苗字名前は思案する。
保健室に行くべきか否か。
身体的状況的に言えば、行くべきである。
しかし精神的状況的に言えば、近づくことも憚られる。
そうこうしている間にも痛みは身体中を駆け巡る。
「うぅ……」
お腹に手を充て、そのまま顔だけ机に乗せる。
ほっぺたがひんやりと気持ち良く、ほんのちょっとだけ痛みが和らいだ気がする。
こうしてじっと動かずにいれば、なんとかやり過ごせなくはない。
しかし残念なことに教室移動があり、あと10分もすれば授業開始のチャイムが鳴り響くだろう。
「あー……もうこのままサボっちゃおっかな…」
「苗字」
名前を呼ばれ、びくりと背筋が伸びる。
ただのクラスメートなら聞こえない振りをしてやり過ごすが、他ならぬ山崎くんからの呼びかけに応えない訳にはいかない。
「ど、どうし」
「どこか悪いのか?顔色が優れないみたいだが」
そっと覗き込む山崎くんに、心臓が煩く早鐘を打つ。
「だ、大丈夫!今、行こうかなーって思って」
がたがたと慌てて授業の準備をする。
授業をサボろうとしてたなんて山崎君に知られて幻滅されたくない。
急いで席を立つと、それが刺激になったのか急激な痛みに襲われ思わず竦んでしまう。
「やっぱり調子が悪いんだろう?保健室に、」
「いやッ!!……あ、ごめん。保健室は、嫌なの」
思わず出た大きな声に山崎君は目を見開く。
せっかく心配してくれてるのにごめんなさい。
保健室は、やっぱり怖い。
「……噂は知っている。しかし、このままにはしておけないだろう?」
優しい声で私を諭し、そっと体を支えてくれる。
山崎君の手が私に触れ、少し痛みが和らいだ気がするのは心臓が煩すぎるからかもしれない。
保健室に向かう足取りは重いけど、山崎君が傍にいてくれるだけで少し勇気が湧いた。
「すみません、山南先生………は、お留守のようだな」
からからと扉を開き、山崎君が中を覗くと保健室はがらんとしていて静かだった。
山崎君は私をベッドに案内し、テキパキと薬の準備をする。
「この頓服は痛み止めだから飲んでおくといい」
勧められたのが山南先生なら飲み下す自信はないけど、山崎君から手渡された薬なら安心して飲み下すことができた。
飲み終えると横になるよう促され、山崎君がそっと掛け布団をかけてくれる。
「じゃあ、俺は授業に戻るから」
そう言って出て行こうとする山崎君の袖を咄嗟に掴む。
「ちょっとでいいから傍に…いて?」
1人でいたくない。
心細い。
せめて眠りにつくまでは誰か傍にいてほしい。
「………」
「う、嘘だよ冗談冗談!介抱してくれてありがとね」
山崎君は目を白黒させて黙ってしまった。
わざと明るい声を出して、気丈に振る舞う。
これ以上山崎君に迷惑をかけるわけにはいかない。
「…ちょっと待っててくれ。すぐ戻るから」
「え、あ…」
す、と袖を引き離し、そのまま保健室を出て行ってしまった。
嫌われちゃった、かな。
散々迷惑かけた上に、更にここにいてくれなんて厚かましいもんね。
ちょっと涙が出そうになったけど、それは痛みの所為にして目を瞑った。
しばらくすると、からからと遠慮がちに扉が開く音で意識が覚醒する。
山南先生が帰ってきたんだろうか。
どきどきと心拍数が上がる。
「…苗字?寝たのか…?」
予想に反してカーテンから顔を出したのは山崎君だった。
「山崎、くん?」
「すまない。起こしたか?」
申し訳なさそうに眉根に皺を寄せる。
「ううん。うつらうつらしてただけ」
頭を起こそうとすると、そっと抑えられる。
優しい手がそのままでいいと言いと伝える。
「ならいいんだが…。……今、原田先生に言ってきたから。安心して休むといい」
「え?」
「保健室に1人になりたくないんじゃないのか?」
がたがたと丸イスをベッドサイドに置き、山崎君がそこに腰掛ける。
てっきり怒って出て行ったもんだと思ってけど、どうやら先生に付き添いの許可をもらいに行ってたらしい。
「う、そ……やだ、ごめん!そんなつもりじゃ」
「気にするな。苗字はゆっくり静養してくれ」
私の言葉を遮るように、優しく宥めると山崎君は文庫を取り出して読み始めた。
パラリとページを捲る音が耳に心地良い。
布団の隙間からこっそり覗き見ると、ばちりと目が合った。
「気になるようなら出て行くが…」
「う、ううん、全然!あの……ありが、と」
嬉しくて恥ずかしくて声が小さくなってしまったけど、山崎君にはちゃんと届いたみたいで。
ふわりと微笑む山崎君に、きゅんと心臓が締め付けられた。
(あぁ、神様)
(やっぱりこの人を好きになって良かった)
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