ゲートウェイ・ドラッグ




 女の子は、苦手だ。

 高い声も、壊れそうなくらい細い躰も、ひ弱さをアピールする態度も何もかもが苦手だった。だから、女子にしては少しハスキーな声だったり、ヒールを履けば百八十に届く身長だったり、ほどよくついた固い筋肉は、自慢であると同時に精神安定剤だった。別に女であることがコンプレックスなわけじゃなくて、純粋に「女の子」が苦手なだけだ、と思う。

 ルージュを引いた唇から、薄く紫煙を吐きだしながら、瀬田は眉間にしわを寄せた。そんな私がどうしてこんな目にあっているのか。ぷりぷりとご立腹の様子で腰に手を当てるのは、ちんまりした瀬田の連想する「女の子」そのもの。ゆるくパーマが当てられた、森永のココアみたいな髪といい、真っ白ふわふわのニットといい、そして愛菜という名前といい、その全てが瀬田の守備範囲外だ。なのにどうしてこの娘は、私の目の前にいるんだろう。一本だけのつもりだったヴァージニアをもう一本取り出すと、愛菜の眦が吊り上がった。

「もー、未来ちゃんダメだってば! タバコは二十歳になってから! まだ一年生でしょ」
「十九なんてハタチみたいなもんじゃない」
「それに、授業サボって喫煙なんて、感心できませんぞ」

 奇妙な言い回しをしながら、愛菜は完璧な角度で瀬田をのぞき込む。異性ならぐらっとくるのかもしれないが、残念ながら瀬田は同性だし、計算されつくされた可愛さを称賛できるほど素直ではなかった。はいはいと生返事を返しながら、ふうと鼻先に煙をかけてやると、愛菜は分かりやすく顔を顰める。

「ニコチンまみれになりたくなかったら、とっととどっか行きなさい。あんたも講義でしょ」
「私休講だもん。もう、いい加減にしないと教務に言いつけちゃうよ」

 未成年飲酒と違って、未成年喫煙はそれなりにお目こぼしされている。だからこうして堂々と喫煙ルームに入り浸っているのだ。とはいえ、薄給の学生が買うのはタバコより酒で、喫煙ルームにお世話になっている大学生なんて瀬田くらいのものだった。最初、この部屋を見つけたときは、秘密基地を作った子供のような気分になったものだ。良い避難所ができたと。それなのに、今ではここに入り浸るのは瀬田だけではない。タバコをふかすための部屋に、タバコをふかさない愛菜が入りこむんだから、変な奴だと思う。副流煙まみれになって肺ガンにでもなりたいのだろうか。いくら目的があるとはいえ。

「はいはい、いつもの口止め料ね」
「やった、未来ちゃん分かってるぅ」

 ポケットから一口チョコを一個。キャンディみたいな透明のセロファンに包まれた安いチョコ一つのために、わざわざ愛菜はニコチンとタールを浴びに来るのだ。真剣に馬鹿だ。

「あ、未来ちゃん、今私のこと馬鹿だって思ってるでしょ」
「分かってるならさっさと外に行きなさい。邪魔」
「えっへへ、未来ちゃんったらやっさしー」

 ああもう、余らせ気味の袖と、そこから覗くサーモンピンクの爪を見る度にいらいらする。フィルターを噛むと苦い味がした。

「あんたなんて嫌いよ」
「私は未来ちゃん好きだよ」

 物好き。諦めたように最後の一煙を吐き出して、まだ長い煙草を灰皿に押し付けた。

「うん。大好き。苦手な女の子の私につき合ってくれるところも大好きだし、嫌いなくせに邪険にしないところも大好きだし、女の子にならないように背伸びするところも大好きだし、それでも女の子をやめられない未来ちゃんが大好き。愛してるよ、未来ちゃん。チューしたいくらい」

 秘め事を呟くように、一音一音に熱情を籠めるように、そうして愛菜は想いを告げた。三十センチ近い瞳の距離が、詰まって感じるのはきっと愛菜の瞳が大きいからだ。一瞬帯びた、まっすぐな光と煌めきは、次の瞬間霧散する。

「なぁんてね! へへ、未来ちゃん大好きっ」
「あっそ」

 これだから愛菜は嫌いだ。ヤニの臭いが染み付いたジャケットを羽織りながら瀬田は喫煙ルームを後にする。恋人か、仲の良い友人にするように、ぎゅっと腕にしがみつく狂犬チワワを、ふりほどこうかと悩んで、結局そのままにさせた。愛菜がますます嬉しそうに喉を鳴らすので、少し足を早める。

「未来ちゃん、もーひとつちょうだい」

 嫌いだ、鬱陶しいと思っているのに、結局チョコレートを用意してしまう。馬鹿だ、ちょろい、とは思いつつも、口を開けて待つ愛菜に、少しだけ悩んで首を振った。

「えー」
「何であんたを餌付けしなきゃなんないわけ」
「つれなーい」

 どうせまた貰いにくるくせに。それを言うと負けたような気がして、瀬田は口を噤んでそっぽを向く。拒まれた割に楽しそうな愛菜は、決して追いつけない速度ではない歩調を合わせ、足音を揃えた。

「じゃあ、またもらいに行くからね」

 「勝手にしなさい」それだけ残して腕を振りほどいた瀬田に、愛菜は手を振ってスカートを揺らした。

 陥落まで後少し。一口チョコを舐めると、ニコチンの甘い味がした。
 


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