔に思わず心拍数が上がって、頬が熱くなる。 普段ならいざ知らず、今日、その距離を意識せずいられるわけがなかった。 「ぁ、危ねぇよ!」 慌てて神崎から距離を取る。 端を掴まれたままのマフラーを外して手渡してやると、首に巻きつけて、神崎は満足そうにそのまま扉の内側にしゃがみ込んだ。 「出ねぇの?」 「寒ぃし。 どうせこんなとこ誰もこねぇし、ここでいい」 「・・・あっそ」 普段は薄暗い踊り場も、扉の明かり取りから差し込む日差しで今日はほの明るい。 男鹿も習って隣に腰掛けた。 ベル坊は間違って落ちないよう、壁に囲まれた踊り場の隅で紙パックを握りしめている。 神崎は、身長の割に長い足を投げ出して、サッサと食事を済ませてしまう。。 既に新しい紙パックも飲み干してしまったようで、くわえられた紙パックは空気をはらんでペコペコ鳴った。 「なぁ」 「あー?」 「それ、そんな美味いか?」 「これより美味い飲み物はない!」 力説に、紙パックから抜け出たストローが口元で上下に揺れる。 「もうないぞ」 「・・・いらねぇよ」 あまりに男鹿が凝視していたため、勘違いしたらしい。 思いを振り払うように男鹿は視線を手元に戻して、パンにかぶりつく。 自販機に寄り道をしていたため、人気の総菜パンは手にはいらず、初めて買ったパンを味もよくわからないまま流し込んだ。 「ん?」 最後の一口を押し込もうとして、感じた気配に顔を上げれば、男鹿のすぐ目の前でチェーンのピアスが揺れていた。 「――っ?!?!?!」 あまりのことに手から滑り落ちそうになったパンは目の前で受け止められ、そのまま神崎の口へと消えていく。 「っな、なにし、なに、なにしてんだっ?!」 「あ? パンくらいで、んな怒んなよ」 神崎は、満足そうに唇を舐めてのんきに返してくる。 「・・・そこじゃねぇよ」 「あ?」 「・・・・・・・・・」 俯いたまま黙ってしまった男鹿に、神崎は眉を寄せた。 「んだよ。 そんなに食いたかったのかよ?」 「・・・・・・・・・」 「・・・ったく。 買ってくりゃいいんだろ。 また今度城山にでもーー・・・」 人の物を勝手に食べたくせに、なぜか不服そうにそう言って神崎が立ち上がる。 歩きだそうとした瞬間、先刻奪い取ったマフラーを捕まれ、大きく背後にバランスを崩して倒れ込んだ。 「っぅわ?!」 マフラーを引く力を利用して立ち上がった男鹿が、背中から神崎を受けとめる。 「っなん・・・ーー」 なんだ。と言いかけた言葉は、男鹿の唇に遮られた。 大きく瞳を見開いて硬直した後すぐ、我に返った神崎は思い切り男鹿を突き飛ばす。 屋上へと続く扉にしたたか背中を打ちつけて、痛みに唸り声をあげながらも男鹿は、階段側でなかったことに感謝した。 「―――っにすんだ、このクソバカ!!」 真っ赤になって叫ぶ神崎を、痛みに耐えながら見上げる男鹿の顔もまた真っ赤で。 「・・・は、はは・・・・・」 乾いた笑いを漏らして固まる男鹿に、殻になった紙パックを投げつけた。 「誰か来たらどーすんだ! 死ね!」 そう捨てぜりふをはいて神崎は階段を下りて行った。 「ーーはは・・・怒るとこ、そこなんだ」 よかった。と呟いて、こちらに近づいてきたベル坊を抱き上げる。 夢では数センチがあんなに遠かったのに、現実は一瞬で。 思っていたほど、難しくないんじゃないか。と自然、口角が引き上がった。 「っよし!午後もがんばるか」 なんか書きたかったものと違った…アレ;? もっと悶々とする男鹿を書くはずが…撃沈 まぁ、少しずつリハビリということで←← ← |