なんだぜ少女の憂鬱


 高校とはまこと面倒なものである、というのは、我が友人の弁である。曰く、義務教育ではない、高等教育だと謳っておきながら、現代小説やドラマ、漫画・アニメーションの類において高校を卒業していない人間が登場することは極めて稀であり、また登場したとしても社会生活不適応者のように扱われる。ある種の義務教育のようなものだ、と。
 そういう友人は、本人の論を自ら立証するがごとく、県内最難関とされる私立高校を特待生で合格し、一年の四月に中退するという暴挙に出、半ば勘当同然で家から追い出され、築四十年のぼろアパートの一室に居を構えている。十畳ワンルームの和室を埋めつくさんと乱立する文庫新書単行本の巨塔は、いつ崩れてもおかしくない危うさで、時折ビル風にふらふらと揺れる。地震大国であるこの国で、この塔の崩壊を未だ見たことないというのは、奇跡と言っても過言ではなかろう。
 さて、何故僕が今になって十数年の付き合いを持つ友人ことをこんな風に回想したのか、というと、彼女のほぼ唯一と言ってもいい支持者からある依頼を受けたからである。唯一の支持者とはそれ即ち彼女の父親である。
 錆止めの色か、それとも錆びているのか、前者であってほしい赤茶色の外付け階段をえっちらおっちら上ると、濃紺のドアが見えてくる。インターホンを押そうとすると、故障中のメモが貼ってあった。仕方なしにノックをすると、中から気のない返事が返ってくる。
「どちらさんですかっ」
 インターホンで壊れているのはベル機能だけらしい。壊れかけのインターホンからひび割れた声がいきなり聞こえてきて、僕は素っ頓狂な声をあげて数歩後ずさった。我に返ったときには、やっぱりひび割れた笑い声が聞こえてきて、なんとなく無性に腹が立った。
「なんだ、君だったのか。また変質者かと思って身構えちまったぜ」
 シリンダー錠を回すがちゃがちゃという騒がしい音の後、ドアが勢いよく開かれる。女性としてこの無防備さはいかがなものか。と、いうか、「また」変質者ってなんだ。
「こんにちは。三日ぶりのおひさんは流石にまぶしいぜ」
 久しぶりに会った友人は、「自宅警備員」とでかでかと書かれたジャージを羽織って、謎のアピールをしていた。頭はだいぶ前からイかれていたが、ファッションセンスもイかれたらしい。
「こんにちは。っていうか何だその格好は」
「職務と欲望に忠実に生きる自宅警備員の制服なんだぜ」
「どこで売ってた」
「アマゾンでいちきゅっぱ」
「千九百八十円も払ったのか!?」
「百九十八円なんだぜ」
 自慢げにこちらを見る、推定身長百五十センチほどのちまい友人に、何か物申すのもあほらしくなってきた。僕は半目で友人の奇行を見守りながら、早々に依頼を果たそうと、学制鞄とともに抱えていた紙袋を渡す。
「親父さんから」
「相変わらず子離れの出来ない親父殿で困るんだぜ」
 それが仕送りをしてくれる優しい父親に対する言葉か?と内心呟く。
「駄々漏れなんだぜ」
 漏れていたらしい。
 友人は長らく切っていないらしい、しかし艶々の長い髪の毛を揺らして中に入っていく。自宅警備員ジャージはどうにかならないのか。下は迷彩服のチノパンだ。
「中身はなんだったんだ?」
「見てないのか?」
「流石に他人への贈り物を覗くほど趣味は悪くないつもりだ」
「英語でいうと?」
「I know better than to look a gift for others.」
「よく出来ました」
 相当に上機嫌な彼女は、三越デパートの紙袋を丁寧に破いて、中からビニールに包まれた洋服や食料品を取りだす。てっきりびりびりに裂くものだと思っていた僕は、拍子抜けして彼女の手元を凝視した。
「紙袋も貴重な資源なんだぜ。ハサミで切ってメモ用紙にすんの」
 さいですか。
 この三年間で相当逞しく育ったらしい友人は、洋服を見て辟易とした表情になる。
「こりゃまたごってごてでフリッフリだな」
「ママ上様の趣味丸出しか。これもリサイクルショップ行きかな」
「着てやらないのか?」
「私は一切着る気が無いんだぜ。箪笥の肥しにするよりかは、これを必要とする人の下で着られるのが一番物にとっていい」
 三越の紙袋に丁寧にそれを戻した彼女は、自宅警備員ジャージを脱いで、机の上に放り出した。下は「明日から本気出す」と書かれたTシャツだ。お前はどれだけやる気がないんだ。
「さて、君、今日も非凡な日常を満喫してきたのか?」
「非凡な日常って何だよ……まあ、そこそこだ」
「ならよかった」
