三途の川辺で会いましょう


 シャブをキメたような朝だった。見えるものすべてが美しく見えるのにどこかチープだ。百均に売っているおもちゃの指輪みたいな輝きだ。粗悪なメッキとプラスチックの宝石は嵌めたときは綺麗なのに、つけ続けると指が痛くなってきちゃうのだ。おしゃれに我慢はつきものだけど、そうまでして飾り立てる必要性を感じないから私は今日もジャージにすっぴん。ラリって口端から泡を飛ばしてがなり立てる街宣車を横目に朝の散歩。目的地は徒歩一分のゴミ捨て場。カラスが鳴いているのに帰れないランドセルの群れを哀れがって、ワンルームの私の御城に戻る。ガラスの靴の代わりにくたびれたスニーカー。王子の唇の代わりにマイルドセブンを一カートン。キス魔やヘビースモーカーはママのおっぱいを忘れられないんだって、昔のお客さんが言っていたけど、そんな理屈はどうでもいいのだ。ちなみにそのお客さんもヘビースモーカーだった。ママの代わりに私のおっぱいだなんてふざけたことをぬかしたのでちょん切ってやろうかと思ったのだ。
 ちなみについ八時間ほど前のことである。
 ほとんど日付の確認なんてしないから、毎月捲るのを忘れるカレンダーはまだ四月。私の頭は年中春だから問題ない。どこからかラブソングが流れだしたから、それに合わせてでたらめに鼻歌を歌った。サビに差し掛かる前にその発信源が私のスマホだと気付いて慌てて画面を見ずに電話に出る。だって固定着信音なんだから、確認するだけ無駄なのだ。
「はぁい」
「もしもし、私メリーさん。今貴女の部屋の前にいるの」
「ねぇメリーさん羊の世話はいいの? あと三十秒待ってね」
 二重ロックを外してチェーンも外した。いらっしゃいなんて招き入れると、憮然とした表情の随分大きなメリーさんはコートとマフラーを着込んで大股で部屋に入ってくる。
「おはよう」
「おはよう。たばこ臭いんだけどあんたまだタバコ吸ってんの?」
 言うなり窓を全開にして換気を始める。四月のカレンダーは十一月の木枯らしに揺れた。それに気付いてカレンダーをむしり取る。七枚の大きな裏紙は何に使おうか。
「タバコは止めなっていったじゃん」
「やぁだよ。幸せって体に悪いもので出来てるんだよ。シャブと一緒」
 はっと鼻で笑った。メリーさんは馬鹿にされたと思ったのか小鼻を膨らませてぷりぷりしている。築十年のガタついた出窓に腰かけて、腕を組んでこっちをじとっと見つめる目は私と違って澄んでいる。
「ヤクに手を出したら友達辞めるから」
「友達以上になってくれるなら喜んで」
「寝言は寝てから言ってよね」
「布団出そうか」
「げっ、いつから干してないのその万年床」
 万年床なんだから一万年に決まってるじゃない。嘯いてやるとメリーさんはひいこらえいこらと布団を引きずってベランダに放り投げた。使ってなさ過ぎてひび割れている布団クリップで留めて、秋晴れの陽気に放置する。それ、取り入れるの私なんだけどなぁ。
「ヘビースモーカーって、ママのおっぱいが忘れられない寂しがり屋なんだって」
「ふうん。どこで聞いたの?」
「昨日のお客さーん」
「あんたまだお水やってんの?」
「幸せにはお金がいるんですぅ」
 シャブだってタバコだってお酒だってお金がかかるんだから、というと、メリーさんは心底呆れたように冷ややかな一瞥をこちらにくれた。
「普通の幸せを求めてみたら?」
「例えば?」
「家族を作るとか、恋とか」
「はは」
 冗談じゃない。そんなことしたら泣く癖に。
「ねぇメリーさん、キスしてよ。口寂しいから」
「できるわけないじゃない、あんた馬鹿なの?」
「振りでもいいからさ」
 ここにちょうだい、ととんとんと口紅が禿げた唇を指してやると、メリーさんは諦めたように笑って、ふっと唇に触れるギリギリで止まった。
「あんた、私の面影を追うのは止めなさい。あんたはあんたで幸せになんの」
 泣きそうな顔はあの日から何一つ変わらないのに、私だけがどんどん皺を増やしていく。ええ、今更あんたがそんなこと言うの。私を散々ダメにしておいて。
「無理だよそんなの」
 ニコチン臭い煙が頬に当たって、夢から覚めた。ありふれたラブソングがラジオから流れて、消しそびれたタバコが最後のともしびを消そうとしている。風に揺れる布団だとか、十一月に変えられてしまったカレンダーだとか、テレビの上の写真立てに入った愛しい愛しいメリーさんだとかが、酷くからっぽに輝いていた。
 日付を確認しないカレンダーには今日だけ赤くマークされている。さようならメリーさん。私の一番大切な人。シャブをやっちゃったからもう友達じゃないよね。なら恋人になってくれるのかな。あの世に行けば張り手の一発は食らうだろうか。
 ねぇまた会いに来てくれるかな、なんて注射器に手を伸ばす私は酷く滑稽だ。幸せにはお金がいるんだもの。恋愛にだってお金がいるの。だってあんたお金詰まないと会いに来てくれないんだもの。


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