月が無い静かな夜。
まるで月が何かに怯えて隠れてしまったようだ。
なんだか不気味に思えて、ぼんやりと空を見上げていた。

「名前ちゃーん!今日はもう、」

名前を呼ばれて慌てて階段から顔を出すと、口を抑えて固まっている女将さんの姿があった。

「御用改めである」

浅葱を纏った威圧感のある低い声。
知っている人の面影はあるのに、この人は知らない。
だって私が知ってるアノ人は人懐っこい笑顔で豪快に笑って、周りを暖かな気持ちにしてくれるそんな人だったもの。

「刃向かう者あれば容赦なく斬る!!」

低い声が店内を木霊し、眼光鋭く浅葱の面々が上がり込んでくる。

ねぇ、この人たち誰?
嫌だ怖い。

知っているのに知らない人。
尋問の時に浴びせられた気配すら生ぬるく思えるほど、今の彼らは殺気立っている。
身動きできずに壁に張り付く。
そんな私に誰一人目もくれることなく、浅葱の人…新選組の面々は一部屋ずつ中を確認していく。
新選組の来訪に気付いた客が、我先にと階段を下る。
ばたばたと人が通り過ぎても、恐怖で動けずにいた。
その時。
明らかに襖を開けたのではなく、倒れたような音が鳴り響く。
それと同時に男の怒声があがる。
あらかたの客は外に出たようで辺りは静まり、激しい音だけが響き渡る。
姿は見えないが、明らかに良くない事が起きている。

(逃げなきゃ…早く、ここではないどこかへ、)

頭では理解できるのに、体が言うことを聞かない。
縫いつけられたように動かない足をじりじりと動かしていると、突然目の前を人影が覆い視界が遮られた。

「…あれ?残念、間者じゃなかったんだ」

ちらりと振り向いた沖田さんが笑う。
と、沖田さんを追いかけてきたらしい男が襲いかかってくる。
すかさず沖田さんが刀を抜き、受け止める。

「そんなとこでぼーっとしてても守ってあげれないからね」

いつもの涼しい表情で事も無げに言い放つが、額に汗が滲んでいる。
ギリギリと、金属同士が擦れ合い嫌な音を立てる。

「お前、早くこっちへ…」

暗闇から突然ぐい、と手を引かれ、転がるように階段を降りる。
周りに誰もいないことを確認すると、私を手を引いてくれた主がこちらを振り向いた。

「え、名前?!なんでこんなとこに……‥あぁ、土方さんが言ってたのはこういう事か」

驚いた顔をした平助くんは、前に屯所で話した時と寸分変わらなかった。
…赤黒く汚れた羽織を着ていなければ。

「それはそうと此処は危険だ。どっか人混みとかに紛れねぇと、」

私が言葉を発する前に平助くんが続ける。
その顔が再び驚愕に染まる。
羽織を着てたって、やっぱりこないだと何一つ変わってないじゃん。
なんて、呑気に思った。
瞬間だった。

目の前に広がる赤。
崩れ落ちる平助くん。
目を背ける事も、瞬きすらもできず、ただ。
その様子を眺めていた。

「あ、」

平助くんに駆け寄ろうとするのに、体が言うことを聞かない。
呆けたように立ち尽くす。

「がは…ッ!!」

男の呻き声がし、どさりと倒れるのが視線の端に見えた。
今度は私が斬られるのだろうか。

「おい、大丈夫か??!」

がくがくと体を揺さぶられ、脳が少しずつ覚醒する。
気がつくと目の前には原田さんの顔があった。

ごめんなさい。
平助くんが傷ついてるのに、何もできなかった。

ちゃんと伝えたいのに、ヒューヒューと息が抜けるばかりで言葉にならない。
それどころか酸素がなくなってしまったように息苦しい。


そこで、意識が途絶えた。




瞼の裏にはただ、真っ暗闇。





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