 歯を見せて笑った彼女は、ご機嫌でシンクから白いマグカップを取りだす。机の上に置かれたタワーコンピューターからは、やりかけのネットゲームのプレイ画面が表示されていた。
「コーヒーでいい?」
「砂糖三つとミルク二つな」
「りょーかいなんだぜ」
 彼女は僕のオーダーにも笑って答えた。学校内では勉強が出来る無愛想で通っている僕なので、とてもじゃないけれどこんなオーダーは彼女にしかできない。スタバでは極寒時もフラペチーノを頼む、と話したら、彼女にしては珍しく、穏やかな微笑を浮かべていた。
「相変わらずの甘党で安心したんだぜ。もしブラックで、とか頼まれたらがっかりしてた」
「ブラックを頼んだ方ががっかりするのか?」
「ブラック頼まれたら、私はもう君に信頼されていないかもしれないんだぜ」
 兎柄のマグを片手に、友人は読みかけの本を取り上げる。バベルの塔の最上部に位置していた新書には、珍しく女子らしい、紅い和紙の栞が挟まれていた。それを取ったことによって大いに揺らいだバベルの塔だったが、基盤がしっかりしているらしく中々倒れない。一番下に挟まれているのは、僕の目にもおなじみの参考書群だった。確か、学校指定の参考書だ。
「マジで高校勉強には興味ないんだな」
「もう高卒認定とっちまったし」
「は!?いつだよ!?」
「一昨年の六月」
 と、いうことはだ。僕が一年生の時には既にもうこいつは高校生をきれいさっぱり卒業していたことになる。仕事が早いことだ。
「あらゆる事象に興味を持って接していれば、高校卒業程度の学力なら好奇心で身に着く」
 三白眼を細めて、彼女は手元の活字を追う。
「小学校、中学校程度の授業じゃ満足できない奴らが集う場所が高校であるはずなんだぜ。参考書や教科書は、好奇心を満たす為の道筋を示すただの羅針盤だ」
 すん、と鼻を鳴らしてから、彼女は実に無造作に英語の参考書を抜き取った。バベルの塔がダルマ落としの要領で、ストンと下に落ちる。
「英語なら、これを日本語を知らぬ誰かに伝えようとするにはどうすればいいのだろう、というもどかしさが好奇心の発生につながる。それは日本語を知らぬ誰かと接したことがあることが大前提に立ってくるもんだぜ。例えばスカイプとかな」
「んなこと、皆考えてないと思うけどな」
「それが現在の世の中の憂きところだぜ」
 彼女と話していて思うことは、彼女はひたすらに人生を楽しんでいるのだろう、ということだ。よく、彼女のことを話していると、ご飯をそっちのけで勉強にいそしんでいたり、睡眠をとらずに本を読みふけっていたりするというイメージが、相手の中にできやすいが、そんなことを話していると彼女はからりと笑ってこう言う。
「人生は限られているんだぜ?例えば私が百歳まで生きるとして、ぐっすり眠れる機会は三百六十五かける百の三万六千五百回しかないんだ。うち、私は現在十八歳だから、残りの機会は二万九千九百三十回。ほら、寝ることだって貴重な人生体験なんだぜ」
 と、いう具合に、彼女は人生の全てを全身で体感しているのだった。
 とはいえ、昔から彼女がこうだったわけではない。転機になったのは、僕の両親の死だったと思う。彼女は別にヒステリックな両親のもとで育ったとか、虐待されて育ったとか、そんなわけではなく、むしろ僕の方が異常な家庭で育ったと思う。彼女は平凡なサラリーマン一家の一人娘として生まれ、僕は両親から虐待を受けて育ち、彼女とは保育所時代からの幼馴染として交流を持ち、小学校のころに幸か不幸か僕の両親が死んでしまったのだ。
 その時、彼女が何を思ったのかは僕は分からない。あんなでも一応両親を失った僕は泣きに泣いて、僕の親権を誰も受けようとはしなかったので彼女の両親に引き取られ、そして彼女はその日から大いに変わったのだ。
 人生は限られている。それが彼女の口癖だ。
 ある日はブランコで一回転が出来るのかと真剣に考え、小難しい物理の本を読みあさっては模型実証に明け暮れ、実際に自分で証明した。
 ある日は携帯ゲームにのめりこみ、世界一位になって満足して帰ってきた。
 ある日は中学教師が出したしょうもない難関大学の問題に躍起になって取り組み、教師が舌を巻くような証明を黒板に書き連ねた。
 彼女の座右の銘は、面白きことも無き世を面白く、なのだ。
 彼女の目の前で、人生なんてつまらないとぼやいた時には、膝づめで三時間何が面白いのかをえんえんと語られることだろう。


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